錨で船は止まらない? (解説はこちら)
 橋本正春 拠村技研工業
要旨
 船は錨で留まっている。誰もがそう思っている。ところが日本のみならず世界中で使用されている錨は、数多くの問題を抱えており、走錨等による多くの海難事故を招いているのが現状である。今日では、錨だけでは船は繋留できないことが常識となり、錨の抱える諸問題を解決しようとする人は少なくなってしまった。信頼のできる錨の研究開発を行うことは海洋国家・日本の使命ではなかろうか。

錨が抱える問題

 1912年に豪華客船タイタニックの大事故が発生し、多くの人命が失われたが、実はこの大事故に次ぐ海難事故がこの日本で起きている。それは1954年(昭和29年)に1,155名の犠牲者を出した青函連絡船「洞爺丸」の事故である。函館港を出港した洞爺丸は台風のため、航行を断念、七重浜沖で投錨し船体保持に努めていたが、船尾開口部から車両格納所へ大量に打ち込んだ海水によるエンジントラブルにより操船が不可能になったため流され、座礁転覆したとされている。しかし、事故後しばらく経って行われた実験調査(昭和33年)では「錨を曳航(船で引っ張る)すると実験中いずれの場合も錨爪が上を向いてまったく機能しないという、我々の常識的予測を完全に裏切るものであった。」と述べられており、錨が効かずに走錨※1した事がこの惨劇の大きな要因であった事が判る。この調査報告は、旧運輸省船舶局(現国土交通省海事局)に送られたものの、一般の人たちの目に触れることはなかった。なぜなら、洞爺丸以外にも数多くの事故を招き、実験でまったく機能しなかった錨は、現在でも使用されているJIS型アンカーだったからである。
 1951年(昭和26年)に船舶規格調査会(現日本船舶標準協会)は、元々英国海軍が開発したHall Anchorのコピー品をJISに認定しJIS型と命名、船舶に装備すべき標準型とした。収納に便利なストックレスアンカー(写真参照)が強く求められていた事と、旧日本海軍が使用していた事もあって、JIS型は全国に広まった。しかし、当時の船舶規格調査会ではHall Anchorに対してほとんど調査を行っておらず、とても安全とは言えない錨をJISに認定してしまったのである。丁度この頃、英国海軍ではHall Anchor(JIS型)には問題があるとして、新型アンカーの開発を推し進めている最中であり、その約10年後(1960年)には新型アンカーAC-14型を完成させるのである。
 このAC-14型は、JIS型に比べて把駐力※2が高く高把駐力アンカーとして分類されており、現在も英国海軍の標準アンカーとなっている。しかし、高把駐力で軽量化を目的に開発されたAC-14型は、爪の幅の広さに比べ非常に薄い設計になっているため、大きな力がかかると曲損や折損事故を起こしやすく、また安定性がそれほど良くない為せっかくの高把駐力を維持できない等、この錨も様々な問題を抱えている。ただ、AC-14型も2000年(平成12年)に標準型アンカーになり、従来のJIS型をJISA、AC-14型をJISBとしている。
 こういった歴史的、技術的背景の中、日本においても各商船学校や研究機関が錨の研究を行い、JIS型を改良したものや、海外で開発され錨の特徴的な部分を合わせたものなど、様々な錨の研究が試みられたものの、未だ決定版といえる錨は開発されておらず、現在では「高把駐力で安定な理想の錨は実現できない」と云うのが常識となってしまい、問題を抱えた海外の錨に頼っているのが現状である。古来より日本は海洋国家と言われてきたが、これで、海洋国家・海洋民族と本当に言えるのだろうか?
 さて、ここからが本題だが、現在大・中型船舶はどうやって錨泊時の安全性を高めているのだろうか。それは、錨と船を繋げる錨鎖(チェーン)を必要以上に積み込み、その重さを利用しているのである。 例えば、2000総トンぐらいの中型フェリーでは約3トンの錨を左右両舷に装備し、艤装数※3によりそれぞれ錨鎖を250m繋げるので、合わせて500mの錨鎖を積む事になる。実際の運用では、台風や強風時などに対応するため600〜800mもの錨鎖を積み込んでおり、重量にして約30〜60トン、錨に対して約10〜20倍にもなる錨鎖を使用している。この艤総数が設定されたのはかなり古く、イギリスのロイド船級協会設立の時代にまでさかのぼり、高把駐力アンカーの概念すら無い時代の規則に則っている。即ち、現在のどんな最新の高速船や豪華客船もカビの生えた古い規則に縛られ、「錨は鎖の付け足し」程度の認識となり、必ずしも信頼できない錨の代わりに錨鎖の重さに頼る運用をしているのである。いかに錨鎖を積み込んでいても、一旦錨が上向きになって把駐力を失い、船の漂流と同時に滑り始めれば、その重さは全く意味が無いものとなる。効かない錨を使用し錨鎖に頼る運用はその不経済性もさることながら、海難事故を起こす高いリスクと走錨に対する船員の負担やストレスなど解決しなければならない数多くの問題を抱えていると言える。

21世紀の錨
 こうした諸問題を解決するには、高性能アンカーの開発が最も重要である。そして、その錨が完成すれば真に21世紀の海を飾る素晴らしい錨になる事は間違いないだろう。では、その錨が持つべき性能とはいったいどんな物なのか?

@ 持続有効把駐力

把駐力は錨が船を止めようとする力で、その最大値70%以上を有効把駐力と呼ぶ。錨が一方向へ曳航される限りこの値をできるだけ長時間保ち続ける必要がある。
A 指向性 錨泊時に潮流や風向によって、船はあらゆる方向に移動する可能性がある。その動きに対して錨は柔軟に対応し追従する必要がある。この性能を指向性と呼び、避泊時など緊急の場合ほど重要な性能となる。
 錨が持つべき性能として当たり前の様な2つだが、これらは全く新しい考え方で、AC-14型を代表とするこれまでの錨の設計思想には一切取り入れられていない。新しい考え方を取り入れ、更にベルマウス(船主両舷にあるチェーンを引き込む穴の先端部)への収錨性や投揚錨が容易である等の利便性を兼備えた錨を設計すれば、何世紀にも渡って船舶を守り、安全な航海を行う事が出来るだろう。
 現在、この様な高性能アンカーが長年の研究によって日本の民間企業によりDA-1型アンカーとして実現され、商船学校の練習船や消防艇、中型フェリー等に搭載され高い評価を受けている。ただ、元日本海事協会技師長の石川一郎さん曰く「まだあまり知られていない事と、海運、造船界にありがちな保守的な考えにより敢えてこの錨を採用しようとする船主が少ない。」のが残念なところである。
 この半世紀にタンカーや客船は驚くほど巨大化し、船の種類も考えられないほど多くなった。これに伴い船舶の操船や運航技術が複雑化し、また保留の方法も多様化してきた。こうしたことが錨の研究開発を遅延させ、半世紀も前の「標準型」錨を未だ墨守し続ける原因になっている。さらに、錨が抱える問題は以上で述べた一般商船に限らず、漁船、プレジャーボート、港湾浮体工作物など各々にあり、多くの人を悩ませている。
 筆者はいかに船舶が時代とともに変容したとしても、過酷な風浪に耐え、船を波に流されないでおく最後の頼りは錨と考える。錨の問題を、今一度海事関係者に考えてもらい、海が安全になることを切に願うものである。
 
JIS型 AC-14型 DA-1型(弊社開発アンカー)
※1 錨が海底土砂に対する把駐力を失って船が漂流してしまうこと
※2 錨を海底で水平に引いた時の抵抗力

※3 日本海事協会(NK)で定められた鋼船規則により、船舶に儀装する錨及び錨鎖の規定
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