07.08.07(TUE) 奥穂高岳(二日目) 北アルプス


 涸沢小屋の朝食は5時からで、その頃テラスへ下りてみると、ちょうど常念岳の上の雲が茜色に染まり始めていて、沢山の人がこの朝焼けショーを見ていた。涸沢は風も無く空は青く絶好の登山日和になりそうである。朝焼けショーは前穂高岳の先端と奥穂高岳がモルゲンロートに染まるのを見届けて切り上げた。


 コース:涸沢小屋6:00→ザイテングラード取付き7:10→穂高岳山荘8:50-9:05→奥穂高岳山頂9:45-10:30→穂高岳山荘11:00-11:25→サイテングラード取付き13:05→涸沢ヒュッテ14:20 (所要時間8時間20分)
朝焼け


 お弁当は持って行かないことにしたので、朝食はしっかり食べた。ゆっくり仕度をして丁度6時に出発する。しばらくは潅木の中を登り雪渓の上に出る。涸沢ヒュッテから出発した人たちが、長い雪渓の縁近くを行列で登ってくるのが見える。あちらも結構大変そうだなあと思う。


 雪渓の上を横切り、ヒュッテからの道と合流し、目の前のザイテングラードの取り付きに向って涸沢岳の下を巻いてゆく。登山者が点々とザイテングラードを登っているのが見える。大岩の近くの潅木の土手に、クロユリの咲きかけのツボミを二つ見つけた。帰りには開いているかもと楽しみに通り過ぎる。
モルゲンロートに染まる奥穂高岳


 涸沢は確かに山好きの天国だ。日本にもこんな風景があることが嬉しい。あの長い道程を苦労して歩いても老若男女がわんさと押しかける気持がよく分る。山も凄い、カールも奇麗だ。ちょっと目立たないがカールの緑に沿って黄色いお花畑も広がっている。


涸沢カールと前穂高岳 お花畑


 ザイテングラード、どうしてここにだけこの洒落た名前が付いているのだろう。意味が分らないだけに我々素人が初めて登ろうと思うと警戒する。雑誌の口絵の写真の中には、ことさら急勾配と高度感を強調したものもあって、ちょっと心配もしたが杞憂だったようだ。ただし安全な道があるとは言え、この日の夕方、この道で転んで傷だらけでヒュッテで介護を受けていた男性を妻は見ている。登山道はどこもそういうものである。北穂高岳の北尾根の前にヘリが張り付いて飛んでいる。また遭難かなあと気になる。


ザイテングラード
緑の中に点々と見えるのは全て登山者
ザイテングラード上部


 ザイテングラードを我々のような体力がない登山隊が安全に登ろうとすれば、時間を掛けるしかない。少し広い所では後ろに溜まった人に前に行って貰い、下ってくる人にも道をゆずって、その間に息を整えては登る。パトロールの長野県山岳救助隊員が3人登ってきた。お揃いのキャップに身だしなみもきっちり決めて、格好よくて頼りになりそう。頼りにはなりそうでもこの人たちに面倒は掛けたくないと思う。


穂高岳山荘のテラス 問題のクサリとハシゴの崖


 標準コースタイムの1,5倍くらい掛けてやっと白出のコル(穂高岳山荘)に到着。気持のいいテラスで涸沢を覗き込みながら、コーヒーでゆっくり休憩。問題のハシゴの崖を登山者が登っていく様子を観察する。ここも計画時にはずいぶん心配したところである。しかし上のハシゴまでの距離も短く、槍の穂先の下のほうのような感じで勾配もそれほどではない。心配するほどのことはなさそうである。水と上着だけナップザックに押し込んで山頂に向かう。怖いといえば怖いが、取り付いてしまえばしっかりしたクサリにハシゴがあり、手掛かり足掛かりは充分すぎるほど充分である。足元を確認する目の隅に遙か下の谷底が見えて、思わず足がすくんだりするような所もなく、なんなく上のハシゴをぬけた。


 振り返ると涸沢岳と北穂高岳が目の前だが、山頂にガスがかかり始めてその先の展望もなく、少し残念。
涸沢岳と北穂高岳


 ハシゴを抜けると勾配はゆるくなり、ガラガラの岩屑の尾根を行く。山頂まで身の危険を感じるような所は無かった。むしろ山頂が意外に遠いのにびっくり。西穂側にジャンダルムがぼんやりと見え、山頂の下にいた山岳救助隊の3人がそちらのパトロールに向うのが見えた。


岩の間に山頂が見えた。
山頂はガスっていた。


 9時45分山頂到着。祠側も方位盤側も沢山の人であふれている。祠側の石積みに貼り付けてある山頂表示板だけ写真にとって、前穂側に抜けケルンの下で休憩する。やった、ついに奥穂高岳の山頂を踏んだ。だがあの槍の穂先に登ったときの叫びたいような感動がない。そう、ガスって展望がないせいだろう。ただ二人で岩の上に座ってぼんやり登山者で賑わう山頂の二つのピークを眺めていた。


 霧が動く気配がする。霧が動いて少し明るくなる。そして黒い岩肌が現れついにジャンダルムが見えてきた。見えたり隠れたり、ジャンダルムの上に二人の人間が立っているのが見える。彼らの感動が伝わってくるようだ。ビデオを回しっぱなしの人も居たが、これは珍しくビデオ向きの風景だ。
 続いて明神の峰々が現れ前穂高岳が現れる。そのうち上高地まではっきり見えるようになり、おまけに遠い雲海の上に富士山まで見えた。
 期待は高まる一方である。槍ヶ岳が見えるかもしれない。少しづつ移動して薄くなってゆく山稜を蔽う綿菓子のような雲の彼方を見つめる。目の下に巨大な涸沢岳の山頂が霧の中から海坊主のように現れる。そして遠くに黒い点が・・・。”槍ヶ岳だ”と言う声があちこちから聞こえる。それは紛れもなく槍ヶ岳の形になり、中岳の稜線が現れ雪渓も見えるようになった。約40分間の大自然のドラマだった。穂高大明神は我々を歓迎してくれたのだ。
ジャンダルムが見えてきた。



奥穂高岳山頂
霧は嘘のように晴れジャンダルムまで見通せるようになった。



そして前穂高岳も明神岳も




涸沢岳から槍ヶ岳までの稜線が見通せるようになった。


 何時までいても見飽きないが、そろそろ下るタイミングである。来た道を坦々と下る。穂高岳山荘でホットミルクに砂糖をたっぷり入れて飲みカロリー補給、ザイテングラードは細心の注意で下る。


常念岳
何時か登ってみたい端正な山だ。
お花畑


 ザイテングラードを下りきり、雪渓までの巻き道に入るとそこはお花畑である。気持に余裕が出て花の写真を沢山撮る。お馴染みのシナノキンバイやミヤマキンポウゲ、コバイケイソウ、ハクサンイチゲ、チングルマ、クルマユリなど。クロユリも少し開いて待っていてくれた。自生のクロユリを見るのは初めてで何枚も写真を撮った。


ヒメクワガタ ハクサンフウロ


 二泊目は涸沢ヒュッテを選んだ。二つしかない宿泊施設なので両方体験しておこうという訳である。それで涸沢山荘への分岐から上部の長い雪渓を下る。一瞬も気を抜けない岩だらけの道から開放されて、なだらかな雪渓を気持ちよく下る。


イワベンケイ クロユリ


 雪渓を下りながら、更に上部の雪渓を見たらサルがいるのに気付いた。一家族と思われる大小5頭ほどの群れで、悠然と雪渓を渡っている。話には聞いていたがこんな高い所でサルに遇うとは思わなかった。温暖化と共に確かに雷鳥にとっては危機が迫っている。


雪渓を渡るサル ナナカマドの林


 ヒュッテが近づくとナナカマドの林が沢山あって、今は白い花を付けている。その下の岩場にはキバナシャクナゲが沢山咲いている。ヒュッテの前の雪渓を渡っていたら雨がぱらぱらと落ちてきたがほんの一瞬で濡れることもなかった。ヒュッテの受付を済ませてテラスの売店で遅い昼食のラーメンを注文していたら、またぱらぱらと雨が来た。大したことは無かろうと高をくくっていたら、一気に雨足が強くなり豪雨のような夕立になった。14時40分くらいのことである。歩いている人はカッパを着る暇もなかったろう。我々はまたついていた。


夕立の後テラスで楽しむ人たち 暮れ残る東天井岳


 涸沢ヒュッテ:我々が指定された寝床は、新館と書いてあったがかなり昔の新館なのだろう。蚕棚式の上の段だが、屋根が片勾配の低い側で、かなり天井が低く条件の悪い所だった。布団は一人一枚でこの布団は標準サイズで楽だった。一区画6人で3組の夫婦が寝たが、個室になっていないのでかえって広々解放された感じで悪くなかった。疲れと緊張から開放されたことも有って熟睡できた。
 ここのテラスも展望がよく、少し雑然としているが広く快適である。特に涸沢岳側がよく見える。正面の岩壁の下にある涸沢小屋も格好よく見え、岩壁が少し貧弱だがスイス辺りに有りそうな風景で、いいアクセントになっている。
 食堂は地下になるのだろうか、吹き抜けのようなつくりで天井が高く、歴史と趣を感じさせるいい雰囲気を持っている。食事は川魚のから揚げにシュウマイ、それにハンバーグといった所で、ご飯と味噌汁が盛り付けてあったのが、山小屋では初めてのような気がした。
 トイレは涸沢小屋と同じ方式だが有料で、建物が新しく個室の数も圧倒的に多くて使い易かった。
 隣り合わせたご夫婦は40から50歳くらいの若いご夫婦で、到着が我々より遅かったので夕立にあって大変だったようだ。次の日は穂高岳山荘泊まりで、その次の日に奥穂高岳を越えて岳沢から上高地に下ると言っていた。旦那は我々と同様に次の日奥穂高岳に登って涸沢に下りたい様子だったが、奥様が断固岳沢に下ることを主張していた。やはり女性が強く積極的だ。
 小屋の選び方としては登りに涸沢小屋、下りに涸沢ヒュッテは正解だったように思う。 




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 蛇足:ウエストンが最初に穂高に登ったのは1893年(32歳の頃)らしいが、ウエストンの日本アルプス登山日記(平凡社)によると、1913年8月にも妻フランセスと共に岳沢側から奥穂高岳に登頂して、山頂に咲くリンドウやハクサンイチゲを楽しんでいる。「楽しく語らい、食事をし、写真を撮っているうちに、45分近くはあっという間に過ぎて、私達は後ろ髪を引かれる思いで山頂を後にした。」と書いている。それは女性による奥穂高岳の初登であると同時に、夫婦による初登でもあった。(このときウエストンは52歳かな)。約100年を経た今、60歳をとうに越えた日本人の夫婦達が、行列状態で奥穂高岳の山頂に登ってくる。奥穂高岳はアルピニストがアルピニズムを実践する山であったと同時に、その歴史の最初から中高年夫婦が楽しむことを約束された山だったのである。奥穂高岳の山頂に彼等の見たリンドウとハクサンイチゲを探したが見つからなかった。