小さな町が好きな理由

 なによりまず、『合併に反対する理由』よりも先に、『小さな町が好きな理由』を書かなければならないなあと、ずっと感じていました。

 『合併に反対する理由』と書くと、次のような論理が無批判のまま前提になってしまい、合併推進の土俵で、こちらがものを言わなければならなくなる、そんな違和感を感じて来ました。

『合併して町が大きくなる事は良い事だ。行政の効率化によって、住民の幸福が実現される。』
 私は、この論理自体に疑問を持っているのです。逆に、
『町は小さい方が良い。地域に即した行政が可能になり、国や県が今まで補助金を付けてやってきたような無駄な事業が無くなり、行政の効率化が実現する。町がバカな税金の使い方をすれば、すぐに住民が文句を言えるような自浄作用も期待できる。むしろ大き過ぎる町は、分割して小さくする方が良い。』
 こういう論理も可能なのではないかと。

 今進められている市町村合併は、『ただ合併すれば良い』と言わんばかりの勢いで、『どういう大きさの町が住民を幸福にするのか』、という理想が見られないのです。
(この事は私自身にもあてはります。私は決して「ただ小さければ良い」と考えているわけではありません。)

 私は、とにかくここで『小さい町が好きな理由』を列挙して、読む人が、『なるほどなあ、確かに「小さい町」は、残して行くだけの価値があるな』と思ってもらえればと思います。

1 顔の見える距離

 夏目漱石の『坊ちゃん』で、江戸っ子の主人公が教師として赴任した田舎町で散歩すると、次々と知っている人と出くわし『どうも狭い町だ』とぼやく場面が出て来ます。私も藤野町を車で走ると、よく知ってる人とすれ違って手を振ります。
 でも私は、町の人々が、お互いに知り合い、頻繁に顔を会わせる町の大きさが、現代ではかえって重要なものになりつつあると感じています。教育や治安も含めた子供達の環境、隣近所のお年よりの体具合を心配できるような付き合い。
(一方で、こんな付き合いが煩わしくて、都会に出て行く人もいますが)
 これが巨大な町になると、こうはいかなくなるでしょう。町を出歩いても、周り中、知らない人だらけになります。

 これは役場にも当てはまります。
小さな町の小さな役場では、職員もだいたい住民と顔見知りになります。中には近所付き合いをする職員の方もいるかもしれません。こういう役場と住民との間の距離感は、貴重だと思います。
(そのぶん、近所付き合いをしていると、役場の職員に遠慮なくものが言いにくい、という弊害もあるかもしれませんが)
 合併して藤野の役場が支所になり、相模原から職員がやってきては、その人の顔と名前を覚える前に、移動でまた姿を消して行く。彼等とは二度と会う事がないでしょう。
 私は、このような希薄な住民と職員との交流では、心のこもった町づくりは難しくなると思えてなりません。

2 政治の自浄能力

 リコールなどの、住民が政治に対して直接的な要求をする場合、自治体の人口が3万人を越えると、その成功率は急激に減ると言います。言い換えれば、直接請求ができる状態が欲しければ、自治体の人口は3万人を越えてはいけないという事になります。(下の図は、人口規模別に見た、直接請求の成功数のグラフです。)
 だいたい、町が小さいと、政治がバカな事をすれば、すぐに住民にも判って非難が盛り上がります。もっとも、藤野町の住民はおくゆかしいのか、あまり今まで文句を言って来なかったような気もしますが・・・(笑)。

市町村の人口規模別に見た
直接請求の法定署名達成件数
(1947〜1984)

黄色は市町村長の解職
水色は議会の解散

 巨大な町になると、たとえ町に対して意見があっても、自分の意見がとても小さく、全体から見れば採るに足らない物に感じてしまいます。選挙でも、
「どうせ自分とは関係のない、組織票で政治が動いているんだろう」
と行動を起こす気にもなれなくなってしまわないでしょうか。住民から町の政治が遠ざかってしまいます。
 ちなみに、相模原市(人口62万)の市長選挙の投票率は、前回が28%。今回は合併問題という争点がありながら、33%でした。

 人口以外に、面積が拡大する事によって、政治から住民が遠ざかる傾向もあります。例えば、面積の広い自治体では、議会の傍聴に行くにも、遠方の住民には負担が重くなります。

 自治体の広さには、政治の自浄能力が発揮できる限界があります。逆に言えば、自浄能力が発揮しやすい人口と広さの町も、想定できます。今の藤野町は、なかなか理想的な位置にいると思います。
 『それにしては、藤野町は自浄能力が全然発揮できてないじゃないか!』、と怒る人もいるでしょう。私もそう思います(笑)。でも、ここで合併したら、自浄能力の発揮しやすい条件からも、完全にオサラバです。
 今の好条件の段階で、町を改革しようとは思いませんか?。
『こういう仕組みを導入したらどうだろう』といった、私なりの(素朴な)案もあるのですが、いずれここでも紹介します。例えばこんなの>>

石橋湛山の言葉

 地方自治体にとって肝要なる点は、その一体を成す地域の比較的小なるにある。地域小にして、住民がその政治の善悪に利害を感じ取ること緊密に、従ってまた、そこに住まっている者ならば、誰でも直ちに、その政治の可否を判断することが出来、同時にこれに関与し得る機会が多いから、地方自治体の政治は、真に住民自身が自身のために、自身で行う政治たるを得る。
(大正14年6月〉


石橋湛山(いしばしたんざん)

 大正・昭和期の経済評論家・政治家。東京都生れ。早大卒。1911年(明治44)東洋経済新報社に入社、主幹・社長を歴任。戦前に満州放棄を主張するなど、大正デモクラシー期から昭和戦前期に硬骨の言論人として活躍した。第二次大戦後は、第一次吉田内閣の蔵相として積極財政を推進。47年(昭和22)新憲法下初の総選挙に当選するが、一ヶ月で公職追放となる。その後、鳩山内閣で通産相を務め、鳩山退陣後の56年自由民主党総裁選に勝利。その直後、病に倒れ僅か二ヶ月で辞職。59年訪中し、石橋・周恩来声明は、日中国交回復の基礎となった。

3 その土地に即した、きめ細かな行政

 これは1の『顔の見える距離』と関わってますが、例えば介護でも、10人の職員が100人の人を面倒みるのと、100人の職員が1000人の面倒を見るのでは、数の比では同じでもその内容は違ってきます。
 役場の職員が、その土地の事を知り尽している状態ならではの、有利さもあるでしょう。

 行政サービスは、単に自治体が大きくなれば効率化できると言うものではありません。人口密度、その土地の産業、住民の暮し、その土地の特性に合わせて最適化したほうが、効率化は図れると思います。逆に、異なる地域特性の町に同じ行政サービスを適応させようとすると、かえって無駄も増えると思います。

 例えば、津久井郡4町は相模原市の3倍以上の面積があるにも関わらず、人口は相模原市の10分の1です。介護サービスにしても、大都市であれば民間の業者が沢山ありますが、藤野では人口密度が低くて採算があわないのか、なかなか民間の業者が来てくれない現状があります。これは保育園や幼稚園も同じです。
 この条件の違いを考慮せず、同じ行政サービスを適用しても無理があるでしょう。

 また、その地域が目指している方向性の違いも重要です。
人口の流入が激しく、「小学校が足りない」と急いで対応をしている相模原市と、人口減と少子高齢化対策を本腰を入れて取り組まなければならない藤野町では、行政の目指す方向も、採るべき手法も違って来ます。
 仮に藤野町が相模原市に吸収合併された場合、相模原市は人口が増えていますから、合併してできた新・相模原市の「藤野地区」で人口がいくら減少しても、「相模原市」としては人口の減少問題は「存在しない事」になりはしないでしょうか。

 自治体の人口が増え、面積が拡大するほど、その土地の抱える固有の問題は軽視されがちになると思えてなりません。

 とりあえず今回は、行政に関する『小さな町の良さ』を幾つか挙げてみました。他にもまだまだある事でしょう。行政以外にも、生活面での『小さい町の良さ』もある事でしょう。今後も思い付くたびに追加していきます。
 これらに関連して
「住民をやる気にさせる町の大きさ」も「雑文」の所に追加しました。