2014

7月

7月6日(日)

会場の旧牧郷小学校体育館にて

 6月22日の日記で紹介した「FUJINO 野楽り、暮らり。」に行ってみました。

FUJINO 野楽り、暮らり。
こちら(PDF約3MB)>>

 はっきり言って、イベントとしては、これといった目玉は無い。フジノにはいつのまにかいろんな活動をしている人や団体があるけど、数が多くなり過ぎてお互いの事もよく判らなくなってきたから、ここらで集まってみようじゃないか、というパーティーなので、どれくらいの参加者やお客が来るか全く未知数だったけど、フタを開ければ結構な盛況だった。

 果たして、このパーティーでどれだけの新しい接点や交流が生まれたのかは判らないけど、何らかの意義は確かにあったのだと思う。
 興味深い今どきならではの現象として、フェイスブックなどのソーシャルネットワークサービスでは、名前をちょくちょく見かけるけど、今回のパーティーで初めて直接対面して、お互いの顔を覚えた、という人が多かったらしいということ。私自身も、そんな人が何人かいました。

 どうも私は、インターネット上だけの交流というのは、本物とは感じられない。出合いのきっかけはネットでも、直接会って、一緒に飲み食いして、時間をかけて、少しずつ本物になっていくものだと思っています。

 ずらりと並んだ多種多様なパン

 「イベントとしては目玉は無い」なんて書いちゃったけど、これは目玉の一つだったかな。フジノに関わる自家製のパンを売る方々が、一堂に会してパンを販売した。
 丁寧にこしらえたパンがずらりと並ぶ光景は、なんか「豊穣」という言葉をそのまま具現化したみたいで豪華だったな。

 他に面白かったのは、この地域で鶏を飼育してみようと活動を始めた団体が、生まれたばかりのヒヨコを持ってきた事。これが子供達にはエライ人気でした。確かにヒヨコは可愛いよね。

 でもね、既に飼い始めている家を知っているけれど、こんな可愛いヒヨコも、今ではみんな一抱えもあるような鶏に成長しているけどな。
 あー、このヒヨコたちのすぐ近くで、盛大に焼き鳥の販売もあったのは、ちょっと複雑な光景だった。

 それにしても、派手な演出があるわけでも無く、この地域でいろんな事をやっている人や団体が集まって顔をあわせるだけの素朴な企画が、こんなふうにちゃんと形になって、人も集まると言うのは、よく考えてみれば凄い事なんじゃないかと思う。

 例えば、こういうパーティーって、都会ではかえって成立しないんじゃないかなぁ。
「何、イベントやるって、どんな有名人がゲストで来るんだ、誰も来ないって、誰が行くか、そんな所」みたいな反応が帰って来るんじゃないかしらん。

 現代人って、何か面白い事、楽しい事、生き甲斐になる事は、どこか外部から持って来るものだという考えに慣れ過ぎている。一種の権威主義だが。
 外部に求めたり依存するのではなく、自分たち自身で何か面白い事を始めて、それを育てて行こうとは考えない。

 ぴよぴよと可愛く鳴くヒヨコ。子供達に大人気でした

 でもなー、どんな権威もその出発点は、自分達で素朴な所から始めて、少しずつ育てた結果から生まれてきたものではなかったのか。

 政権が犯罪的手法で憲法解釈をねじ曲げる暴挙に出たが、私にはちょっと奇妙な印象がある。まあ以下は、まるで根拠の無い妄想話として捉えてもかまいませんが。
 首相の会見を聞いて、なんだか猿ぐつわでもはめられたように言いたい事を言えないような感じだった。この人は自分の言いたい事はべらべらと調子良くしゃべるけど、言いたくも無いことを無理矢理言わせられる時は、実にそれが判るようにしゃべる。日頃平気で嘘をつく割には、こんな所で正直だ。

 公明党から、あまり無茶をすると選挙協力をしないぞと脅されたと考えるのが自然かもしれないけど、私の妄想では、たぶん、最近になって、「虎の威を借る狐」の虎が、いなくなったか、もしくは何らかの理由で狐を助ける事が出来なくなった事情があったんじゃないかと思った。

 なんか、虎がいなくなって急におどおどし始めた狐に見えるんですよ。気のせいかなァ、気のせいかもしれないですね。

紫陽花

 歴史的必然として、虎がいなくなった「虎の威を借る狐」の運命は、それまで虎の威光を恐れてしぶしぶ狐に従っていたケモノから襲われる事になる。実際これからどうなるか判らないけど。

 もはや「戦争」も、所詮は大量生産・大量消費経済の最後の砦みたいなものだ。
 そんな砦に逃げ込むよりも、素朴な所から人々が集まって、何か面白い事を自分達で創造して行く方が、未来はあると思うのだけどねえ。

7月14日(月)

雨やむ

 11日の金曜日の早朝に通過した台風は、沖縄や九州では大変な猛威を奮ったものの、牧馬に来る頃には風も雨も穏やかなものに変わっていた。道志川の増水もたいした事はなく、「まあ、少し水量が増えて水が濁っているかな」と感じられる程度。
 それよりも凄かったのが、その日の蒸し暑さ。台風が南の空気を連れてきたのか、呼吸をするだけでも体力を消耗するような暑い日になった。それまで梅雨寒の気候に慣れていた身には、身体がついていけずに酷くバテた。
 このまま梅雨開けかなぁ。

 先日、自分も参加している田んぼの仲間で、麦の脱穀と豆畑と田んぼの草取りをしましたが、この日は金曜日ほどの蒸し暑さではなかったものの、それでも大汗をかきましたね。まあ、夏なんだから当たり前ですけど。

 以前、5月4日の日記で、こんな事を書いた。
夏の暑さは不快かもしれないが、汗をかくと、そこには重金属などの毒も排出されるという。
 夏の暑さも「身体から毒を出してくれる大事な季節」と思えば、不快だけではなく、有難くも感じられるかもしれない。

 まあ、その時はそんなエラそうな事も書きましたけどね。既に「早く涼しい秋にならないかなァ」と思ってますよ。

夕暮れの積乱雲

 汗も、夏の始めの頃は、ちょっと粘っこく、臭いもする汗が出るのですが、大量の汗を毎日のようにかいていると、やがて汗の質も変わってきますね。まるで水みたいに臭いもしないサラサラした汗になってくる。これって、汗腺とか皮膚の毛穴から老廃物が出尽くしたという事なんだろうか。
 ある方から「夏場にじゅうぶん汗をかくと、翌年の春に花粉症の症状が出にくくなる」という体験談を聞いた。もちろん、個人の経験であって万人に当てはまる花粉症予防策ではないかもしれないけど。
 発汗の効能を考えてみれば、ありうる話ですね。

 暑い季節が始まると、生活のリズムも変わって来る。私の場合、かなり朝型になります。私の考えとしては、サマータイム制の導入には反対なのですが(鉄道とか銀行のATMとか、無用な混乱の原因になると思うから)、個人で勝手にやるぶんには大いに結構ですね。
 朝型になる理由は、朝が涼しいから。できるだけの事は、朝の涼しい内にやっておきたい。昔のお百姓さんも、夏は日の出の頃から農作業を始めて、炎天下の昼時は休むのが普通だったんじゃなかろうか。

 東京みたいな都会もなー、正午から三時頃まで、とにかく仕事なんか一切しないで、車も一切動かさないで、休めっ!と決めたら、猛暑も少しは穏やかになるんじゃないのか。サマータイム制度よりもずっとエコだと思うんだけどな。

夕焼け雲

 今回は特に書くネタもないので、以下はとりとめのない事など。

 易経の64ある卦の中に「師」という卦がある。戦争の卦とされているが、現代では、そんなに物騒に考えなくても、集団で困難な事業に乗り出すとか、冒険的な挑戦の意味として捉えてもかまわない。ただし、実力も無い人間が安易に挑戦したら、失敗して大けがをする、という意味もあるので、厳しい卦であることには違いない。

 この卦の原文の最後には、こんな意味の一文がある。
「戦に勝利し、論功行賞を行う。功績のあった者には諸候として国を与え、または貴族として家名を与える。ただし、小人は高い身分を与えると国を乱す元になるから、とりたててはならない」

 現代的に解釈したら、事業に成功したら、ある人物は支社や支店を任されるとか高い肩書きを与えるが、人格的に劣った人間には、指導的な立場には昇進させてはならない、といった意味になるか。

 ところで、どの易の解説の本だったか忘れたが、こんな解釈を以前読んだ事がある。

月(7月11日、満月の一日前)

 確かに人格的に劣った人間に指導的立場を与えると、後にろくな事は無いかもしれないが、しかし、たとえ小人でも功績があったのなら、しかるべき報償がなければならない。相手が小人の場合、功績に対してどう報いればいいか。

「お金をあげなさい」

 この解説に触れた時、ちょっとドキリとした。
 人の価値を評価する時、金銭を与えるというのは、実は最低限の報酬のあり方で、実は、その上の報酬のあり方、高い次元の報酬のあり方、高い人格者に向けた報酬のあり方というのが存在していて、それは、多くの人々に影響を与えるような立場に推挙させるという事だと言う考え方。

 企業であれ、国であれ、こういう思想を語れる人間は、どの程度いるのだろう。
 いや、企業や国をあてにするのも無責任だろう。民衆自体が、こういう古典的思想を、日常会話のように語る状況があれば、政界も経済界も、自然と倫理的な緊張感は芽生えるのではないか。

『易経』師卦上六 大君有命。開國承家。小人勿用。

7月20日(日)

ツバメの雛

 先週にも梅雨明けかと思ってたら、意外と梅雨前線はしぶとく残り続け、この土日(19,20日)は梅雨寒を感じさせた。それでも、次の週の週間予報をみると晴マークが並び、さすがに夏に入るのかなと思う。子供たちも既に夏休みだ。

 7月6日の日記で、この地域で鶏を育ててみようと活動を始めている団体がある事を少し書いたけど、そこで「既に飼い始めている家を知っているけれど、こんな可愛いヒヨコも、今ではみんな一抱えもあるような鶏に成長しているけどな。」とも書いた。下の写真がその一例です。

 いやはや、あのヒヨコだった頃の可憐さは微塵も残ってない。これでは子供たちは泣き出すだろう。
 写真の左側に、太陽電池パネルとバッテリーと白い網が写ってますが、これは電気柵のセット。鶏を柵の外に逃がさないようにする目的もあるのでしょうが、イタチやキツネやハクビシンといった外敵から鶏を守る目的の方が大きいかもしれない。個人的には、タカやカラスといった空からの襲撃も心配してたけど、それは無かったみたいだ。
 それにしても、意外と小さな太陽電池パネルで、なんとか目的には間に合うんですね。

 鶏のおかげで柵の内側は雑草を食べてくれるので除草にもなる。いずれ、柵の内側の草を食べ尽したら、柵を別の場所に移動するのだろうか。

もはや、ふてぶてしい面構えの鶏

 動物を使った除草では、ヤギの利用が広く認知されるようになってきた。最近の記事ではこれが面白かった。

“働くヤギ”が都市部でも増加中!
除草だけじゃないヤギが切り開く「未開拓ビジネス」
こちら>>

 記事の中で個人的に特に興味深かったのは、日本でヤギが減ったきっかけというのが、政策による農業の大規模化が原因だという事。うーん、ここでも「大規模化」かー。
 最近、思う事に、世の中の閉塞状況を作っている最大の原因が、様々な分野での大規模化があるように思っている。身の回りの、ありとあらゆる物事の全てが大規模な力や組織で動かされているので、個人は無力感を感じやすい。「自分一人が何をやっても無駄だ」とか、「自分も、何か大きな組織に依存しなければ生きて行けないんだ」という感じに。

 私としても、大規模な組織の存在意義そのものを否定するものでは無い。大規模な組織によって初めて実現可能な仕事もあるだろう。
 でも、「食べ物」とか「働き口」とか、家族や地域の暮らしには、大規模な組織に依存しなくても安心して自立できる、素朴で身の丈にあった、自分達で動かせる小規模な仕組みがあった方がいい。それを作って行く事が、これからの目標になるのだろう。これは政府の仕事では無く、民衆自身が作る問題だろう。そうでないと本物では無い。

 咲き誇る山百合

 このところ、世界がいろんな所で壊れかけているなーと思わせる出来事が多い。壊れる前に、小規模なセーフティーネットを作っておく必用があるのだけど。
 なんだか世界もざわついてきた。もっとも、これも次の世界に行く為の必要なざわめきかもしれない。

 先日、知人とこんな話をした。今の世界は、だいたい三つの力に分かれつつある。一つは20世紀の覇権を握ってきた米英とその一派。もう一つは、米英とは異なる対立軸を育てようと動き出したロシアや中国といった国々。もう一つは国ではなく、経済的に力をつけてきたイスラムの勢力。

 この三つが、あるときはある陣営に対して秋波を送り、あるときは対立して距離を置き、中国の三国志みたいな状態になるのではないか。
 もちろん、三国志みたいに三国鼎立の状態が何十年も続くわけも無く、たちまち別の状態へと流動するだろうけれど、個人的にはこの状態に期待したい事が一つある。

 世界に強力な力が一つしか無い時には、安定はするが、世界の裏側に隠された闇の部分も強力に隠蔽され続ける。しかし、世界に力が複数あるときは、互いが互いの秘密をばらし合って、それまで隠されてきた闇の部分があらわになってきやすい。
 この際、次の時代に行く前に、裏側で隠してきた汚いものを全部吐き出してしまったらどうかと思う。もちろん、愚かな個人の期待にすぎないのだけど、どうなるだろう。

 今まで表に出て来なかったものを、どんどん表に出してしまおうという話で、興味深いニュースがもう一つあった。
 ある作家が性器を象った作品で警察に逮捕される事件があった(例えばこちら>>)。この作家、最近はこんな作品も作っているらしい。

ヤブカンゾウの花

 この作家に対して、猥褻か否かについて様々な意見があるようですが、私の印象としては「終わりの始まり」を感じました。このような活動を猥褻として迫害を加えようとする勢力の「終わりの始まり」です。
 たとえ、この作家に迫害が加えられても、同様な活動の盛り上がりは、今後、盛大になる事はあっても縮小する事は無いでしょう。

 一つ思った事があり。
 私たちの生活は、車もあり、夏涼しく冬暖かい家もあり、様々な娯楽もあり、だいたい満ち足りたように思える。
 すると、産業や経済には新しい仕事が少なくなってきてしまう。

 そこで、バカな男たちは戦争経済に活路を見出そうとした。
 その一方、女性は「生命」に関心を向け始めた。

 この戦(いくさ)、男の側は、勝てそうな気がしません。

7月27日(日)

7月24日の早朝のアートヴィレッジにて

 関東でも梅雨明けし、連日のように打ちのめされるような猛暑になった。そんな中、今までいろんなイベントが行われてきたフジノでも、「これは酔狂な」と思わせる企画がありました。
 なんと、平日の朝6時半から10時まで、コーヒーとマフィンの軽食はいかがですか、というもの。あと、一緒にラジオ体操もしましょうという、真面目なのかふざけているのか、よく判らないもの。とりあえず夏休み期間に三回やってみましょうとなり、24日にその一回目があった。

 そんな企画で客が来るのかねぇと心配になって、朝一番で様子を覗いてみたら、次々と客が来て、マフィンの方は早々に完売。コーヒーも評判が良かった。始めは「酔狂な」と呆れそうになる話だったけど、実際には、仕事に出かける前にコーヒーと軽食を味わいたいという客も多く、意外と実需のあるイベントでした。

 そういえばなぁ、フジノの駅前に、早朝からやっている喫茶店でもないかねぇ、という要望は、ずいぶん前から聞いた事がある。未だに、そんな店は実現していないけど、あればけっこう成功するかもしれない。

 もう一つ思ったのは、これからは朝のイベントも普通に多くなるかなぁという事。なんか祭というのは、午後とか夜とか深夜とかを想像しがちだけど、朝だけやってお終いというのも健康的でイイかもね。

 コーヒーとマフィン。マフィンが小さく見えるのは、コーヒーの容器がやたらと大きいため。

 そう言やあ、私だって真夏は朝型だもんな。家の周りの草刈りだって早朝以外には、とてもやるきになれない。下手に炎天下で作業を続けると、簡単に熱中症になってしまう。

 私自身、熱中症になった事は何度か昔にあり、その経験で、熱中症にならないための工夫も自己流だけど持っている。その工夫の一つは、とにかく無理をしないで、早め早めに休みをとり、熱中症に近付かないために「自覚的に・前もって」注意すること。

 熱中症の怖いところは、「あれ、なんか気分が悪くなってきたな」と感じた時には既に手後れという事。そうなってしまうと、その日は丸一日、頭痛や吐き気で寝込む事になるし、慌てて水風呂に入っても体温は容易には下がらない。
 なので、「気分が悪い」といった自覚症状が出る前に、自分自身に「熱中症警報」を出して、身体を冷やすなりして対策を始めなければならない。

 これは私の素人考えで、ちゃんとした医療の知識では無いのでアテにされたら困るけど、私は熱中症にはこんな理解の仕方をしています。
 まず、人間の身体の中に氷があると思って下さい。この氷が、人間の体温を猛暑の中でも平熱を維持する為の「貯金」の役割をする。例えば、炎天下の重労働を続けても、体内の中の氷を使う事によって、体温の上昇を防いでいる。

 ところが、その氷を使い切ってしまうと、もはや体温の上昇を防ぐ手だてが無くなる。体温は異常に上昇し、身体を正常に動かす機能が壊れ始める。
 なので、「そろそろ自分の中の氷が解け切る頃だ」と考えて、対策を講じなければならない。この段階で手を打てば、気分が悪くなって寝込むような事態には進みません。

 でも、ここまで読んでくれた人は、「そろそろ自分の中の氷が解け切る頃だ」とどうしたら「自覚的に・前もって」判るのか、と問われるかもしれない。

 田んぼの草取り。除草機を使ってます。この日も暑かった。水田用の除草機は、こんな製品です。

 酷い話に聞こえるかもしれませんが、その点については「実際に、あなた自身が熱中症に一度なってみて、ここから先は進んではいけないラインを体得するしかないですね」としか言い様が無い。ホントに酷い話だけど。

 ただ、これは私の実体験なので他の人にもそのまま応用が効くかは判りませんが、私自身の「ここから先は進んではいけないライン」の一例を紹介しますと、自分の鼻の穴から出る呼気が、妙に暖かくなったような違和感を感じたら、そのラインが近付いた徴候とします。私は、この徴候が現れたら、たとえ体調がその時は問題なくても、また、「あともう少し仕事を続ければ、きりのいい所まで仕上がる」といった状態でも、ただちに身体を動かすのを止めて涼しい所で休憩に入りますね。

 たぶん、これは自分の身体の中心までが、暖まりきってしまった現象だと考えています。

夕立(7月27日) 実に有難い天然のクーラー

 なんか今回は熱中症についてばかり書いてしまったな。

 もう一つ付け加えると、お年寄りは、たとえ炎天下で身体を動かさなくても、家の中で静かに寛いでいても、身体の中の氷が解け切るのが早く来るという心配がある事。なので、お年寄りは節電とかエコとか気になさらずに、冷房の効いた部屋で身体を休めた方がいいですよ。できれば午後の西日が当たる部屋ではなく、1階の陽の当たらない部屋(北向きの部屋とか)だといいんですけどね。

 一日で最も暑くなる時間帯、つまり西日が当たる時間帯は、たとえ冷房を使ってても、家の壁に太陽光がカンカン当たっている部屋に居たら、熱中症になる場合もありますから。たとえ冷房で部屋の空気を涼しくしても、部屋の壁自体が暑くなるのがいけないみたいですね。特に昔の、断熱材があまり使われていない家の場合は。

 それにしてもなー。既に夏至からは一月以上過ぎ、朝の4時は暗くなってきたけど、暑さの方は、まだまだ続くんでしょうな。