2014

9月

9月1日(月)

山の雨

 8月の最後の週は、しとしとと雨が続き、時にはセーターが欲しいと思う程に寒くもなった。もちろん、9月になっても30度を超える暑い日も多いはずだが、なんだか夏は終わってしまったような気分。道志川のキャンプ場でも、お客は賑わっていたけど川で泳ぐ人の姿は無かったな。

 個人的には、この夏は身の回りの物が、いろいろ壊れる夏だった。7月には水道の加圧ポンプが原因不明の不調で修理をし、次いで光ファイバーの回線が不通になって復旧をお願いし、8月になるとパソコンがおかしくなって・・・。この事は前回の日記で書いた。他にも壊れたものが幾つかある。
 さすがに、もうこれで厄も落ちただろうと思ったら、また光ファイバーが不通になった。こうもたびたび光ケーブルが不通になるのは、どういう原因だろう。

「こういう山の中だと、セミが原因という事がある」
 作業してくれた方が話してくれたけど、光ケーブルに蝉が卵を産みつける事があるらしい。その際、ケーブルを針のような器官でブスリと刺すので、光ファイバーを駄目にしてしまうとか。
「セミがねぇ」
 そんな悪さをするような虫とも思えない非力な蝉だが、ハイテクも自然の中に入ると意外な外敵に遭遇するものだ。こんな経験を経て、今の光ケーブルは蝉に刺されても大丈夫なように改良されているのだとか。

 ケーブルに絡まったつる草の除去作業

「光ケーブルが断線した所を計測してみると、あの茂みが怪しい。」
 作業の方は、機械を使って調べて、ケーブルが断線した所は、家から約160メートルの所だと見当をつけた。見ると電線につる草が絡みついている所が何ケ所かある。
「あの草を全部取り払って、新たにケーブルを引くしかないな。」

 なんだかエライ工事になってしまった。日を改めて、高所に絡み付いた木や草を除去できるクレーン付きの車を手配して、半日がかりの格闘の末にケーブルを木や草から自由にした。こういう仕事もしなければならないとは、通信会社も大変だ。幸い、涼しい曇天の作業だったが、不幸にして途中から雨の中の作業になった。

 こういう光景を見ると、なんだか申し訳ない気分になってくる。
「もしかしたら、『こんな山奥に住みやがって。だから過酷な作業が増えるんだ。』とか思ってないかなぁ」
 そう考えると、山奥に住むこと自体、罪悪みたいだが。

 人は過疎地に住むべきではない。みんなが都市にまとまって住めば、省エネ・省資源で、行政サービスも簡略化できる金のかからない社会ができる、という意見がある。

 私はこの考え方には反対だ。この考え方を更に進めれば、沖縄のような暑い地域は冷房の費用がかかるから人は住むべきでは無いという事にもなる。北海道のような寒い地域は暖房や除雪の費用がかかるから人は住むべきでは無いという事にもなる。世界全体を見れば、砂漠にも北極圏にも熱帯雨林にも人は住むべきでは無いという事にもなる。

 だとしたら、人間がこれまで全世界に広がって、それぞれの過酷な土地にも適応できる文化を作り上げてきた歴史は、意味のない事だったのか。

相模湖

 私は、「経済的合理性から人々は都市に住むべきだ」という主張には、人間の中の何かが「死んだ」ような感じがする。山の中に棚田を作ったり、水の少ない土地に用水路を引いたり、砂鉄から鉄を作ったり、美味しくて病気に強い農産物の品種を選んだり交配して作ったり、蒸気の力で物を動かしたり。

 人間の歴史は、知恵と工夫を使って、それまでできなかった事をできるようにし、それまで住めなかった所でも住めるようにしてきた歴史だろう。そんな、「切り開いてきた」人間の営みと、「経済的合理性から人々は都市に住むべきだ」という主張の間には、大きな性質の差がある。

 ・・・とは言うものの、私だって、山里も都会と同様のインフラと行政サービスを保証すべきだ、とは言えない気持ちもある。
 この日本列島の各地に、北国も南国も、山も海沿いも島も、田舎も都会も、それぞれの地域にそれぞれの文化と文明を発揮して人々が暮らしている多様性は理想だが、それにも限度はあるだろう。

ススキ、出始めました

 今回の光ケーブルの工事の方と話てたら、藤野でも、だいぶ光りケーブルでテレビが見られる地域が出来上がっているらしいと言う事を聞いた。残念ながら、まだ牧馬は、そのサービスは受けられない地域のままである。

 しかし、牧馬から道志川を挟んだ対岸の青野原という地域では、ケーブルテレビが来ている。光回線でテレビが見られる環境は、ここ数年でかなり広がってきた。牧馬だって、あと何年かしたら可能になるんじゃないのか。

 テレビがデジタルになるという事から、新しいテレビやアンテナを買わなければならん、牧馬のような電波が届きにくい所は、高い金をかけてアンテナを立てなければならんと騒ぎになったが、始めっからケーブルでテレビを見るように考えておけば、こんな混乱はしなくても済んだだろう。「地デジ化」には、相当、本来は使わなくてもいい金が、使われたのではないか。

9月9日(火)

人形劇を見る子供たち。一度見始めると誰も席を立てなくなる。

 先日、藤野でも秘境中の秘境と言われている場所でイベントがあった。藤野には幾らでも面白いイベントがあるので、それらにあれもこれもと加わったら自分の時間がなくなってしまう。なので、私が手伝いも含めて参加しているイベントは二つだけと決めています。このイベントは、その二つの内の一つ。

 それにしても、どうもこの祭りは雨に好かれているらしく、毎年、どこかで雨が降る。最初から最後まで雨に降られなかったのは、一回か二回くらいではなかったか。今回も盛大に降られました。昼間はまあ晴れてくれたのですが、夕方から雲行きが怪しくなり、夜になると激しい雷雨だもんな。

 とは言うものの、いつもだったら雨に降られるとブツクサ言う私ですが、この夏の西日本の豪雨被害を思うと、「まあイベントで雨に降られるくらいで文句を言っちゃあいけないよなぁ」と思えるようになりましたね。

 今回の日記は、いつもの駄文は抜きにして、祭りの写真だけにします。

→写真右

 楽器を持参してれば、誰だってそこらへんで即興のライブを楽しむ。そんな大人達を不思議そうに見る子供たち。

↓写真下

 遊びに来た子供向けの企画も多い。これは団扇に絵を描いてもらおうというもの。すでに団扇よりも先に顔に描かれている。

↑写真上

 実は親子の共演。このイベントも回を重ねるに従って、次の世代が活躍する機会が増えてきた。

←写真左

 ミュージシャンやパフォーマ−が、お客と一緒に楽しむのが、このイベントの良い所。あまり、「プロ」と「しろうと」の境界はない。
 写真は、タップのダンサーが子供達と一緒にタップを楽しんでいる所。

 同じ藤野在住の人でも、なかなか顔を合わす機会がない事も多い。こういうイベントの場は、そんな人たちの交流の場でもあります。久々に顔を合わせて「最近どう?」と近況を話し合ったり。

 野菜を使った握りずしの数々。美味しい食事を出す出店者もイベントに参加するので、食事の量と質には毎回恵まれます。

 子供達にとってはイベント会場だけが遊び場ではなく、会場の周囲の野山も、みんな遊び場でした。

9月15日(月)

田んぼに網を張る

 このところの猛暑傾向では、お彼岸頃まで30度を超えるような暑い日が続くのが普通になっていたが、今年は8月の最後の週から、ごくたまに蒸し暑い日はあるものの、涼しい秋めいた日々に入っている。最近は、朝なんかセーターが欲しいくらいに寒さを感じる程だ。
 もしかしたら、これが本来の日本の秋なのかな、とも思ったり。

 先日、自分も参加している田んぼの仲間で、実りつつある田んぼに鳥除けの網を張りました。鳥ってやつは、まだ稲穂の実が液体の頃から、実をちゅーちゅー吸い取って稲穂をカラカラにしてしまう。

 今年の田んぼは、スーダラな人間による稲作にしては珍しく、「今年は真面目にやろう」とお互いに言い聞かして草取りもしっかりとやったせいか、今の所順調に進んでいます。

 後はなぁ、イノシシが荒らしたり、悪天候にやられない事を祈るばかり。今年の夏は、全国的に猛烈な集中豪雨被害があったけど、広島の土砂災害みたいに住宅地が襲われた所はマスコミのたびたび報道するけど、農作物の被害も相当なものだろう。

 ある時は四国や九州で被害を出し、ある時は兵庫県や広島県で被害を出し、最近は宮城県や北海道で集中豪雨被害を出した。関東でもあちこちで豪雨があるけど、まだマシな方だ。特に神奈川県は平和なものだが、今後は判らない。
 やはり、自然に対する畏敬の念は、忘れちゃいけないなと思う。

豪雨被害を出す程ではありませんが、荒っぽい天気ではあります

 今年の2月の大雪もそうだけど、この土地に長年住んでいる人でさえ、「こんな事は今まで経験した事がない」と驚くような気象は、これからも続くのだろうか。
 私の予感としては、「続く」という前提で、いろいろ考え直さなくちゃならなくなるんだろうな、と思ってます。

 道路や建物の作り方、更には町の作り方も、「100年に一度の災害でも大丈夫」と胸を張れる基準で作っても、500年に一度、1000年に一度の災害にたびたび見舞われるようになったらひとたまりもない。

 幸か不幸か、これから当面、人口が減少していく局面にある。家を建てたり、町を作ったり、道路を作ったりするのでも、これからはあまり無茶な所には作らず、既に無茶な所に作ってしまったものは、安全な所に移築したり、道路のような動かせないものは放棄するような時代になるかもしれない。

 ここでなぁ、「いや、最新の土木技術を使えば、どんな危険な所でも安全に住めるようにできる」と、張り切る人もいるかもしれないけど、止めた方がいいような気がする。そういう無茶が通用するのは、お金が潤沢にある時だけだから。
 派手な開発に夢を求めるのではなく、堅実な守成を心掛ける時期に、とっくの昔に突入していると私は思うんですけどねえ。


牧馬の畑にて

 今年の春に牧馬に引っ越してきた夫婦が、私の家の近くでも畑を始めた(上の写真の二人)。この方々、別の場所では稲作をやっていたり雑穀を育ててたり、あちこちの場所で農作をしているらしい。牧馬でも、少しずつ「次はあれを植えよう、次はあれを育てよう」と畑を広げている。活力のある人たちだ。奥さんの方は狩猟の免許も持っているそうだから心強い。

 こういうやる気と活力のある人には、山里の土地をどんどんタダで貸してやったらいいと思う。
 「タダ」というのが無茶に聞こえる人もいるかもしれない。でもね、例えば高齢化の進んだ山里には、家も農地もあるけど、兄弟も親族も、だれもその家には住んでいないという場合も多い。しかし、住んでないからといって、家の周辺や農地の草刈りをしないわけにはいかない。隣近所の迷惑になるからだ。

 そういう家の場合、業者にお金を払って、家の周囲や農地の草刈りをお願いする事もある。この金額だってバカにならない。
 そこで、畑をやりたいと言う人に、「草刈りはきちんとやる」と厳密に約束した上で農地を貸したら、お互いに良い関係になるんだけどな。こういう話がなかなか発展しないのは、「中には約束を平然と破る人もいるかもしれない」という不安があるからだろう。

 言い換えれば、日本人の精神的なレベルが倫理的にもう少し向上すれば(嘘はつかない、約束は守る、卑怯な事はしない、とか)、お互いに金のかからない世の中になると言う話にもなるのだけど、難しいかなァ、こりゃ。

夕日

 最近、こんな映像を観た。

「東京がどないした?」 徳島県が制作した動画『VS東京』が話題に。
こちら>>

 おおー、元気がいいなあ〜。
 もちろん、この映像をおもしろ半分にからかうわけではなく、「その意気やよし!」と思いましたよ。
 自分が住んでいる所は「東京の『従』」ではなく、「自らが主人だ」という意気込みと覚醒から、地域の再生は始まるのでしょう。
 あとはなァ、どうやって地元に具体的な産業を作るのか、という話になってきますね。

 現政権も、何やら地方の再生を政策課題として考え始めているみたいだけど、どうだろう。
 今の政権の精神性からして、地方が「自らが主人だ」と言い始めた時、そんな地方の意志を肯定できるだろうか。

9月21日(日)

彼岸花

 今年の秋は早足だ。残暑の揺れ戻しもほとんど無いままに、どんどん涼しくなって秋は進行していく。少し前は、朝晩はセーターが欲しくなってきたなぁと思っていたのが、今では曇りの日などは、昼間でもセーターが欲しくなるほどに。今年は冬が早いのかもしれない。
 ただ気のせいか、彼岸花に関しては咲くのが例年より、少し遅いような気もします。

 月曜日に休みをとれば4連休になるので、道を行く行楽の車も多い。
 こんなふうに車の往来が多い日になると、最近、ちょっとこんな印象を感じるようになった。それは「バイクの音がうるさい」、というもの。
 いや、これは決してバイクが悪いと言う話ではない。バイクの音がうるさいと感じるように、私の方が変化したらしい。

 理由をあれこれ考えてみて思い当たったのは、「バイクがうるさいのではなく、車が以前に比べて静かになったのだ」という事。車の走行音が静かになったせいで、相対的にバイクの音がうるさく目立つようになった、のではないか。
 ハイブリッド車のような静かな車が増えた。最近は電気自動車も走り始めている。普通のガソリン車だって、エンジンの音を遮音する工夫が発達してきた。もはや、自動車に関しては、エンジンの音よりも、タイヤと路面の接地している部分の走行音の方が大きいと思う。

 いずれ、バイクも自動車並の基準に音を小さくするような動きも、あるかもしれない。

網を張る

 前回の日記で紹介した、今年の春に牧馬に引っ越してきた夫婦が牧馬で始めた畑に、イノシシ除けの網を張りました。まだ甚大な被害は出していないものの、畑の周囲にイノシシがちょこちょこ掘り返した跡が出始めているので、イノシシ除けの必要性を感じたのか。

 この網、ある御縁で有害鳥獣除けの網を生産販売している三友漁網有限会社さんから、「うちの網をモニターとして使ってみますか」と声をかけて頂いて、それ以来、使わせてもらっているもの。
 上の畑、それまで自分が網を張っていた場所の近くですけど、網を補充して、網で囲う面積を広くして、この御夫婦の畑を守る事となりました。

 イノシシ除けにもいろいろ手段がありますが、網を使う場合は、こんなふうに、畑の面積や形に応じて、自由に気楽に設置できる便利さがありますね。畑の面積や形の変化に対応するのも楽だし。
 網の設置にあたって、これだけは念入りに注意してもらうように伝えました。それは、「網を地面に垂らした所を歩く時は、用心には用心を重ねて慎重に歩く事。走るなんて絶対ダメ。」

 それさえ守ってくれれば、他に危険はありません。この網を使う際の注意点とかを、以前この日記でも書いたので、そちらの方も御覧ください。
こちら>>

今年は栗も早いような

 最近見たサイトで興味深かったのがコレ。

病院がなくなっても幸せに暮らせる!
夕張市のドクターが説く、”医療崩壊”のススメ
こちら>>

 タイトルは過激だけど、いろいろ考えさせられた。
 財政破綻によって医療機関が激減した夕張市で、かえって住民が健康になっているという講演録。なるほど、そういうものかと思ったし、これからの世の中、この人が語るような社会になっていくのだろうなとも思った。

 ただ、現時点ではこの方の意見は、にぎり寿司のわさびのような少数派であって、だからこそこの方の講演には爽快感も伴うのだけど、この意見が世の中全体に公認されるようになると、気をつけなけらばならない事態もあるだろう。

 一番の不安は、医療に頼る事を「悪」とする思想が生まれないか、という点。
 「治る見込みのない病気であれば、その人は死を受け入れるべきだ」という考えが正義になると、それはそれで恐ろしい社会にもなりかねない。
 ありとあらゆる医療手段を使い、人からは「見苦しい」とまで思われてでも生に執着する人間だって、決して「悪」ではないはずだ。

 もちろん、どんな思想にも副作用はある。そんな副作用に用心しつつ、ここで言われている意見からアイデアをもらって実践してみたら、新しい可能性が開けるかもしれない。

ゆうやけ

 考えてみれば、医療が事業として拡大していく社会と言うのは、決して幸福なものではない。医療も消防署と同様、できれば活躍する回数が減れば減る程、世の中としては幸福な姿なのだ。
 一つ思うのは、やはりこれからは、薬や手術で「病気と戦う」のではなく、そもそも病気になりにくい体質や生活習慣を心掛けて、病気になる前に自分自身を「病気から守る」、予防医療の方向に進むのだろうなぁ。

 それにしても、夕張市のように、「世の中の形が壊れた」ところから、新しい気付きや提案が生まれてくると言うのが興味深い。既存の体制が立ち行かなくなった時に、人々は改めて考え、学びはじめるのだろう。

9月28日(日)

木陰の花

 始めは本州を横断すると心配された台風は、途中から温帯低気圧になって崩れ、続いて関東に直撃するかと思ってた台風は本州のずっと東へと流れていき、このところ清清しい秋の晴天が続いている。どうもこの台風の進路は、大平洋高気圧が弱いのか、それとも北の寒気が強いのか、いずれにしろ夏の弱さを表しているのだろう。気のせいか、空の雲の形が既に、私には冬の印象がある。

 長野県の御岳山で噴火があり、登山者にかなりの被害を出している。先月の広島県の豪雨被害もそうだけど、妙に天災に見舞われる年みたいだ。
 それにしてもこの噴火災害、いまのところマスコミは糾弾する姿勢ではないけれど、政府に落ち度は無かったのだろうか。事前に入山規制とか出来なかったのか。火山活動の活発化の徴候はあったと言われているが。

 御岳山を含む、富士火山帯全体の動きも気になってくる。白山、焼岳、富士山、箱根、八丈島、こういった火山の動きに、今後どんな変化があるかも気にしておくべきだろう。災害が、いつも自分の住んでいる所から離れた場所で起こると考えるのは間違いだ。

 そういやあ、今年の春に富士山の噴火について書いたっヶ。この時は大雪で屋根が壊れる被害が多かったので、富士山が噴火した時の火山灰でも、似たような被害が出るだろうな、と思って書いたものですが。
 興味のある方は御覧ください。
こちら>>

彼岸花

 このバカ日記では、ずっと地方の田舎での地域作りや地域活性化の事を書いてきたけど、最近になって、この手の情報に変化が出てきたように感じています。
 それは、これまでは全国での取り組みについての記事にしても、「いろいろ挑戦しています」といった、発展途上と言うか、まだ未来の成功に結び付けるような確信が持てない雰囲気の記事が多かった感じだったのですが、このところ、ささやかながらも、芽が出て葉を繁らせ、小さいながらも花も咲かせ始めたような記事を見かけるようになった。
 たとえばこんな記事。

“秘密基地”からはじまる地域変革! ツリーハウスづくりから銭湯めぐりまで、真剣に遊んで地元を盛り上げる「サルシカ」
こちら>>

 少子高齢化が進む地方で地域起こしを始めるにあたって、「まず自分達自身が、楽しく暮らしている様を発信していこう」という出発点が良い。これが下手な地域起こしになると、そもそもその土地には本来、無いものをよそから持ってきて「観光地」を作ろう(繕う)とする。これは、始めの1年や2年ならお客もくるけれど、たちまち寂れて遊休施設になるだけで終わってしまう。

 「村の寄り合い」ができる場所を作る取り組みも良い。地域から何かエネルギーを沸き起こさせるには、地元の方々と、新しくその土地に来た人々が、一緒になって飲み食いする場所があると、ずっとやりやすい。
 記事の終わりの方に出てくる、組織の「女性化」という発想も、いろいろ考えさせられた。

谷間のススキ

 またこんな記事もあった。

移住希望者を逆指名 IT企業が殺到する「創造的過疎地」
こちら>>

 徳島県の中山間地で、やはり少子高齢化の人口減で沈滞していく地域を、戦略的に「サテライトオフィス」の先進地域にしていこうとしている。人口減で増え続ける空家の有効活用を、企業のサテライトオフィスの誘致に活路を求め、今では移住希望者が順番待ちをするまでになっている。

 個人的に、この記事で心に残ったのは、地上波デジタル放送に移行する際に、県が全県にケーブルテレビ網を整備したと言う所。これで東京の10倍の速度でのブロードバンド環境が整った。
 藤野(というか相模原)もなぁ、同じ山間地の地上波デジタル放送の移行対策でも、こういう手段は考えられなかったのか。
 たぶん、こんな手段の選択・不選択で、未来を掴める地域と、掴み損なう地域の差が現れてくるのだろう。

 二つの記事に共通しているのは、どちらも10年くらい前に、行動を起こしていると言う点。たぶん、行動を始めた当初は、「そんな事をやって何になるんだ」と半信半疑の視線に晒されながらの出発だったんじゃないかなぁ。
 狙いが正しく、また手法も正しくても、実際に誰の目にも判るような成果の形ができるまでには、最低でも、それぐらいの時間がかかるのだろう。

ススキ原

 たぶん、これから、「あの町はすごい」とか「あの地域の取り組みはすごい」といった話が、更に輪をかけて数が増えていくだろう。
 ただ、ここで留意しておきたいのは、すごい地域とかすごい町とかは、最初はすごくない所から始まったと言う事だ。
「この地域には、自慢できるものは何もない」といった絶望に満ちた所から出発した地域もあることだろう。

 誰からも注目されない地域で、誰からも注目されない人々が、誰からも注目されない行動を、10年くらい前に、静かに起こしていたのだ。
 マスコミは、既に「すごくなった」ものを取り上げる。それはマスコミの特性として仕方がないのだけど、本当に大事で参考にするべきなのは、「すごくない」状態から行動を起こした、人々の心の中にあるのだろう。