周辺部の問題 2

 私の隣が飯田市と言う市なんですが、そこは旧17町村が合併を繰り返して来た市です。
 この市は、全部、もとの町村に支所を残して、そこに公民館活動をやらせたりして、素晴らしい行政運営をしていて、それは市の誇りでもあり、私もそれを評価しております。
 そこが支所を置く基準に、人口5000人から1万人の所は支所に7人、5000人なら4人、3000人以下は3人とか、そういった基準でやって配置してあると言います。そうでもないとやっていけないので、そうなるのも当然だとは思います。
 だとしたら私の村は3人になるんですね、人口3000人以下だと。これは後ほど財政問題に触れますが、そうしなければやっていけない。30人も40人もそのまま職員を置いていけるような村なら、合併推進する必要はないんですから。
 総務省は合併は究極の行政改革と言ってますから、当然、そうなるのでございます。


泰阜村周辺

 私どもは、周辺部に、飯田市の一番端よりこちらの村にずうっと住んでおりますから判るのですが、ここ(藤野町)は高齢化率20%で、これから大変だとは思いますが、もう私の所はどんどん高齢者に死んで頂いておるんで(笑)もうピークは過ぎたんですが、高齢化率38%の村ですね。それでも細々とやっているのは何故かと言ったら、そこに村があるからであり、そこに役場があるからであり、そうは言っても学校も村で維持していかなければならないなと思いがあって運営しているから、過疎の山村・周辺部の村が守られている。これがですね、いまの役場が支所になって3人になる事を想定したらどうなるか。

 大きい飯田市の支所になって職員が3人になった時、何も村の出身の優秀な人とか、良く村を知った人とかを置くわけじゃ無い。だいたい
「このやろう、仕事もできないくせに、面白く無い」、
みたいなやつが(笑)だいたいそういう所に飛ばされる。私が支所を置くとしてもそうするだろうと。まあ私自身がそういう事をやっておるので、すぐに自分で判るのですが(笑)
 そういうふうになった時に、よりどころが無くなる。役場が無くなると言う事は、私どもにとってよりどころが無くなるのですから。もう役場の職員も村から出て行く。役場の職員が通勤するようになると、かつての役場のそばに住む必要もないんで、本庁の近い所に行きますね、役場の職員は給料もいいんで。

 だからずっと近隣の村を見ておりまして、どんな人々が昭和の合併以後も残っているいるを見てみますと、代々、庄屋のような財産持ちか、まあ行くにも行ける財政力が無いうちとかですね。公務員とかは、みんな新しい家を隣の市に買って行ってしまうと言う事が起こる。これはね、だれがどう説明したって起こる、起こりうる、起こっているんです、昭和の合併で。
 ということになれば、中心になれない所は一番先にそういう事になると肌で感じておりますから、そういう合併に、私が、村長が自ら賛成するというわけには行かない、と言う事が1点なんでございます。

 学校も大変大きな問題がございます。私どもの地域にとって少子化と言うのは一番大きな問題で、(藤野町も学校の統合という話もあったようですが、これは町の中で統合する話なんで、それは無くなる所は寂しいだろうけれど、町と言う枠組を考えればまだ増しですが)、将来学校がどうなるかという話になります。私はヨーロッパのように最終的には、一つの自治体に学校がなくてもいいのではないかと考えておりますが、日本と言う国はまだ、「学校も運営できない自治体があっていいのか」、という論議も一方でありますが。

 私の村の村民の合併推進派の皆さんが、合併したって学校くらいは泰阜のような自然環境の良い所に、(近隣の村はどこもみんな自然環境が良いんですが(笑))、作ったらどうかって言うのですが、それは正しい事は正しい、私も賛成する。でも泰阜村の皆さんが賛成するだけで、他の(自治体の)みなさんはぜんぜん賛成しない(笑)。学校も将来、統合されれば消えて行くだろう。

 もうですね、周辺部の山村から役場と学校が無くなったら、そこに住む人はいても、その地域はもう地域として存在しないといというような事が起こる。だから本当に均衡ある国土のあり方や、環境問題も考えたら、そういう地域に人を住ませる施策というのがヨーロッパでもとられておりますのに、日本では現在むしろ中央集権が強くなっている。これはおかしいと思っております。
 地理的条件からですね、どうしても周辺部の問題が一つあると思っております。


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