一つ思った事があるとしたら、「死」というものを、もうちょっとごく普通に語り合える環境になったら、もっと風通しの良い世の中になるんじゃないかという事。
「死」というものが、あまりにも情け容赦なく、また無気味で恐ろしいために、人々は通常はどうしても、それが、あたかも存在しないかのように明るく振舞うけれど、そんな「明るさ」が、かえって人が死を迎えるのを、安らかではないものにしているのではないか。
以前、こんな事を人と話した事がある。
「もし、自分が死ぬとしたら、いつ頃がイイか」
「その如月の望月の頃・・・」
「西行じゃあるまいし」
少し真面目に考えてみて、「できれば冬と夏は避けたいな、厳しい季節だし、ただでさえ葬式が多そうだし」
「すると春か秋かになるな」
「春の方がいいな、これから冬に向かう秋よりは、これから温かくなる春の方が、あまり悲壮感はないかなぁと思う」
「じゃあ春の何月頃」
「年度末と年度始めの3月と4月は、なんか気ぜわしいので気が引ける。できれば5月の連休が終わって一息ついた頃。」
初夏の心地よい薫風に身も心もなごむ感じで、BGMに井上陽水の「五月の別れ」を流して、弔問の方々には寿司でも自由に食べてもらうとか。これならだいぶ、悲壮感はないだろう・・・
「誰がお前が死んだくらいで悲愴感なんて湧くものか、それより早く寿司を食べたいからさっさと死ね」
そう言われても、できればあと50年は待って欲しいが、こればかりは自分の意志で、どうにかなるものではない。