歌の世界を覗こうとしたソン・スンホン(宋承憲)だが・・・ |
辛口コメントではありますが | かなり辛口コメントなのは自分でも十分解っているつもりだ。 勿論5年前の作品だということをもっと念頭に置いたコメントを書いてもよかったのかもしれない。しかしそのことで差し引きせずに正直にコメントを書いてみた。 決して嫌いではないのだ。スンホンの真面目さは十分に伝わってくる。ただどうして2、4,7,8曲目のコンセプトで歌を全部まとめなかったのか、今回の発売にあたってアレンジの古さが問題にならなかったのかとか、一リスナーとしてやっぱり一言言いたかったのだ。そもそも嫌いなものについては批判すらする気になれない。ただやっぱりなんの疑問を持たず大好きというには、やっぱり無理がある。 以下の辛口コメントはそんな気持ちを込めて書いているつもりだ。 |
2004年12月 発売されたこのCDに関して色々思うこと |
本当に余計なお世話だと思う。そうはいっても一言語りたい・・・・ このCDについては発売に関して紆余曲折あり、今現在も紆余曲折中であることに変わりはないが、(発売はされたが所属事務所発売禁止要請中だという)しかし今手元にあり、聴いてしまったからには一言語りたいと思う。 この時期に発売されたものだから、ひとつの商品としての完成度は望むべくもない。ただこの歌が録音された1999年当時、どんなコンセプトのもとにこのCDが作られようとしたのか、それ位はちょっと気に留めてもいいのではないかと思う。 いわゆる俳優がCDを出すケースは様々なパターンがあると思う。 本当に歌が上手いケース。俳優本人が歌が好きで、自分のやりたい方向性がはっきりしている場合。歌が上手い訳ではないが、味があり俳優業にも好影響を生む場合。あくまで商売として制作すると割り切っている場合。 どのケースがいいとか悪いとかではない。如何したいのかはっきりした目的が聞き手に伝わってきさえすれば、CDとしては成功なのではないかと思う。 あとはそのCDをどの様に聴くかは受け取り手側の問題だろう。 作り手はあくまでも自分のやりたいことをキチンと形にさえすればいいのだ。 ソン・スンホン(宋承憲)はこのCDで何を表現したかったのか。 どんなコンセプトでCDを作りたかったのか。 ソン・スンホン(宋承憲)にそんな決定権がなかったとしたら、せめてどんな感じでこのCDに収録する歌をまとめたかったのか? もし仮に制作サイドにコンセプトがあり、それがソン・スンホン(宋承憲)の意図するものとかけ離れていたら、彼はどんなことを思いながら歌を収録したのか。 残念ながらそういうことが感じられる歌声は聴こえてこなかった。 ソン・スンホン(宋承憲)が仕事として生真面目に歌を歌っていることはよくわかる。でもただ生真面目に歌っているだけとしか思えないのだ。聴き手としてはとても寂しかったが、ソン・スンホン(宋承憲)がどうしたかったのかがよく解らない。(まぁだから発売禁止要請中なのだろうが・・・) 上手い下手の問題ではない。遊びの部分が全然感じられないのだ。歌詞のとおりに歌い、リズムを刻む。ただそれだけになってしまっているような気がする。どんな風にしたいのか、何をやりたかったのかもう少し感じられる歌を聴きたかった。 でもソン・スンホン(宋承憲)がどんな時でも生真面目なのはよく解った。どのように歌っていいか迷っている感じはするが、投げやりな感じはしなかった。それだけでもよかったとしよう。 |
もう一息といったところか | 2曲目のノル チウルッテカジ(君を消すまで)や4曲目のMiss Flower 7曲目のクレヨ クロッタゴ クロケ8曲目のウィサラン。 俳優にありがちなささやくような歌い方ではあるけれど、明るい感じの曲の方がソン・スンホン(宋承憲)の声質にあっているのではないかと思う。 4曲目のMiss Flower 7曲目のクレヨ クロッタゴ クロケは女性コーラスに時代を感じさせるものがあるが、明るい感じだし、8曲目のウィサランは古臭いけれど、これくらいリズム感のあるほうが聴きやすい。 ただソン・スンホン(宋承憲)の歌声がリズムに乗り切れているかというと、それはやっぱりいまひとつなのだ。でももう少し頑張れば・・・そんな期待は抱かせるものはあった。 |
こちらはどうかと | クモドゥン ヌンムル(彼女の全ての涙 でいいのだろうか)がこのアルバムの中心曲のようだが、アレンジがどうも時代を感じさせすぎのような気がしていただけない。 特にTAKE2だという6曲目のサックスの出だしは、ちょっと聴くのが恥ずかしい。 5曲目のホン(魂)もギターの始まりが重いのだ。(ソン・スンホン(宋承憲)のナレーションはファンとしてはうれしいかもしれないが・・・) 5曲目6曲目はなんとも古い感じが、寂しささえ感じさせ、聴くのが切なくなってくる。 |