理念なき合併

 なぜ私が合併を選択しないのかという話になるのですが、その前に地方自治について先に申し上げておきます。
 日本の地方自治というのは、憲法には地方自治の本旨とは書いてませんが、地方自治の本旨とは何かについてはいろんな学説がございますけれども、一応、団体自治であるとか、住民自治であるとか、ということが言われてます。しかし地方自治というのが認められているのは憲法も認めてありますし、地方自治法もあります。
 地方自治というのは、例えば藤野町に住む住民が藤野町の事を考えて、どういう町を作っていくか、どういう行政運営をするか、ということは皆さんに主権があるっていう事であると。これが住民自治だと認められているんだと言う学説でございますから、私もそれだと思っております。

 今回のこの市町村合併というものはですね、地方分権という事から始まっておりますが、自治という観点から言えば全く理念なき合併推進だと私は思っております。
 
3200の自治体を1000にすりゃあいいと政府与党が言ってたというのだけども、何の根拠があるか。後から根拠をつけていろいろ考えて、例えばここは津久井郡というのでしょうか、「全国の郡の数をまとめるとだいたい1000ぐらいになる」と。
 こんなのは後から誰かが考えたわけで、3200を1000にする根拠なんて何もない、そういうことを思いますと、まさに理念なき合併なので、だから困っちゃう。藤野住民も困っておりますし、どうして合併しなければならないのか理由が判らないんですから。

 そんななかで、合併するかしないかという選択が一つございますが、合併する場合は二つの考え方があって、一つは、大きい所へ組み入れられるというものですね。例えば相模原市に藤野町が一緒になったとして、何十万都市から見れば、一万や二万の人口が増えようが減ろうが関係ない話なんです。要するに藤野町はもちろん、この郡全体が増えたって、そこの職員が一人も居なくなったとしても相模原市は充分面倒をみていけると言う事だと思うんです。

 そういうことになればですね、大きい所にくっついて、まさに大きな傘の下に入って、財政基盤のしっかりしたところで、そういうところで面倒を見てもらって、そういう所に入って安心して、将来の不安も無く(それだって不安もはあると思うのですが)、やっていくという道が一つ。

 もう一つはとりあえず隣と合併するという道です。
 私もこういう所でいろいろお話をしているので、これでも、総務省の合併推進室のみなさんの中に親しくおつきあいしている皆さんもございますし、学者の先生でも、合併推進と言われる方も、反対と言われる方ともお話する機会も多いのですが、合併の関係でですね、地方制度調査会の委員もされている大森弥(わたる)さんという千葉大学の教授が、私の顔を見て、
「いや村長な、大変だと思う。」と。
「一番今回いいのは、良き隣人、良き相手がいれば、とりあえず隣と合併しておくのがいい」
と大森先生は言われます。

 良き相手、これは結婚と同じでございますが、無理してイヤなやつと結婚することはないのですけども、良き相手がいれば、それも一つの選択だと思っております。合併推進派と言われてます関西学院の小西砂千夫先生が私に、
「いや村長、相手が悪かったら無理して合併する事は無い。合併と言うのは本来、今より良い自治体を作る、今よりいい町をつくと言う、そういう目標がなければ意味が無い訳で、無理して合併する事はない
と言うのですから、合併はそれほど難しいと思っております。
 従って今回は、合併するかしないかと言う選択があると同時に、合併する場合は、大きい所の下に入ってしまうのか、とりあえず隣と合併するかと言う選択があるのではないかとと思います。  


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