住民をやる気にさせる町の大きさ 現在、相模原市と津久井郡4町の合併論議が進められています。財政的に豊かな相模原市が、財政的に貧しい津久井郡を吸収する形です。 逆説的に聞こえるかもしれませんが、もし私が相模原市の市長であったなら、「私の町は単独自立で頑張る」という町こそ、合併したいと、「欲しいと」思うでしょう。 「合併によって町が大きくなり、スケールメリットが活かせて行政の効率化が図れる。」という意見ばかりが幅を効かせていますが、果たしてそうでしょうか。大きくなる事によって失われる物の大きさを見落としてはいないでしょうか。 今回の相模原市の市長選挙は、津久井郡との合併という大きな争点があるにもかかわらず、投票率は33%でした。私は、この「無関心」は恐ろしい事だと思います。そして、この「無関心」の最大の原因には、町が大き過ぎる事があると思うのです。 これからの町づくりに必要なのは、大きさではなくて住民が行政に積極的に参加するような活力だと思います。そして、この活力が保持し続けるためには、決して町は大きくなり過ぎてはいけないと私は考えています。 小さな町や村で、明らかに無駄と思える町道や村道の工事をしていたとします。傷んでもいないアスファルトを掘り返して、また舗装しなおしたり。 『財政が逼迫している。○○のサービスを廃止しよう』 私はこの国が借金を抱えた理由を、「小さな自治体が無駄遣いしたせいだ」とは思っていません。逆に、意見を言う気力も失わせるような、大きな組織が無駄を重ねてきた割合の方が遥かに大きいと思います。 これから、財政的に厳しくなるのは小さな自治体だけではありません。大きい自治体も同様に改革を迫られます。この波を乗り切るには、「住民参加型の町づくり」の方向に行かざるをえないでしょう。そのためには「住民にやる気を起こさせる町の大きさ。住民を無気力にさせない町の大きさ。」という観点が不可欠になるのです。 あるNPO法人の方から聞いた話で、「なるほどなあ」と思った事があります。その人が言うのに、 ひとくちに『住民』と言っても、実は一人一人いろんな仕事や経験を重ねた、何らかの専門家で一芸の持ち主です。ある人は法律に詳しかったり、ある人は会計に詳しかったり、ある人は品質管理に詳しかったり、介護の仕事に詳しかったり、コンピューターに詳しかったり、長年、消防団に参加していたり、林業をやってたり。 700兆を超える借金を抱えた国。 そんな嵐のような事態の中で、割合に安定して波を乗り切れるのは、決して人口何十万と言う巨大な町では無く、住民のコミュニティーが確保され、『問題に直面しても、自分で考え、自分で決断して、自分で行動して問題解決を図ろうと挑戦する』だけの気概を保持した「小さな町」だと私は考えています。 |