気まぐれ日記 特別編【2007年 富士山登山】

「孫悟空の富士登山 2007年」



プロローグ

日本一高い山「富士山」。日本人なら一度は登ってみたいものだ。 孫悟空の富士登山は、5年前からの念願のひとつ。 2002年10月、富士登山に初挑戦。 6合目までは行く。しかし、そこから上は、通行止めになっていた。素人が登れる状況ではなかった。 7月か8月に家族全員で富士山頂まで登ろうと約束して帰ってきた。 しかし、翌年におかんが自転車に乗っていて車にぶつけられそうになる。避けようとして転倒...入院。 それ以来、遠のいていた。今年5月中旬、孫悟空のおかんと妹が四国遍路八十八ヵ所めぐりに行く。 それ以来、体力に自信がついたのか、冗談で「富士山に行こうよ!」と誘ってみたら、あっさりOK。 家族と相談して富士山に登ることを決意する。
富士登山への道のり

でも良く考えてみると、普段体を動かすこともないし、本格的な登山の経験もない。 しかも、高齢者と子どもがいる。おまけに、妻は前回の富士登山で高山病発症。こんな状況で本当に家族全員で登山が出来るのか? ましてや頂上まで行けるのか? どうせ行くなら家族全員で登頂したい。そんな気持ちから、富士登山の秘訣や情報をネットで収集する。
富士登山まであと一ヶ月

情報収集している中で非常に役立ったのが「あっぱれ富士登山」。 このサイトが登頂成功に繋がったと言っても過言ではないぐらいの情報の豊富さ。富士登山で一番の敵が高山病。 治療方法は下山あるのみ。イコール、頂上に行けないということ。まずは高山病を克服する必要がある。 富士山は空気が薄い(気圧が低い)。頂上は下界の約2/3ほどしかなく、これが高山病の一番の原因。 ただ、心肺機能が高いと高山病になりにくいそうだ。早速、みんなに連絡。それぞれのやり方で心肺機能を上げるトレーニングを開始。 孫悟空は会社のお客さんが8階にあることを良いことに、普段はエレベーターを使っているのを、毎日階段で訪問。 最初は3階ぐらいでゼイゼイしていたが、2週間もすると普通に8階まで上がれるようになる。 また、土日は子ども達と近所のプールに行き、2時間をみっちりと泳ぐ。そんな日々が続く。
富士登山の1週間前

仕事が終わると会社から池袋駅まで早足で歩いて帰る。これもトレーニング。 家に着くとネットで富士登山に関する情報収集。それに加え、毎日(1日2〜3回も(笑))富士山頂の天候もチェック。 晴れマークが出ると喜び、雨マークが出ると落ち込む。そんな1週間が過ぎていく。
富士登山前日

仕事も無事に終わり、新宿で富士登山の最後の買い物をしていると、携帯が鳴った。 弟からだった。話を聞くと2、3日前から調子が悪く、医者に相談したら富士登山は辞めた方が無難とドクターストップ。 急遽行けなくなる。富士山には車で行くので、弟が来られなくなると運転手は孫悟空一人。ちと不安。 でも、今日まで準備してきたので、中止にするのもしのびない。みんなと相談して、残念だが弟には下界から応援してもらうことにする。
いよいよ富士山へ出発

午後11:30

東京を出発。天気は曇り。ただ出発直前の現地の天気予報は雨。 梅雨も明けてなく、梅雨前線が刺激されているこの2日間は雨マークが。首都高速に乗り東名高速へ。 御殿場IC辺りからポツポツと雨が降ってくる。裾野ICを下りると本降りに。 途中、富士スカイラインでは濃霧が発生して視界は10mがやっと。対向車も来ないし、後ろから車も来ない。 こんな天気が悪い時に富士登山する人はいないよな...と思いつつ、安全運転で5合目まで上がる。 駐車場は雨が降っているにも関わらず、満車。登山道入口からかなり離れた所に1台だけスペースが空いていたのでそこへ停める。

午前3:00

富士登山に備え、車の中で仮眠をとる。外はまだシトシトと雨が降っている。午前4:00過ぎ、辺りが明るくなってきて目が覚める。 天気は...まだ雨。取り合えずもう一眠りする。
2007年7月21日(土)

午前7:00

天気は...小雨。ただ、山頂から降りてくる風が強く、時折青空が見えるので、晴れてくれるよう祈りつつ、朝ごはんを食べる。 定番のおかん特製おにぎり(明太子、すじこ、ツナマヨ等)と、前日に弟が作ってくれた特製チャンポンスープ。 スープは携帯コンロで温めていただく。食事が終わる頃には、小雨が霧雨になる。

5合目駐車場。天気は小雨&濃霧。
5合目駐車場。天気は小雨&濃霧。
車の後ろで朝食をいただく。
車の後ろで朝食をいただく。

ここは5合目。 本来なら雲の中ぐらいの標高。だから雲の上にいれば雨は降らないはず。 そんなことを思いつつ、登山開始まで時間があるので、おかんと富士山5合目の富士宮口登山道入口へ下見に行く。 これから登山しようとする人や昨晩から登り雨の為ご来光が見えなくビショビショになって下山してきた人などで付近はごったがえしていた。 その人達に登山道の様子や天気のことなど色々と聞いてみる。どうやら6合目付近は青空が見えるらしい。これは行ける!。 車に戻りみんなと相談して、予定より2時間早い午前10:00に5合目出発を決定。 登山の準備をしながら時間までダラダラ(高所順応)する。
富士宮口登山道にある「富士山案内図」で登山ルートを再確認。
富士宮口登山道にある「富士山案内図」で
登山ルートを再確認。

いよいよ、富士登山開始

午前10:00

小雨と濃霧の中、登山開始。前回、6合目までは登っているのでハイキング気分でゆっくり登って行く。 標高が上がるにつれ、雲の流れが一層早くなり、青空が見える時間も多くなる。カッパを着ていたが、青空が見えて太陽がでてくると暑くて仕方がない。 半袖になる。山頂から降りてくる風がヒンヤリしていて心地良い。足が進む。

これから長い登山が始まる。
これから長い登山が始まる。
雲がとれて、青空が見える。
雲がとれて、青空が見える。

午前11:30

あっという間に、6合目到着。山小屋に入ると「きのこ茶」を振る舞ってくれた。これが実に美味しい。 少し休憩をとり出発。本当の登山はここからだ。ネットの画像で見てはいたが、そびえたつ富士山斜面の険しさを目の前に、家族全員唖然とする。 登らなければ山頂に辿りつけない。そんな当たり前のことを自分にいい聞かせながら登山開始。しばらく登ると空気が薄いのか、幾分苦しく感じる。 20分登って5分休憩。下を見ると5合目は雲の下。雲海が広がる。すばらしい眺め。上を見ると山小屋と山頂が見える。まだ先は長い。

急に斜面が険しくなる6合目付近。
急に斜面が険しくなる6合目付近。
6合目付近。小高くなっているのが「宝永山」。
6合目付近。小高くなっているのが「宝永山」。

午後2:15

新7合目に到着。まだ、みんな元気そうだ。特に高山病の心配をしていた妻も全く問題ない。 孫悟空のおかんは、楽しみにしている焼印を金剛杖にをもらう。少し休憩をとり出発。 ここからは少しの間だけ緩やかな斜面が続く。先程まで所々に植物があったが、ここでは全く生えていない。 地面もドックフード状の溶岩の瓦礫だらけで足がすくわれる。途中、下山してくる人に「こんにちわ〜」と声をかけられるが、それどころではない。 呼吸が乱れているので挨拶を返すこともままならない。でも、挨拶されれば、挨拶を返さなければいけない。 最低限のマナーなので、ヘロヘロの声で「こんちわ〜」と返す。何回、挨拶したんだろう?

新7合目「御来光山荘」。
新7合目「御来光山荘」。
新7合目付近は砂利道が続く。
新7合目付近は砂利道が続く。

午後4:15

元祖7合目到着。つらそうな顔をしている人や携帯用酸素缶を使っている人が多くなる。 孫悟空一行は少々ツライが今の所大丈夫そうだ。まだ、携帯用酸素缶も使っていない。一服しようとポケットに手を入れるとたばこがない。 マズイ...。なぜなら、富士山の山小屋にはたばこが売ってないのだ。でもそこは交渉人「孫悟空」。 ある方法でたばこを1箱ゲット。ここでそのやり方を公表すると収拾がつかなくなるので止めておく。 これで山頂で一服(^。^)y-~できる。ひと安心。

元祖7合目「山口山荘」。
元祖7合目「山口山荘」。
本日の最終地点8合目に向けて出発。今度は岩場が続く。 6合目で見えたのとは違いまさに崖。岩と岩の間を通る所もある。子ども達も疲れがピークに。 みんなを励ましながら登って行く。息子が頭が痛いと言い出す。高山病の前兆だ。 休憩を多目に取りながら、呼吸を整える。間近に8合目の文字が見える。もう少しだ。

岩場が続く。かなりキツイ。
岩場が続く。かなりキツイ。

「八合目」の文字が...もう少しだ。
「八合目」の文字が...もう少しだ。

午後5:45

8合目に到着。下界を見て、先程より雲海がさらに下の方にあり、改めてここまで登れたことに感動する。 あとはブル道を使い、富士宮口登山道から御殿場口登山道に行き、本日宿泊する山小屋「赤岩八合館」へ行くだけ。 雪が残るブル道を鼻唄まじりで歩く。御殿場口登山道に出ると山小屋がない。辺りを見回すと上の方に山小屋がある。 軽く標高差50mはあるだろう。それを見たみんなから「まだ登るの〜お?」とブーイング。 息子は「もうやだっ!」と言ってその場に座り込む。山小屋が上にあるなんて想定外だった。 呆然としていると鐘の音と共に「もう少しで〜す。頑張って下さ〜い!」と山小屋の人が叫んでくれる。 その声を聞きながら最後の力を振り絞る。

残雪がかなり残っている。
残雪がかなり残っている。
雲海の隙間から下界が見える。
雲海の隙間から下界が見える。

午後6:30

みんなヘトヘトで「赤岩八合館」到着。すぐに荷物整理と寝床の確保をすると夕食に呼ばれる。 夕食はカレーライス食べ放題(福神漬けと花らっきょうも)。大食いの息子は高山病がひどく食欲がない。 眠いと言って早めに就寝。体力消耗が激しかったので起こして食べさせようとすると、山小屋のご主人に「無理に食べさせると夜中に寝ゲロするよ」と言われる。 他のみんなは至って元気。夕食後、明日のこともあるので早めに寝る。

どれくらい寝たのだろう...真夜中に「外が大変!」と妹に起こされる。確にたくさんの人が外に集まっている。 慌てて行ってみると、今まで見たこともない満天の星空。天の川がはっきり見える。標高3300mだから近くに光が一切ない。 山小屋も消灯しているので暗黒の世界。最高の夜空。それにしても寒い。真冬並みの寒さだ。星空を満喫したあと山小屋に戻り床につく。夜が更けていく。

2007年7月22日(日)

午前4:30

「ご来光のお時間です。」の声で目が覚める。今まで寝ていた人が一斉に窓際に人が集まる。 周りが明るくなってくるが雲が邪魔してご来光が見えない。昨日の明け方のように山頂から降りてくる風が吹く。 雲の切目から太陽が少しだけ顔を出すが、すぐに隠れてしまう、はずかしがり屋の太陽だ。 結局、真ん丸のご来光が見えたのは、午前5:15だった。それにしても、頭が痛い。高山病のようだ。 朝起きて急激に体を動かしたからだろう。まさに緊箍児(きんこじ)に絞められているようだ。 高山病対策でお茶をガブ飲みする。息子は昨日の高山病がウソのように元気にはしゃいでいる。

御来光を待つ...。
御来光を待つ...。
午前5:15、やっとご来光が見える。
午前5:15、やっとご来光が見える。

午前5:20

みんな揃ったところで朝ごはん。ハムエッグとごはん、味噌汁、お漬物を添えて。食後、山頂に行くか行かないか相談。 みんなの体調も今の所、問題なさそうなので頂上まで行くことにする。

午前7:00

頭が痛いのも治り、山小屋出発。山頂を見上げるととても遠い。ここは標高3300m。高山病にならないようにペースを落として登って行く。

山小屋を脇の看板。山頂まで1時間30分。
山小屋を脇の看板。山頂まで1時間30分。
山頂までの道のりはまだまだ長い。
山頂までの道のりはまだまだ長い。

10分登って3分休憩。9合目を過ぎたあたりで、息子に軽い高山病の症状が。もはや限界かと思ったが、気力と根性で克服。 途中、残雪や万年雪に出会う。今年は雪が多く、登山道開通も大幅に遅れて3日前の7月18日午後だった。

かなり登ったのにまだ八合目?頂上へ1時間。
かなり登ったのにまだ八合目?頂上へ1時間。
雲海が素晴らしい。
雲海が素晴らしい。

高山病でダウンする息子。
高山病でダウンする息子。

所々に残雪があった。
所々に残雪があった。

なかなか山頂が見えない。下山してくる人に「頂上までどれくらいですか?」と聞くと「あの大きい岩の向こうだよ。」と返ってくる。 高さで言うとあと50mぐらい。もう一息。この分だと、全員登頂出来そうだ。大きい岩の近くまでくると下山する人にもう少しだよと声をかけられる。 鳥居が見えてきた。

あと少しで頂上だ。
あと少しで頂上だ。

午前10:00

頂上に到着。息子は鳥居をくぐるとその場で倒れ込む。良く頑張った。孫悟空の妻は一言「頂上についたの?」と...体調も良く、高山病の症状も出なかった。 孫悟空の妹は鳥居をくぐった途端、涙が溢れていた。そして、孫悟空のおかんと娘が一緒に上がってきた。 おかんも30年越しの念願「富士登山」。2年前に入退院を繰り返していた時は、二度と富士山には登れないとまで言っていた。 それが、子ども達と孫達に囲まれ、登頂出来て嬉しいと涙を流していた。もらい泣きが得意の孫悟空も達成感と嬉しさに、いつの間にかボロボロと涙が溢れていた。

倒れ込む息子と登ってくる妹。
倒れ込む息子と登ってくる妹。
壮大な富士山火口。
壮大な富士山火口。

喜びも覚めやらないが、まずは富士山の火口をみる。デカイ!の一言。ここにも残雪があった。その足で、富士浅間神社へ。 おかんは金剛杖に最後の焼き印(頂上だけは焼き印ではなく、朱色の刻印)をもらい、孫悟空は御朱印をもらう。

おかんの金剛杖。「富士奥宮」「富士頂上」の刻印。
おかんの金剛杖。「富士奥宮」「富士頂上」の刻印。
孫悟空は「御朱印」「御札」「御守」をいただく。
孫悟空は「御朱印帳」「御札」「御守」をいただく。

いよいよ、本当の最高峰「剣ヶ峰」へ...と思ったが、みんなの体力が心配。 どうする?聞いてみるとあまり乗り気ではない。また、下山の体力も温存しなくてはならないので今回は見送り。 行きたかったな「剣ヶ峰」...。それぞれ富士山頂でやることを済ませ、最後に壮大な富士山頂の景色を目に焼き付ける。 そして、下山。登るより、はるかに楽。

午後1:20

「赤岩八合館」到着。小腹が減ったのでラーメンをいただく。身支度をしてお世話になった山小屋の人々に挨拶して下山開始。 御殿場口登山道〜砂走り〜宝永山〜宝永火口〜富士宮口6合目のルートを一気に下る。途中、濃霧で壮大な宝永火口は見えなかった。 また、明日は平日なので登ってくる人はほとんどいない。

砂走りを下る息子。
砂走りを下る息子。
霧が出て景色が見えない。
霧が出て景色が見えない。

午後5:40

みんな無事に富士宮口登山道5合目に到着。車に乗り、富士山をあとにする。その後、最後のお楽しみである御胎内温泉に行き、富士登山の疲れをとる。
最後に...。

こうして、長い長い富士登山は終わった。 孫悟空のわがままで始まった富士登山。そして、家族を巻添え(笑)にした。 最初は簡単に登れるんじゃないかと考えていたが、登山日が近づくにつれて、不安も倍増していった。 おかんの膝痛や腰痛...。妻の高山病...。富士山6合目から富士山を見上げた時、 正直言って富士山頂に行けるとは思わなかった。
でも、みんなの精神力と根性には恐れ入った。全員が富士山頂に★登頂成功★!! みんなそれぞれ良く頑張った。本当にお疲れ様!

孫悟空が富士登山でみんなに伝えたかったこと...それは...。
これから生きていく人生の中で、色々な壁(困難)にぶち当たることがあると思う。 そんな時は富士山を登っている時のことを思い出そう!

つらくて、険しくて、長い登山道...。 登っても、登っても山頂はまだまだ先。でも地道に一歩一歩、歩けばやがて山頂に行けることを...。 人より時間がかかっても山頂に行けることを...。
そして山頂には素晴らしい景色があることを...。

富士山より高い壁(困難)なんてない。富士登山が成功したから、どんな困難でも必ず乗り越えることが出来るはず...。 そして、お互いに励ましあい協力すれば、困難を乗り越えることが出来ることも、富士登山から学んだ。


富士登山とは「人生」そのものです。

ありがとう富士山!そして...。ありがとう、家族!  来年もまた登るぞーっ!

家族からの一言...。
おいおい、勘弁してよ(笑)

終劇 (THE END)


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