2015

8月

8月3日(月)

道志川

 いよいよ暑くなって来た。全国各地で猛暑を伝える話が聞こえてくる。道志川沿いのキャンプ場も、川遊びのお客で賑わっていた。先週までは、暑くなっても雲がしょっちゅう湧いては雷雨になったりして、いまいち夏になりきらない所があったが、とうとう夏本番になったのだろうか。

 この夏も、篠原に福島から子供達が保養にやってきた。その様子がブログにアップされてます。こちらも、川遊びとか楽しんでますね。
こちら>>

 こういう活動にボランティアで参加している方々にはホントに頭が下がる。まあ、私も一日だけ、手伝いとは言えない程度の手伝いをしましたが。
 興味深かったのが、かつてこの保養に参加した小学生だった子供が、今は中学生になって、今度は子供達の相手をするボランティアとして参加してた事。いつのまにか、そんな月日が経っていたんだなと思った。

 夜になると、どこかから聞こえてくる祭り囃子の音。山をいくつか越えた所から、風に乗って流れてくる。
 いかに暑い夏だとて、山里は熱帯夜が無いのが救いだな。昼間はさすがに暑いけど、夜になると冷房が欲しいとは思わない。夜の時間も伸びて、今では朝の4時半でもけっこう薄暗いし。

 これも道志川。伏馬田の集落に行く途中の橋の上からの景色。

 前々回の日記で、現代の社会が抱えている混乱の原因は、技術の進歩による雇用の喪失とからんでいるのではないか、と書いた。

「技術の発達で、100人の生活を維持するのに必用な労働力が、10人で済んでしまうような世の中になったら、あとの90人は何をしたらいいんだ」
 実際、この仮定は、すでに冗談でも笑い話でも空想話でもなく、現実的な問題になってきていると感じる。しかし、この点を真正面から論じる政党は、与党はもちろん、野党にもない
・・・と。

 これまでは当たり前のように、「生活するためには仕事をしなければならない」という考え方を、世界のほとんどが受け入れて来た。人々の仕事の大半が農業だったような時代なら、それでも良かったかもしれない。

 しかし、技術の発達で仕事の減少が可能になってしまうと、「仕事が無いから生活できない」という人々を産み出してしまう時代になってくる。

 仕事量と人口が一致しない社会。かといって、仕事の無い人は生存ができないというわけにもいかない。こんな問題を解決しようと言う発想の一つが、ベーシック・インカムの導入という事なのだろう。オランダのある都市で、その実験が始まったそうだが。

 とにかく仕事があろうとなかろうと、「生存に必要な程度のお金はあげる」、というこの制度。試みとしては面白いけれど、私は賛成していない。最大の理由は、このベーシック・インカムを運営する母体に、恐ろしいほどの権力が集中するのではないか、という危惧があるから。

 人々の生殺与奪の権を握ってしまう機関が誕生し、その機関の意向には逆らえないような世の中になったら、それこそ恐怖政治だろう。なので、この制度を運営するのなら、あらかじめ制限が不可欠になる。例えば、運営の母体は、人口1万人以上10万人以下の自治体に限る、と大きさに制限を加えるとか。
 この制度を使うのは、震災等で被害を受けた地域に限り、それも期間も10年と限るとか。

 どんな制度も、始めは「良い事」として始めるにしても、後になって思わぬ副作用に悩まされる可能性についても考えておく必要があるだろう。

夏の家

 私としては、ベーシック・インカムを行うのなら、お金ではなく原物を渡した方が良いと思う。衣食住のそのものを渡してしまうのだ。家もあげてしまう、食料もあげてしまう。食料の場合は、食料だけに通用する食品券を渡すとかでもいい。

 ただし、タダではない。この制度を望む人は、例えば週に1日か2日、指定された仕事をしてもらう。この仕事も衣食住に関係していて、農業や食品加工、食堂の仕事とか、家の建築、痛んだ空き家の修繕や改築作業とか、それぞれ、自分の得意な仕事を選んでもらう。

 こうして、ベーシック・インカムに必要な衣食住の原物は、ベーシック・インカムを利用する人々自身によって産み出すような仕組みなら、自分も賛成できるんですけどね。これだったらお金もかからないし。

 この手法、「農」が重要に関わってくるので、農地がほとんどない都会では難しい。なので、この制度を利用したいという人は、都会から離れて農村に移住するような形になってしまう。それが欠点かもな。

 ただこの事は、見方を変えれば、今までとは異なる形の世の中を作ろうと思ったら、都市よりも、そこから離れた所の方が実験しやすい、という事でもあるのかもしれない。

陽ざかり

 現政権の政策に反対する活動に、若者達まで参加するようになって来た。立派だなあと思うし、自分の思うように好きにやればいいと思う。

 ただ、いずれは、何かに対して反対する行動から、何か価値のあるものを「産み出す」行動へと歩みを進める、そんな可能性もある事を、心のどこかに置いて欲しいなあとも思った。

 結局、戦争のない世界を作るのなら、「他人を不幸にしてまで自分の幸福を得ようとしなくてもいい世界」を、どう作っていくかにかかっている。他人(他国)を踏み台にしなくても、十分に自分自身で幸福になれる世の中のあり方。
 こんな世界を自力で創造できる知恵と力があれば、今の政権だって、ひとたまりもないだろう。

 こんな知恵や力を身につけるのなら、旅に出て、違う世界に触れるのもいいですよ。

8月9日(日)

相模湖

 押し殺されるような猛烈な暑さの日々が続いたが、この土日は、少し雲も出て、涼しい風も吹いて心地よかった。こんな時に油断すると、それまでの夏の疲れが一気に押し寄せて来て寝込む事になる。
 立秋を過ぎたわけだが、この夏は、これから秋の気配が進んでくるのだろうか。それとも、9月下旬まで情け容赦のない猛暑が続くのだろうか。

 ああそうだ、今後の天気の予想といえば、最近、こんな事を特に考える事が多い。ちょっとだらだらした文章になってしまうけれど。

 東京五輪のエンブレムが別のデザインと酷似していると言われている件で、デザイナーの佐野氏が会見して、自身のデザインに対する考え方や制作意図などを解説した。
 この報道に接して、「これは困った事になるんじゃないか」と思った。

 私自身の考えを先に言っておくと、盗作では無いと信じてもいい、たまたま似る事もあるだろう、しかし、私の目には「似すぎていて、使うのが躊躇われるレベル。変えた方がいい」というものです。
 私が何か会社を興して、そのマークを作ってもらって、そしてそれが、ここまで似た物が既にあると判ったら、「あなたを(盗作したと)疑うわけではないが、他のものに変えてくれ、さもないと、大手を振って『我が社のマークです』とは言えやせん」と言うだろうな。

 まあ、私の感覚が,人間の最も標準的な感覚とは言えないとは思う。このエンブレムの問題に接して「全然似ていないじゃないか」と言う人だっているだろう。
 ただ私には、庶民感覚としては、このエンブレムは「似すぎている」と言うところに民意の重心が行き着くのではないかと想像しています。これは、電話帳とかを使って無作為に人を抽出してアンケートでもとらないと判らない。

 で、前述の「困った事になる」と書いた件ですが。
 佐野さん、自身のデザイナーとしての考え方の説明に終始しているように、私には感じた点が、「困った事になったな」という理由です。
 一言で言えば、「民衆の心に向き合っていない、民衆の心をつかむ姿勢が無い」。

つらなる山

 今回のデザイン、前の東京オリンピックの亀倉雄策氏の考え方を継承しているとか。しかし、亀倉雄策さんが東京オリンピックのデザインでやった最大の功績は、オリンピックにさほど関心を持っていなかった人々に、効果的にオリンピックに関心を寄せるように、人の心を持って行くデザインを打ち出した事にあるんじゃないかと、私は考えています。
 人の心をつかみ、誘導するのに長けたデザインだったと。
 民衆の心を掴むのが、デザイナーに求められた資質なら、今回の会見は成功だったのかどうか。

 この件に接して、私自身、いろいろ思い出した事がある。
 デザイナーに限らず、芸術の世界って、一般からは、時に冷笑的な目で見られる事が多い。
 広告チラシの裏にボールペンでぐしゃぐしゃと勝手な殴り描きをして「ピカソが描いたといえば、これでも100万円にはなるんだろうな」と言われた事がある。ピカソはけっしてそんな単純でふざけた存在ではないけれど、芸術って、庶民にはわけの判らない事をやって、それもたいして労力も要しない事をやって、大金をせしめる連中だろう、と思われている所って確かにあるのね。

 ある抽象画を描いている人が、自身の作品を説明している時に、「まあ実に、芸術家と言うヤツは、たくさんの言葉を必用とする連中ですな」と皮肉を言われた場に居合わせた事がある。絵描きなら、絵だけで人を感動させて納得させてみろ、と言う意味だろう。
 その人は決して、難しい専門用語を並べて、自分の作品を高尚なものとして見せようと人を騙しているわけではなく、誠実な解説をしていると私は思っていた。
 しかし、一般の人から見れば、どうでもいいような作品に、やたらカタカナ言葉を羅列して、人々をケムに巻いているんだろうと思われがちな状況も、私は知っているし、実際、そういう作家も多いだろう。

 絵だけでなく、演劇も写真も音楽も、「芸術」と名前が付いた時にうさんくさくなる雰囲気。

やまなみ

 話が長くなってしまったが、佐野さんの今回の説明も、デザイナーの仲間たちは理解したり、人によっては賞賛するかもしれない。しかし、相手が民衆だと、これでは火に油とは言わないまでも、民衆を味方にする力は無かったと思う。

「偉そうな事を言いやがって、じゃあお前だったら、こんなときどうするんだと言うんだ」
と言われそうだな。

 私が漠然と思ったのは、一度、車から降りて自力で歩いてみたらどうだ、という考え方。
 どんな分野の芸術でも、それが何世代にも渡って続いてくると、伝説的な巨匠や先人が現れて来て、それらが権威になり、「私たちも、先人の偉業を継承発展させる一員になろう」と理想に燃える若手も現れてくる。
 しかし、それは同時に、芸術が「民衆のための芸術」から「芸術のための芸術」になって行く過程でもある。
 一度、「芸術」という車から降りて、権威も何もない地平に降り立って、一般の人と同じ歩調で歩いて、人々を感動させる事が出来るのか、やってみる時に来ているのかもしれない。
 今回の件、デザインの世界だけでなく、あらゆる芸術にとって、一つの峠の場になったのではないか。

 以上のような文章を、別のサイトで書いたのですが。ここからが、私が天気予報を連想した話です。
 このエンブレムの件。いろんな人がいろんな事を話しているけれど、その多くは「似てる」か「似ていない」という話で終わっていて、その先の客観的な真実を知ろうという姿勢がなく、主観の表明で留まっている。

夏の午後

 引用した文章にも書いたように、電話帳とかを使って無作為に人を抽出してアンケートでもやって、(1)似ていると思わない、(2)似ていると思うけれど、デザインを変更するほどではない、(3)似ていて、デザインを変更した方がいい、といった項目を設けて、それぞれが何%になるのか。
 そういう事実を知ろうという雰囲気が、あまり感じられないのです。

 天気予報をする時に、それぞれの測候所から、天候や気温や気圧、風力、風向きなどの情報を集めて、それを基にして天気を予想して、明日が晴れるか雨になるかを考える。
 決して、自分は雨になると思うから雨になるんだ、とか、晴れて欲しいから明日は晴れるに決まっているんだ、といった主観の表明で天気予報をやるはずがない。

 あのデザインの件も、「自分は似ていると思う」とか「似ていないと思う」といった主観は、とりあえず置いておいて、正確な天気図を作るように、人々の民意はどこにあるのか、日本のデザイナーはどう見ているのか、世界の人々はどう見ているのか、世界の著明なデザイナーはどう見ているのか、それぞれの数値を出して、初めて正確な今後の推移も予測できるし、的を得た対応策も講じられるだろう。

 日本人って、問題を科学的に、客観的な資料を基に考えるのって、好きじゃないのですかね。やはり、論理よりも情緒が勝ってしまう民族性なんでしょうか。

 それは結局、戦争から何も学んでなかったという事に、なりはしないか。

8月16日(日)

ネコジャラシ

 葛の花が咲き、ススキも穂を出し始めた。暑い事は暑いが、数週間前の押し殺されるような暑さとは少し違う。徐々に「晩夏」という言葉が似合う雰囲気になってきた。

 ああそうだ、宣伝ですけど、8月18日(火)から8月27日(木)まで、東京は銀座の「ギャラリー SOL」にて、『極小展 in summer』に参加します。「極小」と名のるだけあって、様々な作家が小さな作品を展示します。私は0号を2点出しました。近くを通る事がありましたら、ぜひお立ち寄りください。
場所等の詳細はこちら>>

 夏の暑い昼間は、のんびりゴロゴロしながら心地よい音楽でも聴いてるのが極楽なんですけどね、実際は、暑い盛りでも働きますが。以下のリンクした音楽は、私が毎年夏になると聴く曲。リュートの静かな音色が心地よい。こんな曲を聴きながら、木陰でハンモックで寝たら最高でしょうね。
こちら>>

 でもなー、暑い時に無理して働くから病気になって医者が忙しくなったり、暑い中でも働くためにクーラーが必用になって、クーラーを作ったり設置したりする仕事で忙しくなったりするんじゃなかろうか。
 みんなが一斉に「夏の昼間は昼寝だ」と決めれば、案外、都会だって涼しくなるかもしれない。だいたい、都会の道を走る車の中を想像してみろ、みんな石油が燃えているんだ。サマータイム制導入よりも、ずっと省エネ効果は高いと思うんですけどねえ。

牧馬峠の工事箇所

 以前紹介した、牧馬峠の道路わきの崩落箇所の工事が進んでいます。「夏は昼寝をしてればいい」なんて言ったそばから、その言を否定するみたいだけど、たとえ夏が暑かろうと、しなければならない仕事もある。作業に当たっている方々は大変だろう。お疲れ様です。
 今までにも何度かここで書いたけど、これからは、道路でも建物でも「新しく作る」よりも、「維持・補修する」作業の方が、重要になり、数も増えるんだろうな。

 先日、これからの市町村とか、県とか、国とかが目指す目標って、何でしょうかね、という話になって。
 今までは、「焼け野原からの復興」とか、ものすごく判りやすい目標があったわけだけど、今は、その「とにかく建設」という過去の手法が、惰性で続けられ、借金を増やし続けている。

 ここらで、やれ道路を造ろうとか、建物を建てようとか、消費を拡大しようとか、これまでのやり方とは違う目標を掲げるべき時だけど、これがなかなか難しい。
 「成長拡大、何かを作る、何かを増やす」で今まできた人たちには、それとは違う目標って、ものすごく地味に見えて、魅力を感じないみたいね。だから時代遅れになろうとも、無駄な施設と借金を増やしても、何かを作る、何かを増やすという手法から離れられない。

 「静かなのんびりした暮らし」って、経済を活性化はさせてくれない。なので、なかなか自治体や県や国の目標に、「静かなのんびりした暮らし」というのは採用されないね。
 それを言ってしまったら、この世界を動かしている心臓(経済)が止まってしまう、という恐怖があるからだろう。

雷雲

 とは言うものの、このまま「成長拡大、何かを作る、何かを増やす」を続けても、この世界を動かしている心臓(経済)が止まる時は来てしまう。「その時」が見えて来ているから、世界各地で経済の破綻が発生しているのだろう。
 ここらで、何らかの道筋を探さなければならないが。

 世の中には、祭り好き、派手好き、景気が好いのが大好きと言う人もいれば、静かで穏やかな日常を淡々と過ごすのが好きという人もいる。それぞれの個性が、世の中にとって良い方向に働けばいいのだけど、世の中を壊す方向に働く事もあるだろう。

 商売が大好きと言う人だって、自分のやっている商売が、同時に世の中全体を良くするのに寄与している時は幸福だが、商売は必ずしもそんな理想的な状態ばかりではない。
 商売が上手く行かなくなると、「あなたはこの商品を買わないと、将来必ず不幸になって破滅する」と脅したり煽ったりして、無理矢理買わせようとしたり、他人を不幸にしてでも儲けようとする人も出てくる。これは、個性(その人の特質)の誤った使い方だろう。

 最近、「中庸」という言葉についてよく考える。中庸と言うのは、決して対立する意見の両者を、足して2で割るような「平均」の意味ではない。
 成長拡大が大好きという人も、あまりそういうのは好きではないという人も、共にそれぞれ個性を活かしながら、同時に「正しさ」に向かわせるような、基準と道筋を作る事が、中庸の意味だろう。

 今求められているのは、対立する意見の片方を潰して片方を残すのではなく、両方を活かして全体を幸福にする姿勢なんだろうな。

相模湖

 「時には危ない橋も渡る人」と、「石橋を叩いて渡る人」が、共同で仕事をしたら、それこそ喧嘩が絶えないだろう。お互いの個性が、その人の目には最大の欠点に見えてしまうし、共同で仕事をしていたら、仕事の方針で見解は180度食い違って、お互いが「あいつは自分のやっている仕事の邪魔ばかりしている」とハラをたてる。
 実際は、どちらの性質にも、それゆえの長所と短所があるのだけど。

 「中庸」が解っている人は、たとえ自分がこのどちらかに属する性質の人でも、自分の長所と短所、相手の長所と短所を冷静に見極められる人だろう。自分だけの価値観で、「自分が正しい、相手が間違っている」とは考えない広い視野を持っていて、自分も相手もお互いが活きるように実践もできる。

 いよいよ、そんな深みのある精神性が求められる時代になったような気がする。
 理想を言えば、「成長拡大、何かを作る、何かを増やす」行為は、これからは自分の精神性の分野で発揮できないものか。

8月24日(月)

雨の山

 この夏は、確かに猛暑を感じさせる日々もあったけど、さて暑い夏だったかと言うと、ちょっと違う感じがする。立秋を過ぎた頃から強烈な暑さは影をひそめて、わりあい過ごしやすい気候になってきたし、雨や曇りの日も多くなった。あまり「強い夏」という感じがしない。
 夏まっ盛りのはずが、台風がちょくちょく日本列島のそばを通過していく。本来だったら日本列島に台風を寄せつけないはずの大平洋高気圧が、思ったよりも力がないらしい。
 今年の夏を冷夏だと言ったら誰も賛成はしてくれまいが、私には、どうも冷夏の傾向をずっと保ち続けた夏だったような気がする。既に、牧馬では夜寝る時に、毛布一枚では涼しすぎて心細くなってきた。

 藤野各地の夏祭りも終わり、これから秋の気配が進んでくるのだろう。

 今回は特に書く事もないので、日頃考えているクダラナイ事でも。

 最近、「日本の中心」が、時代の変遷によって、どう変化して来たかについて気になっている。というのも、この事をじっくりと考察すれば、逆に未来の方向性も解ってくるのではないかなぁと思うから。
 とはいえ、私は歴史学に関してはズブの素人。なので、これから書く事柄も、かなり不確かで間違っている点も多いだろう。

 まず縄文時代にまで遡って考えてみる。その頃の日本の中心と言ったって、統一国家があるわけでもなく、それぞれの地域で集落を作って生活していたのだろう。

夕暮れ

 ただ、縄文時代の人にだって、「住みやすい場所」という意味での「中心」は合っただろう。たいてい、縄文時代の集落は、日当たりの良い丘陵地にある。たぶん、そういう土地に住んでいた方が、住み心地が良くて長生きできると知っていたのだろう。

 それが弥生時代になって大陸から米作りの技術が伝わると、急に低湿地の価値が上がってくる。じめじめしていて住み心地の良くない場所が、豊富な食料を産み出す泉に変わる。日本の中心が、山や丘から、平地へと移り始める。

 更に、金属、特に鉄の利用が始まると、日本の中心は九州に移る。ここで「日本の中心」が、地形的な話から、地理的な話へと移行していく。
 鉄を大陸からの輸入に頼っていた時代は、日本における鉄の窓口は北九州になり、日本各地から鉄を求めて九州へと人々がやって来ては、自分達の故郷の産物と鉄を交換して交易をした。

 それが、製鉄の国産化が始まると、相対的に九州の地位は下がっていく。日本における、統一的な王朝の根拠地として、どこが一番有利かという議論もあった事だろう。結局、それは近畿地方に決まった。確かに地理的に見ても、日本列島の中心に近い。

 すると今度は、「日本の中心」も、地理的な話から実力の話になってくる。ある時は宗教、特に仏教が日本の中心になったりしたが、平安時代後期から武士の実力が世の全面に出てくるようになる。それはやがて武士団どうしの戦いになり、豊臣秀吉の天下統一まで続いていく。

なんかこのところ、こんな湿った風景が多いです

 豊臣秀吉は、大阪に日本の中心を定めたが、「日本の中心」を考える上で、日本史上初めての試みを企てる。朝鮮に兵を出し、最終的には中国の北京に首都を構えるつもりだったそうだが、どこまで本気だったのか。
 この、日本はどこまでが日本なのか、日本列島の外にまで日本は拡大できるものなのか。この問題は明治時代になって、再びぶり返す事になる。

 徳川政権は、日本は日本列島の外は望まないと意思表示をした。そして日本の中心を関東に移した。近畿ではなく、東国を選んだ理由は何だろう。いろいろ理由はあるとは思うけれど、現在に至るまで首都であり続けているから、先見の明はあったと言って差しつかえはないでしょう。

 江戸時代の半ばから、日本の中心は武士から商人へと移っていく。これは明治の開国から更に加速し、海外との交易に適した港町に、工業も商業も集まってくる。山の人間が平地・それも海沿いの町に流れていく時代が、昭和の高度経済成長期まで続いていく。

 ・・・とまあ、ずいぶん大雑把だけど、こんな具合に日本の中心は、その時代時代に応じて変遷して来たんだろうなぁ、と考えてみたりしているのです。

 そして、じゃあ、これから先は、どう変遷していくのか。

相模湖の夕べ

 もはや世界的に大量生産・大量消費の時代では無くなっている。物の移動も減っていき、港町の価値が今よりは減じていくだろう。
 それから先は、やはり実力の時代になるのだろうか。これからの人を幸せにするのは何かで、必要とされる職業が決まり、その職業集団が日本の中心になるのだろうか。その職業集団は、武士団なのか宗教家なのか商人なのか、それ以外の何かなのか。

 これは、笑い話として聞いてもらってかまわないけれど、どうも私には、「徳の高い人間」という存在に価値が求められ、それが日本の中心になっていくような気がする。現状を見れば、ホントに笑い話以外の何ものでもないけれど。

8月30日(日)

このところ、ずっとこんな天気です

 8月も終わりに来たが、なんだか既に秋雨が降るような気候になっている。普通は9月のお彼岸の頃までは暑い日も多いはずだが、肌寒いような雨や曇りの日ばかり。週間天気予報を見ても、しばらくそんな天気が続きそうだ。
 あー、思いっきり洗濯物や布団が干せるような快晴が恋しい。子供達にとっても、海や川で遊ぶ気にもなれない夏休み後半だったのではないか。

 中国で爆発事故が起きたかと思ったら相模原の米軍基地でも爆発事故が起きたり、工場で大規模な火災が起きたり電車が止まったり。朝鮮半島で緊張が高まったり経済が激しく変動したり。なんだか慌ただしい。
 30日には、ミヤコで大きなデモがあったとか。国会議事堂で12万人集まったそうな。

 たびたびここでも書いてきたけれど、もうちょっと人々が本気で喜ぶような政治を、まともに取り組むような状態にならないと、こんな騒ぎはずっと続くか、もしくはそろそろ終わるかのどちらかだろう。
 「そろそろ終わる」とは、もはやデモの段階では留まらず、人々が具体的に、真に人々を幸福にするような世の中のあり方を、自らの知恵をしぼって創造し、提案してくるようになる事だ。

 世の中のあり方、税金の使われ方。今まであまり世の表に出てこなかった所まで、人々が勉強して積極的に提案するようになると、政治家は自らの武器を失う事になってしまうだろう。「武器」とは何かと言うと、「なんだかんだ言っても、政治は政治家に任せるのが一番確実だ」という信用と権威の事です。

 プロが権威を失った時、一般庶民から「なんだ、たいした連中じゃないじゃないか」と思われる。その深手は想像以上で、どうも最近はそんな事例が多い。オリンピックのエンブレムの類似事件に伴うデザイン界の話とか。

沸き立つ雲

 あのデザインの事件に関しては、以前この日記でも軽く書いた事があるけど、更に別の類似のデザインの話も出てきて、少しずつ問題は深まっているように私には見える。
 ただ私は、あのデザイナーが他のデザイナーに比べて極端に多くの問題を抱えていたと言うわけではないと考えている。デザイン業界がこれまで抱えていた弱点、それも、いつのまにか時代に沿わなくなっていた弱点が、たまたまあのデザイナーが地雷を初めて踏むような形で、あらわになったのだろう。

 このエンブレムの類似の件から、派生したその他の話も含めて、けっこう炎上気味にデザインが叩かれたが、これは、デザインという仕事が持っている、二面性に原因があると思っている。
 デザインは大衆的でなければならない。そして同時に、大衆的ではあってはならない、という矛盾した二面性。

 前者の「大衆的でなければならない」は、例えば良く知られている、非常口を示す、緑の地に白い人の形のマークのように、子供からお年寄りまで一目で理解できるものでなければならない。
 あるデザイナーが、デザインのまずしなければならない仕事は、人を安心させる事だ、と言ってたのを思い出す。ホームページのデザインであれば、そのページを見た瞬間に、これは何のページかが混乱せずに判る必用がある。通販で果物を買おうと思ってサイトを開いても、「えーと、このホームページでいいのかな」と人を不安にさせるようでは問題がある。

 後者の「大衆的ではあってはならない」も、人がデザインを求めるときの気持ちを考えれば自明だろう。だいたいそう言う時は、ちょっとおしゃれをしたいとか、高級感を感じたいとか、未来を先取りしてみたいとか、大衆とは一歩抜きん出た世界を目指す目的で使われる。大衆的デザインとは、平凡でダサイものだとされる共通認識がある。

ホント、こんな写真ばっかりだな(笑)

 デザインは大衆に奉仕するものでもあり、同時に、大衆よりも高い立場から大衆をリードするものでもある。これは、人によっては、「デザインは私たちの仲間なのか、それとも私たちを見下すエリートなのか」といった愛憎にも結びつく。
 今回の事件で、やや炎上気味に推移したのは、そんな人々の気持ちもあっただろう。こういった心理はデザインに限らず、様々な芸術には大なり小なり向けられる。しかし、デザインには特にその愛憎が極端に流れやすい。

 さて、じゃあ絵画はどうだろうと考えたとき、私には、いいぐあいに大衆と歩調があうような環境が出来つつあると思っている。

 インターネットの動画共有サイトでは、様々な画家が、自身の絵の描き方を公開しているし(たとえばこんなの>>)、絵の初心者、それも中学生位から、自作の絵をインターネット上に公開して楽しんでいる。
 今回のデザインの事件ではデザインを攻める側だったインターネットが、絵画では、絵画の大衆化の側面で力を発揮している。

 以前ここで、ピカソを「大衆にはわけの判らないものを作って高額をせしめているやつと認識されている画家」、といった文脈で書いた。しかし、初心者でも二〜三年絵を描いてみれば、好き嫌いはあっても「やはりピカソは凄いよ」と言えるようにはなる。
 大衆と芸術がケンカにならないためには、大衆と芸術家の間に立つ、「ちょっと芸術を趣味にしている人」の存在が、大きく作用するのだと思う。

 デザインには、なかなかそのような、プロと大衆の間に立つ存在というのが想像しにくい。これを解決する上手い方法があればいいのだが。

ススキ

 デモで政権を批判するのも大事だけど、問題の根本を考えてみると、問題の原因は、案外、自分自身が抱えている事が多い。
 この世界で戦争が絶えないのも、その原因を作っているのは、普通の民衆ではないのか。

 私達が破格の製品を買う時、そこには、世界のどこかで、奴隷のような状態で、その製品を作っている人がいるという事だ。自分の快楽や幸福の為には、他人を踏み台にしてもかまわないという状態が、当人は無自覚だとしても、存在はしているだろう。
 世界を平和にしようと思ったら、世界のどこの地域でも、普通に幸福に暮らせるようになるには、どうしたらいいのかを考える必要がある。

 ヨーロッパでは難民の問題が深刻化している。もはや、世界は戦争どころでは無くなっているのではないか。戦争なんかしたら、ますます多くの難民を受け入れなければならなくなる。なので、どうしたら難民を排出しない世界を作るのかが、今後の課題になるだろう。

 「積極的平和主義」なる言葉も、本来はそのための目的で使われる言葉ではないのか。