2016

1月

1月6日(水)

朝靄の日の出

 今年は妙に暖かい幕開けだった。特に3日は春のようで、なんだか心身が暖かさで伸びやかになるというよりも、かえって落ち着かない。
 こうなると、いよいよ地球温暖化かなぁとも思ってしまう。あと数十年もしたら、海水面の上昇が誰の目にも判るような事態になりはしないか。

 もっとも、あいかわらず石油が安いけれど、安いからって石油をジャブジャブと使いまくる時代でもなさそうだね。考えてみれば、身の回りの様々な「モノ」が生産過剰なら、エネルギーの生産過剰だってあるのかもしれない。

 以前から思っている事だけれど、世界が抱えている問題は、この世界はモノやエネルギーが足りないのでは無く、「いくらでもモノでもエネルギーでも使って下さい」と言われても、する事のネタが無いという点にあるのではないか。

 話は戻すけれど、あの地獄のような大雪を降らせた2014年も、1月の元旦は妙に暖かかった。油断はしないほうがいいよね。
 あの大雪の時は、家に食品の備蓄があった方がいいと、痛感させられた。数日間、家から出られなくて買い物に行けないだけで、下手すると家に食べるものが何も無くなってしまう事だってありうる。

 大雪や地震に限らず、せめて1週間ぶんの食料の備蓄は、しておくべきだろうな。これは時々、忘れがちな事だけど。

雲間の光

 特に書く事も無いので、昨年の年末に知人と話した事でも。
 きっかけは「どうやら次のアメリカの大統領は女性になりそうだなぁ」という所から始まったのだけど、そこから話は飛躍して、これからの世界は女帝の時代になっていくのではないか、と話は進んだのです。

 まあアメリカの大統領の話は置いておくとして、女帝の時代って、どういうものよ、と聞いてみた。
「時間の進み方がね、今よりはゆっくりになると思う」
 知人はそう言う。何でも、時間を急いで使う行為、つまり、時間を「焦って」使うのは、男性的な行為なのだそうな。
「なんでまた?」
「男はね、努力して『何か価値ある存在にならないといけない』という強迫観念があるからさ」

 女性は、生命を生み出す神秘的存在として、存在そのものに既に価値が認められているが、男はそうではないので、常に「何かになる」努力に追われると知人は言う。今、流行りの「ありのままでいい」とは正反対の立場ですな。

 またずいぶん、ざっくりとした男と女の分け方だなぁ、男だって、どっしりと焦らずに安定している人もいれば、女だって精神的に追われるように「何かにならなければない」と焦る人もいるだろうに。
 とは思ったものの、一理あるような気もする。

冬木立

 話は更に飛躍して。
「だいたい、男性原理で世界が動いて来たのは、せいぜい、ここ2〜3000年程度のことだろう。その前には、数万年単位の、女性原理の時代があったのは判っている。こっちの方が、桁違いに大きくて深い」
「そんな時代が、これから来ると君は思うのかい?」
 とりあえず、どんな時代であれ、あくせくせずに、焦る事無く、のんびりした時代になるのなら歓迎なんだけど。女帝が世界に吹かせる風は、どんな風だろう。

 女性の為政者だって、イギリスのサッチャーとか、これまでいないわけでもなかったけど、いずれも知人の話した意味での女帝ではなかった。やはり、自分自身も「なにかになろう」と焦りながら努力をしてきた人だし、また国民や国に対しても「なにかになろう」と焦りながら努力を求めるものだった。まあ、激しい競争の時代でもあったからね。

 知人が言うような女帝の時代なんて、来るのだろうか、と半信半疑で思いつつも、かといって知人の言う男性的な「焦ってなにかになろう」とする世の中も、次々とうまく行かなくなって壊れかけているようにも私には見える。世の中も壊れかけているし、人の心も体も壊れかけているね。
 いずれにしろ、今までとは違った形の世の中のあり方を、これから想像して、創造していかなければならないのは確かなのだろう。

光る竹

 今までとは違った世の中の形を想像して、創造して行く過程で意外なブレーキになるのが、若者よりも先輩方の世代だったりする。これが、40代より上の世代か、50代より上の世代か、更にその上の世代かは判らないけれど。
 何しろ、その世代には、今までのやり方で成功してきた実体験があるだけに、「今までのやり方を今後も続けて行けばいいんだ」という気持ちが強い。逆に、今までとは違ったやり方を選ぶ人々を見ると、今までの自分を否定されたかのような精神的ショックを受けて、激しく嫌悪したりする。

 でもなぁ、最終的に、そんな先輩方の老後を支えるのは、若い世代がこれから作って行く、今までとは違った形の世の中なんじゃなかろうか。

1月13日(水)

梅の開花

 年明け以来、寒い事は寒いけれど、とても藤野の冬本番の寒さと言うのは、未だに訪れていない。普通だったら、朝の気温が氷点下7〜8度とか、池の水面に厚い氷が張るような底冷えがあるものだけれど、とてもその寒さには及ばないね。気付いたら、梅がやたらと開花している。
 この暖冬のためか、この冬は野原も枯れきらないで、けっこう緑が残っている感じだ。ある人が、例年だったら探すのに苦労する春の七草が、今年は簡単に野原で見つかったと言う。
 これからもちょくちょく、冬将軍はやって来るだろうけれど、このままでは真冬が来る前に早春が来てしまうんじゃなかろうか。まあ今日から、急に冷え込んできた感じだけど。

 こんな暖かさも、屋外のイベントには良いのかもしれない。昨年の秋から「ビオ市・野菜市」という朝市が、芸術の家の近くの「アート・ヴィレッジ」で、月に二回ほど火曜日に行われるようになった。フェイスブックのページがあります。

ビオ市・野菜市
こちら>>

 次は19日とのこと。地元農家さんが中心となって参加する朝採り野菜市を定期開催していこうというこの試み。私はまだ行けてないのだけれど、野菜を積んだ軽トラがずらりと並んで、なかなか壮観らしい。また、参加者に新規就農者が多く、普通のスーパーには見かけないような特種な野菜も多いのだとか。

枯れ野

 何で新規就農者が多いと、朝市に並ぶ野菜にも特殊な野菜が多くなるか。いろいろ理由はあるだろう。一つは、今から新しく農業をやるのだと、お客さんの注目と関心を招くような商品を必要とする点。
 もう一つは、これから新たに農業をやってみようとする人には、単なる儲け主義を超えた理想もある事。なるべく農薬を減らしたり、今では滅びかけた、その土地に昔からあった独自の品種の再生を試みたり。

 かつての日本の山村では、山一つ越えただけでも野菜の品種が変わったりしたのだろう。ダイコン一つとっても、膨大な種類があったはずだ。
 この「ビオ市・野菜市」では、前回に、きき酒ならぬ「ききニンジン」をやったとか。色も形も味も違う様々な種類のニンジンの食べ比べで、お客さんに好評だったとのこと。
 新しく農業をやろうとしたら、こんなふうに、お客さんに野菜で感動させてしまうような創意工夫も必要になるのだろうな。
 いや、農業だけじゃないね。これだけ、モノが余ってモノが売れなくなるような御時世じゃ、何を作って商売するにせよ、人に感動を与える工夫がないと。

 こんな新しく始まった朝市だけど、数年前だったらできなかっただろうな。そりゃあ、志のある新規就農者は昔からいたけれど、それはホントに数えるほどで、今みたいに朝市ができるほどの人数に厚みができたのは、ここ数年のことだから。

 藤野のイベントも、年に一回のものもあれば、2〜3回のものもあり、毎月開催するものもあるが、2週間に一回の企画となると、もはやイベントというよりも、その土地の文化に近くなる。

牧馬谷

 市場原理主義なんて言うと、一部の金持ちが更に金持ちになるために、世界の全ての庶民を市場経済に巻き込んで庶民から金を巻き上げようとする悪政を想像させるし、実際の所、その通りの事をしてきたわけだが。
 じゃあいっそ、もう一度、庶民みずからの手で市場・・・(ここでは「しじょう」と言うよりも「いちば」と呼んだ方がいい)を作るというのも、市場原理主義の影響下から離れられる道かもしれないな、と思った。

 以前の日記で、私達はあまりにも大きな組織に依存するようになった挙げ句、本来、自分達の生活の一番身近な所を支えていた小さな組織を、自らバカにし、粗末にして、大きな組織に売り渡して来たのではないか、といった事を書いた。
 その点を反省する人々が増えたら、またもう一度、自分達の手で小さな組織の再生をしていくという事になるのだろう。

 その出発点として、自分達の飲食をまかなってしまう市場(いちば)を、自ら作っていこうというのは、とても象徴的で相応しいと思う。
 悪政に対する批判も大事で、これからもしていかなければならないが、同時に、みずからの生活の存立基盤を、みずからの手で作り上げて行く行為も、平行してやるべきだと思うな。

 悪政の手の及ばない世界、悪政よりも力強い世界をとりあえず作ってしまえば、そこから先は、どうにでもなるだろう。

冬木立

 市場(いちば)を自分達の手で作ったとしたら、次の目標となると、自分達でお金を出し合って・・・つまり、自分達で「税金」のような寄付を出し合って、自分達の世界をより豊かにするような事業を興すことだろうか。

 公共事業なんて言うと、すっかり「税金の無駄」と同義語になってしまった観があるが、自分達のお金で、自分達の目的で、自分達の責任でやるのだとしたら、言葉の響きも変わって来るだろう。

 そんな時代が来るのかどうか。来るとしても、どのくらい時間がかかるかどうか。
 みんなでお金を出し合って、ラーメンと餃子の店を作るのは、もうやっちゃったけどな。

1月18日(月)

朝の雪(18日)

 この冬の牧馬の最初の雪は、なかなかの大雪になった。前夜がわりと暖かかったので、どうせたいして降らないだろうし、雪にすらならないんじゃないかと思ってたら、結局、30センチは積もっただろうか。これだけの積雪になると、軽自動車ぐらいだと、車が雪に乗り上げてしまって、冬タイヤの4WDでも走行は難しくなる。私も、この日は仕事に行くのを諦めた。

 重く湿った雪で、あちこちから雪の重みに耐えかねた竹や木が折れる音がする。他に音をたてるものが全くないので、余計にその音が凄みをもって響いてくる。中央本線も、雪による倒木が線路を塞いで、始発から運転が出来ない状態にり、これは丸一日その状態が続いた。藤野のあちこちで停電もあったらしい。
 学校は軒並み休校。前回の日記で紹介した19日に行われる予定の「ビオ市・野菜市」も中止とのこと。

 雪は9時頃から雨に変わり、その雨もお昼前に止んだ。とはいえ、車で外出できない状態はずっと続き、牧馬の道路に除雪の作業車が来たのは夕方の6時頃。積雪の量が多かったためか、いつもよりも除雪に時間がかかったようだ。

 牧馬の道は県道なので、それでも除雪の優先順位は早い方だ。これが、大きな道路から枝別れした細い農道なんかは、除雪は更に遅れる。そんな道の奥に住んでいる人は、雪が降ると判っている前日の内に、自家用車を大きな道路の所まで移動して置いておく。仕事に行く時は、自宅からそこまで歩いていって、そこから車に乗る事になる。

今回の雪は折れる枝が多かったです

 幸い、牧馬では停電はなかったものの、藤野で停電が起こった原因の多くは、たぶん、雪の重みで垂れ下がった木の枝が、電線を切断したんじゃないかな。実際、停電にこそ至らなかったけれど、電線に垂れ下がった木の枝があちこちにある。

 これは前にも書いた事があるけれど、ここらで、行政の事業として、道路の両わき5メートル程度の木々は事前に切り倒しておいた方がいいんじゃないか。雪だけでなく、台風の時の強風でも、倒れた木が電線を切断する事故は、いまや慢性化している。

 これは、山里の暮らしの変化も一因があるだろう。昔は炭焼きが盛んだったので、道路沿いはもちろん、山の木々は大木になるまで成長するに任せるという事はなかった。炭焼きに適度な太さの木になったら、その時点で切り倒されて炭にされ、それ以上大きくなる事は少なかった。
 木炭の産業が衰退し、木が伐られる頻度は減少した。それに伴って、山の木は大型化していく。

 道路沿いの木だけが問題じゃない。住宅のそばに生えている木や、住宅の庭に生えている木も、これから問題になって来るだろう。こんな木が、いつのまにか大きくなっていて、風や雪で倒れたら家を損壊しかねないと気付いた時に、そんな木を、家を傷つけないように上手に伐っていくのは、大変な技量と機材が必要になる。もちろんお金も。

 「木を育てる」なんて言うと、いかにも環境に優しい行為に感じるかもしれないけれど、その木の成長に将来に渡って責任が持てるのか、という問題が、これから大きく問われてくると思うな。

夕暮れ時の除雪作業

 そういった、道路わきの木とか家のそばの木なんかは、どんどん伐って燃料にしてしまえばいい、という考えもあるだろう。私もそう思う。
 案外そこで問題になるのが、広場の確保なのだろう。木は、伐っただけでは燃料にはならない。伐って薪の大きさにして、それを1年かけて乾燥させないと、生の木は燃料にはならない。その乾燥の為の場所が、けっこう広大な面積を要求するのが難点で、おまけに、できれば屋根付きの広場である方が、燃料としての薪作りには望ましい。

 逆に言えば、そんな広大な薪の乾燥の置き場があって、そこに自由に伐った木を持って行って置いてもいいし、また薪が欲しい人は自由にそこから持って行ってもいい、という場があれば、薪の利用はずいぶん楽になるんだけどな。実際、そういう事業をやっている自治体もあるようだ。

 この木の問題。うまくいくと喜ぶ人だらけになるんだけれどな。
 木を伐るのにはお金がかかるし、木を運ぶのにもお金がかかる。伐った木をゴミとして処分するのにもお金がかかる。そして、薪を欲しいと言う人だって、いざ薪を買おうと思ったら結構なお金がかかる。
 これが、薪の利用が地域の文化として定着していれば、それぞれの立場の人たちの出費が押さえられて、困る人がいなくなるのだけれど。

 電力会社なんか、毎年のように、電線にかかりそうな木の枝を伐っている。伐った枝は、廃棄物として金を出して石油を使って燃やしているのだろうが。
 そこに、薪が欲しいと言う地元の人々との、お互いが得をする連係はできないものか。

雪のあがった空

 こんな薪の利用の問題一つをとっても、お金をかけずに、みんなが得をしてみんなが喜ぶような仕組み作りの余地は、まだ世の中にはあるはずだ。
 そんな語り合いが、もっと多くの分野で進むようになってくれるといいのだけど。

1月25日(月)

1車線だけ除雪した篠原(19日)

 23日の土曜日にまた雪が降るような予報が出た時は、「また雪か」と不安になったが、これは夜にパラパラと降る程度で終わった。その変わりに、翌日の日曜日から真冬らしい寒波が押し寄せて来て、北風が吹き抜けた。特に西日本は寒波の影響を強く受け、奄美大島では115年ぶりの雪が降ったとか。
 牧馬でも、用心しないと朝には水道管が凍り付く寒さになっている。

 先週の、日曜日の夜から月曜日の朝にかけての大雪は、道路の除雪にけっこう手こずったみたいで、大きな道から枝別れした小道なんかは、未だに除雪が終わっていない所がある。というか、これって、除雪の作業を業者が忘れちゃったんじゃないかなぁ、という所も。

 雪が月曜の朝に止んで牧馬の県道に除雪車が来たのは、その日の夕方。でも牧馬峠の開通は、更に翌日の夜までずれこんだ。牧馬の隣の篠原も、除雪は遅れ気味で、とりあえず救急車とか緊急車両が通れるように1車線だけ除雪して、きちんとした除雪はまた後日というやり方が採られていた。

 話を聞いてみると、どうも除雪の遅れの原因は、いつもよりも重い雪質らしい。この雪質自体も作業に手間取るが、その雪が沢山の倒木を道路に横たわらせて、それを除去しながらの除雪だったのも、作業を困難にした。
 車で道路を走っていると、あちこちにチェーンソーで切り倒された倒木が置いてある。

 小さな農道の除雪

 こういった道路の除雪作業は、地元の土建業者が自治体から依頼されて行う場合が多いが、それだけに、地元密着型の、地元の土建業者の存在意義が重要になってくる。
 いや、雪対策だけでなく、大雨などで土砂災害が発生した場合の復旧作業も含めて、その地域の地理や風土をよく知っている土建業者の重要性は、改めて説明するまでもないだろう。

 「土建国家」という言葉に象徴されるように、無用な土建事業を行って税金を使い潰して来た負のイメージが、土木業界にはある。しかし、山里に住んでいると、地元密着型の小規模な土建業者は、山里には不可欠だなァとも思う。

 近年、不況の影響か、大手ばかりに仕事を取られる事態が続いているせいか、それとも公共事業自体が減少しているせいかは知らないが、地元密着型の小さな土建業者は数を減らしつつあるという。

 持続可能な社会のあり方を考え、それが持続可能な山里のあり方を考えた場合、地元密着型の小さな土建業者の存在が持続可能かどうかも、大きな問題になってくるだろうな。

 山里が持続可能かどうかは、いろんな職業が持続可能かどうかの問題でもあるのだろう。農業や林業だけでなく、例えば猟師が持続可能かどうか、とか。

道志川

 先日、いろんな人と話す機会があった。その時に私は、今の時代は「老賢人」のイメージが、人々に求められていないし、人々に共有されていないんじゃないか、といった事を話した。
 「老賢人」のイメージと言えば、古今東西、だいたい相違はない。東洋だったら老子のイメージが浮かぶし、西洋だって、映画「ロード・オブ・ザ・リング」のガンダルフのイメージなんて、そのまんまだろう。

 白髪に長い白ヒゲ。手には杖とかを持っているけれど、気力や体力が衰えているわけではなく、長年に渡って積み重ねて来た経験と、それに基づく知性と人格の持ち主で、物語では、子供や若者を励ましたり教え諭したりして導いて行く役割を担う。

 あからさまに言ってしまえば、「早く死なねえかな、この糞ジジイ」と思う老人ならいくらでも思い付く。年をとるという事は、肉体だけでなく、精神も衰弱させるのが普通だ。

 相手が年少者とみれば、相手の事なんか理解する前からバカにしてかかる。そして出てくる自慢話は昔の事ばかり。
 かといって、反対に気分が落ち込めば、ひがんだり延々と愚痴をこぼしたり。逆にキレやすくなって言葉や振る舞いが暴力的になったり。

 これは、自戒をこめて書いている。私だって、加齢に伴って気力が衰えて来たら、若者から蔑まれるイヤな存在になる可能性が高い。

夕雲

 果たして私は、年をとった時に、若者と同じ目線に立って、会話を交わせる存在になれるかどうか。
 人々から尊敬させる存在になる事は、とうに諦めているが、せめて、年少者から嫌がられたり敬遠されたり煙たがられる存在にはなりたくないものだ。それは決して、若者に調子を合わせて、若者に媚びへつらうという意味ではない。

 年令を重ねても、精神の柔軟性を保っているか、みずみずしい感受性を持ち続けているか。
 「老害」なんて悪口を言うのは簡単だが、自分がそうならないためには、今の自分の生き方が誠実なものかどうかで左右されるのだろう。