沖縄戦を知る旅4 前田高地
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浦添城址付近の高台を別名「前田高地」と言う。ここは1945年の4月26日から5月6日まで、11日間に渡る地上戦が行われた。連合軍が上陸した北谷方面から見ると、この前田高地が屏風のように広がって首里城を隠している。このために日本軍、連合軍双方の重要地点となり、「ありったけの地獄をひとつにまとめた戦場」と評されるほどの激闘が繰り広げられた。
このあたりの戦闘から、日本軍は個々人を識別する符号を取り外すことを強制したため、沖縄戦で戦死した人については、いつ、どこで、どのような戦死を遂げたのかが不明となった。また、これによって日本軍は自軍の戦死者数を把握困難になった。 米軍の記録によれば、日本軍の戦死者は26535名。また集落の民間人は6割に中る457名が巻き添えで死亡した。 日本軍の戦死者数は、首里を突破される頃には6万人を超えてもはや戦闘能力は失っていたが、それでも徹底抗戦を行う。1日でも長く、連合軍を沖縄で食い止めるためだけに戦闘が行われた。 |
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