錨の歴史
はじめに
 錨には、人々が船と海と切瑳琢磨する中から生まれ出た結晶としての永い悠久の歴史があります。そして、7千年もの長い時の流れの中、世界のあらゆる海で様々に工夫され、広く普遍的に広まりました。今日、船と水のある所必ず錨はありますが、その真の姿は水底に隠れ、知識として断片的に伝えるもののみになっております。この大切な科学、すなわち川底や海底土質との力学的根拠による基本理論(錨工学)は無視され未だに確立されておらず、混乱したままの歴史と、新旧不明確なままの技術となり、このままでは将来への進歩と発展はありえません。過去を知り、現在を理解する事によて、錨の歴史全体に力強く脈動する技術の流れを知り、錨の科学を確立する事が更なる発展への希望となるのです。
 ここでは、絵図による原始的な石碇の紹介から、かっての池中海ギリシヤ・ローマ世界の帆船主錨であった木碇。更に中世から大航海時代の海を彩る、大帆船の舳先を飾るストック・アンカー。荒れ狂う北海の主人、勇敢なバイキング船の鉄錨。汽船等の動力船で望まれた、簡便で把駐力の高いストックレスアンカーと年代を追って説明し、錨の歴史をまとめていきたいと思います。

錨の始まり
紀元前5000~3500年 ごろは石をそのまま使うか、石の真中に溝を掘り、そこを縄でくくって重りとして使用していたと思われる。紀元前5000年ぐらいに書かれ たと思われるエジ プトの壁画に、船の横に吊るされた石が描かれているが、この絵が私の知る限り最も古い石碇の資料だろう。
  ブルガリアのソゾポール旧港から最も原始的な石碇が発見されているが、 この石碇は紀元前 700年以前に使われていたと思われる。ソゾポール旧港からは2つ穴の石碇も発見されてい る。この碇は片方にロープを通し、もう片方に木片などを差し込んで爪の役割をさせて、船を止めていたと 思われる。
  紀元前2500~2000年ごろに使用されていたと思われる石碇が確認され ている最も古い石碇とされている。エジプトの古王国第5王朝、第6王朝では右図(左)のように1つ穴の石碇が使われており、 石の重りとして用いられていた。これが新王朝時代に入ると、右のように3つ穴になり、爪の役割をする木片を差し込んで使用 されるようになる。
  後期王朝時代(紀元前1100~300)になると下図にあるように 2つ穴と上部の穴が直交するような石碇が現れ、木製の爪だけでなくストックも現れ始める。この石碇は現在使 われているストックアン カーの 原型とも言え、錨が如何に古くから少なからずとも研究改良されてきたかが窺える。石碇の次に出てくるのが木で作られた木碇である。 石碇では石を加工していた物が木碇では爪を含めた本体 が木製で、ストックに巨大な石を使用するようになる。この木碇に付いては次の項 目で述べることにしよう。