●《雷鼬》●
〜幕張神社奉納『元久潮襲浸災乃図詞』より〜
昨今急ピッチに都市化の進んでいる幕張。新都心と呼ばれるまでに成長したこの地域のかつての姿は、海苔養殖を中心に海産物を採取する漁村であった。ビルなどの主要施設が立ち並ぶ都市区域の土台は、海を埋め立てて造られたもの。現在とは地形も自然環境も大きく変わっている。30年程度前でさえ、稲毛浜で採れたアサリが千葉大学食の百数十円の定食に山盛りでついてきたという。やがて時の流れは海岸線を押しやり、幕張の海を鉄色にかえ、定食の皿からアサリを奪っていった。
幕張神社は、都市化の進む地域からは少し離れたところ、幕張新都心から陸側に3kmほど離れた住宅街の中にある。かつてはその鳥居の脚までが海水に洗われていたというが、いまはそこから海岸線の手前にそびえ立つ近代的なビルの群を眺めることしかできない。この神社に奉納されているひとつの図絵がある。端書きより、『元久潮襲浸災乃図詞』の一部であることがわかるが、その図絵に、マクハリヤンらしき獣が描かれているのだ。
「一日天気清明雲翳ナシ。昼前ニ山頂ニ達シ遙カ洋中ヲ見渡セバ其乃前方ニ当リ宛然泡立ヲ認メム。途端海面漫ロ数瞬ノ後ニ竜ノ如ク立揚ラム。巨大ナル壁、圧倒的ナルニ地ニ覆被サリ、次瞬には砂浜沖マデ露出セム」『元久潮襲浸災乃図詞』は、別名『房総海濫始末』といい、1206年(元久3年)2月、内房総一体を襲った大津波の被害状況を鎌倉幕府が調査させてその概要をまとめた報告書という色合いが濃い書であった。この文献によれば、この大津波によって、1000人以上の死者・行方不明者が出、また損壊した家屋は200戸にのぼり、その津波の破壊力の凄まじさを物語っている。当時の将軍、源実朝はこの災害を憂い、元号を「建永」に改め、天災の鎮静に願を掛けたという。さて、この『元久潮襲浸災乃図詞』はこの津波被害調査という目的のもと作成され、神話的要素が絡み、現在の形に成立している。この時代に限らず神話というのはご都合主義的便利屋のようなところがあり、自然現象と被統治者の間に生じるギャップを埋めるための道具としてよく用いられている。ここでは調査対象の一つであったのだろう、津波の原因究明に使われている。そのため、この巻物の中で千葉近辺の漁民はとっても悪者扱いを受けている。というのも、大津波は年貢を誤魔化して上納しなかった天罰だというのだ。こんな悪い奴らばかりなので、房総の海岸線一帯は大被害を受けたと、絵巻にはそんな風に記してある。そのあたりの政治的策略などは我々の調査対象ではないのでこれ以上深く関知しない。
さて、津波を起こした原因とされているのが、ここで出てくる「雷鼬(らいたち)」と呼ばれる妖怪変化である。古来、海には人々の畏怖の心を背景とした様々な想像世界が広がり、一つは海の豊穣と結びついた恵比寿や竜王信仰、一つは海の破壊力や魔力と結びついた妖怪などの怪異の世界である。ただし、この世界は全国各地で多かれ少なかれ共通点が見出せるのだが「雷鼬(らいたち)」は他に例を見ることができない。《雷鼬》は河川の底に棲み、その怒りをかうと(年貢の滞納がなんで獣やら神様やらの逆鱗に触れるのかがよくわからないが)、一気に沖まで泳ぎ出て水の壁を立ち上げ陸へと叩きつけるのだそうだ。そして、この大津波の後、皮肉にもそれに巻き込まれたという《雷鼬》の子どもが発見される、というくだりがある。房総のとある浜、という以外はその発見場所の具体的な特定はされていない。
「……翌朝 身丈十寸半(約32cm)ノ獣、浜ニ漂着ス。岩礁ニ右半身打壊損傷劇。損壊ヲ砂ニ向ケ寝、烏ノ食痕モ無ク新シ。近寄テ見ル、胸数本ノ傷ニ裂ケ(鰓部?)体様鼬ニ似鼬ニ非ズ。手足鯨ニ似鯨ニ非ズ。褐色ノ毛ニ背ノ瘤、未ダ見得ラン獣也。或人『雷鼬』ノ仔ニ在ラント。『雷鼬』ノ怒リ、其ノ仔マデ殺サント鎮ラン。恐シカラズ也」この場面は『元久潮襲浸災乃図詞』に図入りで載っている(展示参照)。その《雷鼬》の姿には、本文では体を裂くほどの傷、とあるが、はっきりと胸部に鰓と思われる裂孔が何本か入ってるのがおわかり頂けると思う。海岸で見つかった不思議な獣の死骸を、当時の地元の為政者が適当な形で利用し、この《雷鼬》伝説が生まれたと推測される。なぜそれまでのように竜ではなかったのかなどの詳しい経緯はわからないが、彼らは大きな手掛かりを与えてくれたのだ。(おそらく、よくわからない変な生き物と、わかりゃしない津波の原因、という有耶無耶なもの同士をくっつけて誤魔化してしまおうというところが、為政者の魂胆であったろうと思われるのだが……。閑話休題。)
この姿はまさにマクハリヤンそのものではないだろうか。普段姿を現さないかわり、こういった津波のような特殊な条件下で珍しく見られるのは当然であろう。ただし、マクハリヤンは淡水の河川を生活領域としている。津波とはいえ、なぜ海岸べりに打ち上げられたのか。それがこの巻物の解読のネックとなっている。そして乗り上げた暗礁に、古文書はなんの救いの手も差し伸べてくれない。可能性だけの前進ではあったが、その図絵は我々に希望を持たせるのに十分ではないだろうか。
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