私自身は今回のことにソン・スンホン(宋承憲)以外の人の意思が少なからずあったと思っている。
社会生活を営む上での様々なしがらみ。それが関係なかったはずはない。
でも最終的に決断したのはソン・スンホン(宋承憲)だし、
もちろんソン・スンホン(宋承憲)は芸能人である前に一人の大人の男性。出るところ
へ出てしまえば責任は全部自分にあるのはある意味当然のこと。
当時の彼はそういうリスクを全部背負って選択したと私は思っている。
もし当時若くてそこまで考えていなかったとしても、今はその重さを充分に感じているはずだ。
ただ私はなんであの当時そんな選択をしたのだろう?とは一つも思っていない。
あの当時は彼なりに考えて考えて選んだ選択だったろう。もしソン・スンホン(宋承憲)が本当に純粋に芸能界で手にした
名声だけを追い求めているのだったら、かなり的外れな考えかもしれない。でもそんな風にはとても思えなかった。
名声も捨てがたいものだったけれど、演技するその喜びを手放すこと、演技者としての自分のキャリアを若かった彼なりに
考えた結果だったと、そんな風に思っている。ドラマ出演の件に関しては、制作サイドがソン・スンホン(宋承憲)を降ろさなければ
、ドラマに出るべき、そして出て欲しいなと思っていた。
たとえどんなにそれが辛いことであっても、バッシングの嵐であっても、
「どんな手を使おうとも、芸能界に残って仕事がしたかったんでしょ?だったら今ここで自分から降板なんてせずに、
今回の件で降板することになった3人の分まで頑張って演技して欲しい。」
どんな選択をしても世間からは批判されるだろう。
そんな批判を受けると解っていても、自分が守りたかったものへの情熱を見せて欲しい。
そんな風に考えていた。
韓国の状況がわからない私にとっては、あくまでも日本での価値判断でしか
物事を考えることしか出来ない。そんな私なりに一見今回の件には関係ないと思えるようなことも、この事件をきっかけに
いろいろ考えることになった。
1990年代に入って韓国で急速に広まった価値判断のひとつである、モッチャン、オルチャンに対する社会の反応。
(スンホン自身も十分その恩恵に与ったはずである)
大統領が変わる度に報道される、前大統領に関する汚職報道と糾弾。
「勝利以外にはなんの価値もない」とも思えるような、スポーツの国際試合の場での観客の熱狂ぶり。
そして現実は現実としてきちんと受け止めるしかないということ。
今後彼にはどんな選択肢、どんな道が残されているのだろう。俳優という職業、俳優であり続けるということは、
あくまでも見る人が、そして受け入れてくれる人がいてこそ成り立つ職業である。
その職業を選んだ喜びも大きかったはずだが、その職業に固執するがあまりに招いてしまった試練が、
これから待ち受けている。
スンホンには自分自身で選択した道を、自分の足でキチンと歩いていって欲しいと思っている。
韓国でそういう生き方が許されるものなら、勝ち負けだけではない人生を歩む勇気を持って欲しいと思っている。
そしてもしスンホンが自分に一生付いて回るであろう形容詞に負けることなく、再度俳優という職業を選んだとしたら。
彼がたくさんのドラマで見せてくれた様々な表情は、(たとえそれがどんなに苦悩に打ちひしがれた表情であったとしても)
会社員として平凡な毎日を過ごしている私にとって、本当に一服の清涼剤だった。どんなドラマを見ても「スンホン 男前 以上」
そんな単純な感想しか持たずに楽しんでいただけだが、そんな風に純粋に好きでいられることは、何よりも変えがたい幸せだった
と思っている。そしてこれからも「スンホン 男前 以上」という気持ちに変わりはないだろう。そんな風に好きという気持ちを純粋に
感じさせてくれたスンホンにたくさんの感謝の気持ちをこめて・・・これからスンホンが進む道は決して平坦ではないだろうが
、無事に歩いていっていけることを信じて。
「ダイ・ハード(決して死なない)な男前スンホン」として戻って来てくれることを信じている。