長野県の、例えば諏訪地域のように、本当は私の目から見ても、合併した方が効率的な行政が営まれて、いい地域になると思うんで、そういう所は合併して、余った金を一つくらい泰阜村に回してくれるような(笑)、そういうふうになればと思っているのですが。どっちにしろ、いい自治体が作れるんだったら、単独の方が良かったら単独の方にすべきだし、合併した方が良かったら合併にすべき、つまり行政サービスという視点からも、住んでいる皆さんが良いという視点からも考えるべきです。
これは藤野町の近くにも似た村があるそうで、長野県にもあるんですが、「ダムが出来て税収が増えたから別に合併しなくてもいい」。そういうのってのは、ちょっと自治という精神から外れるんじゃないのかな、お金があればいい、お金が無ければ駄目なのか、というふうな議論になっちゃう所に、今回の合併問題のちょっと本質から外れた所があるんじゃ無いかなと私は思っております。
そういう意味で、本当の意味での民意を汲みながら、行政をしていくと言う所に、合併して大きくなろうが、そのまま小さいままであろうが、もういっぺん考えなければならない事だと、私は長野県知事選挙から考えておりました。そう思うと、私たちは市町村合併の判断をする時に、私が今、周辺部という地理的条件や、これからの行政というのは福祉や教育や環境だということを思い、住民の方を見つめて判断するとどうしてもそうなるんですね。泰阜村は合併しない方が良いと。
議会議員とかが手を挙げて、
「村長そんなことはおかしいと、合併しなければやっていけないではないか」、
と言うような発言する。しかし、その向こうに居る村民の皆さんが私に、特に高齢者がですね、何を言うかと言ったら、
「村長、とにかくもう今さら泰阜村を離れてどこに行くこともできない。俺は死ぬまでここに居るから、村長、頼むよ。」と言う。
「まあ、おれに任せておきな、おれが居る内は大丈夫だ、安らかにお送りしてやるから(笑)」、
と言っておるんですが、私はそういう声こそがですね、本当の住民の声だというふうに思っている。
判ったような、と言っちゃ失礼になるけど、なまじっかどこかで聞いて来たような事を言って私に合併推進を迫るような人の意見というのは、「ああそうですね、そういう御意見もございますね」とか言って、流したりする。最後の懇談会の時には
「村長は、(合併では無く)自立の誘導をしておる。それは、中立的な立場としてはまずいのではないか」
「まことにすみません、誘導といま言われましたけど、私は誘導などした覚えはございません。私はどしどし自立を押し付けて来たのであって(笑)、私の意見はずっと自立です。私は絶対泰阜村は合併では良くならない、住民サービスを考える上でも良くならないと考えている。その事は、私は村民に、毎月のように市町村合併を考えるという広報紙を出して、ずうっと言って来ました。これは私の村を直視した時の信念としてずっと言ってきましたから、これは誘導では無くて押し付けて来たのです。」
でもここでまた言っておくんですが、今回の合併と言うのは、住民の皆さんに判断してもらうのに非常に判りにくい理念なき合併なんですよ。判らないと思いますよ、どっちがいいかなんて。判断基準が判らないと思っている。
私はですね、市町村長も市町村議会議員も、戦後政治の中で本当に意味で大きな政治決断を求められた場面は無かったと思うんです。ほとんどが、県道○○線の予算を隣の町よりも多く貰ってくるのが、政治手腕だったんです。議会議員の皆さんもそう。地域の要望、あそこの集落よりも先に道路をちょっと広くしてほいい、それが議員の腕だった、そういう世界だった。
それで国と太いパイプがあってですね、こんどのあそこの補助金を1年前倒してとって来て、あそこに今度県民○○ホールを作ろうとか、何とかかんとかが出来て良かった、というのが、そういう世界だったんです。しかも潤沢にお金が増えて来ましたから、何とか団体が補助金をというと、まあ特別につけてやろう、なんて言って付けて、そのかわり俺も来年は選挙だから頼む(笑)、なんて話になって。こっちの集落がくれば、向こうが8万出せばこっちは10万出すとか、そういう事が出来たんです。
だからどんどん拡大する行政サービスの中で、とにかく住民要望にどんどん答えてですね、太いパイプで何とかしてもらう、というのが行政の仕事だったと思います。
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