2013

3月

3月3日(日)

山火事ではありません

 3月1日に春一番が吹き荒れた。翌3月2日は、牧馬でも今年初めてのストーブのいらない朝になった。もちろん、また何度も寒気はやって来るだろうけど。
 春一番の強風に煽られて、杉の林からは煙のような花粉が舞い上がった。花粉症の方々がこの光景を見たらこの世の終りかと思うだろう。花粉を餌にしている生き物にしてみれば、これも自然の恵みなのだろうが。

 フジノで持続可能な地域社会を作ろうと活動している「トランジション藤野」という団体には、いろんな部会があって、それぞれが多様な行動をしている。地域通貨もその一つだ。
 そんな部会の一つに「森部」というのがあって、この地域の森林と、今後どう向き合っていくべきか考え、行動しています。
 その森部が、ふじの自然学校『いのちめぐる風土の再生塾』という教室を行っている。早速その様子が判るレポートがアップされていた。

第一回、ふじの自然学校レポート
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 ポップコーンが焼けるのを行儀良く待つ子供たち。篠原の里の「里の市」にて。やや風は強かったものの、幸にして暖かな日でした。

 荒廃が進む土地には、水と空気の流れに問題を抱えていると言う。それを直す事によって再生させていこうという取り組み。このページを読むと、講師を務められている矢野智徳さんという方も、相当なお人だと思った。

あの人の“森”語り:矢野 智徳さん
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このページも興味深い>>

 私のような素人でも地下の水の流れが森の環境に影響を与える事は、なんとなく想像がつくけど、空気の流れがそんなに重要になるとはね。にわかには信じ難い話だけど、長年現場で自然を見続けて、実際に実績をあげてきた人の言う事だからなァ。
 何はともあれ本物の実力に勝るものはない。このページの沖縄でのジャガイモの収量の目に見える成果を前にすると、その道のプロって凄いなァとしか言い様がないですよ。
 藤野での二回目の教室は、3月24日(日)に予定されています。
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 こんな森の再生の話を聞くと、人間も同じようなモノなのかもなあと思った。人間だって食べ物が調子良く消化されて、調子良く排泄されて、血や体液の流れも滞る事もなく、更には私には判らない「気」の流れのようなものも順調になって、ようやく健康な身体になるのだろう。

 いや、身体だけじゃないな。世の中だって、お金やモノの流れ、エネルギーの流れ、人々の心の通いあいが滞るようになれば病的になるだろう。
 上述の講師の話と連想させるのなら、病的になった世の中も、空気の流れを良くしてやったら自然治癒力が発動するという話になる。

 ニホンって、やたらと「空気」に支配されやすい国民性だからねぇ。逆に言えば、空気が流動的になると、それまで遠慮してじっとしてきた人々までが自由気ままに動き出す事でもあるのだけど。
 震災以来、ニホンの空気はだいぶ流動的になって来たけど、本格的に風通しが良くなるのはこれからだろうな。

丹沢はまだ雪ですね

 私が想像するに、本格的に風通しが良くなる時というのは、決して大声で輝かしい未来を語ったり、勇壮なスローガンを掲げるようなものではないと思っている。きっと、もっと素朴で、節度のある願望の表明という形になるのではないか。

 健康的な自然から健康的な恵みをいただき、健康的な仕事(・・・自然界を破壊したり、自己の欲望の為に他人を踏み台にするような仕事は、当然これに該当しない・・・)をして、健康的な心で健康的な生活を送る。
 北米の先住民(インディアン)は、重大な決定をする時には、7世代先の未来の人々を念頭に置いて考えると言うが、子々孫々まで健康な世界が続いて行くために、今なにをすべきか。

 一昔前だったら、こんな事を言ってても夢想家の非現実的な提案として笑われてお終いだったろうけど、そろそろ違ってくると思う。

だいぶ光が強くなってきました

 昨年末の日記で「わたしゃ別にマヤ歴なんて信じていないけど、この2012年は、確かに何かの潮目が変わった年だったような気がする。」と書いた。もう少し具体的に書くと、今までが「無理を通せば道理が引っこむ」傾向が強かったとしたら、これからは「人々が道理を静かに掲げ続けて行くうちに、無理が少しずつ引っ込んで行く」ように変わっていくのではないか、と。

 まあこんな話はもういいや。
 最後に一つ個人的な宣伝です。このサイトを見ている人には、千葉県の柏市周辺に住んでいる方はまずいないと思いますが。
 3月6日(水)から3月9日(土)まで、柏市民ギャラリー(柏高島屋ステーションモールS館8階)で絵の展覧会をやります。いずれはフジノでもやりたいですねえ。
 詳しくは以下のPDFをご覧下さい。
こちら(PDF約280K)>>

3月18日(月)

開花

 あー、すっかり更新が空いちゃった。絵の個展が終わって、売れた絵を梱包して送り届けたり、他に確定申告が重なったり、てんわやんわでしたので。気付けば、すっかり春ですね。

 先日、牧馬の住人が集まって「地上デジタル放送を良好にご覧いただくためのご提案」という会があった。牧馬は地上デジタル放送が山の影響で受信できない環境にある事が判ったので、関東広域地上デジタル放送推進協議会が、「こんな設備を住民で共同で設置すれば大丈夫ですよ」という提案を持って来たもの。

 ところがこの提案と言うのが、牧馬の集落には明らかに荷が重過ぎるものだった。実現できる可能性はほぼゼロだろう。
 具体的に書くと、地上デジタル放送の電波が受信できる山の上にアンテナを建て、そこから牧馬の集落まで電線を引き、各家庭のテレビにつなげると言うもの。工事費を試算してみたら2000万円前後する。これに、国の補助やNHKの助成金を引いても、一世帯当たりの工事費の負担だけで10万円から20万円かかる。
 そのうえ、万一事故などで設備が壊れた時の為の保険に加入したりして、毎年けっこうな額の維持費が必用になるし、これらの設備を運営する組合を牧馬の住人で作らなければならない。

 あ−無理だ、と話を聞いて一瞬に判った。

早春の森

 費用の高さも問題だが、そんな設備を作ったところで、牧馬の住人では維持できない事が明白過ぎる点が最大の問題だろう。
 ひとり暮しのお年寄りには、確かにテレビは大事な娯楽だけど、そういったお年寄りが住んでいる家を、子や孫が受け継いで住む可能性が現時点では少ない。立派な設備を作っても、それを後世に伝え続けられるとは、とても思えぬ。

 ただ個人的には、この説明会を黙って聞きながら、内心ではニヤニヤと笑っていた。今、大騒ぎして「あと2年もしたら地上波のテレビが見られなくなる」と慌てなくても、いずれインターネットの光回線でテレビが普通に見られるようになるんじゃないかなァ。
 まあ、たとえ見られなくても、今やテレビもそれほど重要じゃないしね。

 この件に限らず、最近は「これこれこういう設備を作ったり購入したりするには、このくらいの金額がかかる」という話を聞いても、「まあしばらく静観していよう。こっちが慌てなければ、いずれ半値か、もしくはタダ同然で自分の所に転がり込んでくるものだ。」と思うようになった。

 あー、おれみたいな人が多いから、デフレが進むのかな(笑)。

 いま世間で騒ぎになっているTPPだってデフレ現象の一つだろう。全世界的に、仕事のネタがなくなりつつあるので、とりあえず国境を取っぱらってしまって、市場のグローバル化を押し進めて、市場の規模だけでも拡大しようというものだが、「仕事のネタの減少」そのものには歯止めをかける力がない。それどころか、世界的なデフレ傾向をかえって加速させる。

 2月25日の日記でグローバル経済について、こんな事を書いた。

 グローバル経済というのは、私には持続可能に見えない。結局の所、大規模な資本による大量生産で何とか経済を回そうとした挙句、「100人の生活を維持するのに必要な仕事量が10人で可能になったら、残りの90人は何をしたらいい?」という世の中を作るしかなくなる。行き着く先はイカロスの失墜だろう。
(中略)
 グローバル経済なんて言うと、まるで世界が拡大し、経済も拡大しているかのような言葉の響きがあるけど、実際は逆で、そこで進行しているのは経済の縮小再生産でしかない。

 今回のTPP騒ぎでは農業などが切り捨てられたわけだけど、今回TPPに賛成していた業界も、次のグローバル経済の試練では、自分達が切り捨てられる可能性がある事を、どの程度、考慮しているのだろう。

ホトケノザ

 それにしても自民党に限らず民主党に限らず、バブル崩壊以降の日本の政権は、それまで自分達を支えて来た支持基盤を切り捨てて安売りする事で、自己の権力の延命を謀ってばかりいる。正社員のリストラにせよ、郵政民営化にせよ、市町村合併にせよ、今回のTPPにせよ。
 気がつけば、政権に捨てられた人々の方が、この国の多数派になってしまったようだ。

 今まで同じような事を何度も書いてきたけど、「経済」の語源は「経世済民」。これは世の中を上手に運営して人々を救う、という意味だ。
 経済に持続可能性を回復させたかったら、この経済の本義に立ち返るしかないのではないか。

3月25日(月)

フキノトウ

 彼岸も過ぎると、フキノトウも可憐に地面から顔を出すという感じではなく、そこらじゅうからポコポコと沸き出すように生えてくる。まだ山の景色は茶褐色に枯れたままだが、これから徐々に緑に覆われていくだろう。

 もうそろそろタイヤを夏用に換えてもいい頃だろうか。四月に意外な大雪が降る事もあるので油断はできないのですが。
 先日、車のタイヤ周辺や床下に付いた泥汚れなどを水で流しました。冬に付いた泥汚れには、道路に散布されていた凍結防止剤の塩が混じっているので、車体に錆が出来やすくなってしまう。

 2月12日以来、牧馬峠は崖の崩落があって通行止めになっていたが(この事は2月14日の日記で書きました)、ようやく応急の工事が終わったようで3月26日から片側交互通行という暫定的な形で通行が可能になる。26日と書いたけど、実際には25日の夕方には通れるんじゃないかなァ・・・責任は持てないけど。
 崩落箇所の本格的な工事は、来年度から始まるらしい。

 春休み前に牧馬峠が通れるようになって、ホッとしましたよ。また篠原に福島の子供たちが保養に来るのですが、私も微力ですが、お手伝いする事もありまして。
 牧馬の自宅から峠を迂回して篠原に行こうと思ったら、えらい遠回りになる。

フキノトウのアップ

 先日、車を運転中に聞いたラジオで、面白い話があった。以下のポッドキャストで聞く事ができます。5〜6分くらいでしょうか。

『さとり世代』に学ぶべし!
 車乗らない、旅行しない、恋愛は淡白・・・こういう若者を『さとり世代』なんて呼ぶそうです。結果をさとり、高望みしない。そんな若者について、五郎さんの見方は?
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 聞いてて、いちいち納得しましたね。今まで世の中は、当たり前のように「欲しがらない若者」に対して、「不思議だ」とか「覇気がない」とか、もしくは「欲しくても、不景気な時代に生まれ合わせてしまってお金がない不遇な犠牲者だ」と、あたかも「欲しがらない」事を異常な事として批評してきた。
 でも、そうなのか。

 放送で山田五郎さんは、若者が「欲しがらない」のはむしろ自然ななりゆきだと喝破する。なぜなら、満ち足りているから。「ライオンだって十分な餌があれば狩りをしなくなる」という比喩は、まさに秀逸。

 放送の終盤で司会者が、若者にひもじい思いをさせたら、また「欲しがる」若者になるんじゃないかと言ってますが、これもなかなかの見識でしょう。
 ただ、私としては、山田五郎さんが話す、「社会の方が、欲しがらない若者たちに合わせて形を変えていくべきだ」という考えの方に、未来の必然性を感じます。

シーゲル堂にて 小さな人形たち

 21世紀というのは、たぶん、そんなふうに世の中が変わっていくんじゃないかなァ。今までの時代の様に、新しい権力が古い権力を倒して、新しい時代を作って行くのではなく、なんか人々から「憑き物が落ちた」感じで世の中が変わって行く。

 問題はその先だなァ。私には、人間という生き物が、満ち足りて、欲がなくなって、そのままで終わるとも思えないのです。
「ヒマだな〜、なんか面白れーことないかな〜」
 そんな状態になれば、また何か生き甲斐になるようなモノを探して、動き始めると思うのですが。
 さて、何を探すのでしょうね、未来の若者は。

 ああそうだ、個人的に「すげー、面白れーことやってるなー」と思わされた記事があった。

無個性で、町をおこすぜ、桃色ウサヒ
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 全編、笑いながら読んだけど、そこに潜む思考の確かさはたいしたものだと思いました。特にココロに刺さったのは次の箇所。

「本屋さんには並んでる町おこしの成功例の本とか見ると、『奇跡の町おこし』『奇跡の集落』とかやたらと『奇跡』って言葉で強調されて使われているんですよね。その事例自体はすごいんだけど、全国には1700以上の自治体があるわけで、奇跡の確率でしか町がおこせないのか、と思うと……。」

「町おこしって言葉は、僕が生まれた1980年代に出来た言葉なんですけど、かれこれ30年以上にわたって町おこしをやってるこの国で、奇跡の確率でしか町がおきていないのだとすると、もしかしたら、町おこしのやり方に、何か根本的に間違いがあるんじゃないかと思ったんです。」

ふじのキッズシアターにて 今年も素晴らしい劇でした

 記事の中で、盛んに「非主流」という言葉が出てくる。とぼけた、諧謔に満ちたトーンの記事だけど、私はこの記事を読んで、以前ここで書いた日記のこんな文章を思い出した。

「新しい時代を創造する人々が現れるのは、決して高層ビルの大都会でもなく、マスコミが注視する情報の発信地でもなく、権力や権威の中枢でもなく、むしろそれらから最も遠い所、例えば地方の畑とか町工場とか公民館とか、そんな所なのではないか・・・」

 「主流」のやり方では世の中が回らなくなるどころか、「主流」のやり方では世の中を破壊して荒廃させて行くばかりだとなると、「非主流」のやり方も、自然に世の表に浮上してくるだろう。