元来植物には感情があるといわれており、鑑賞用の花なども「クラシック」と「ハードロック」を別々に聴かせながら育てると、「クラシック」を聴かせた花はのびのびと大きく育ち、逆に「ハードロック」の場合は成長が遅く茎やはも曲がって育つということを、本で読んだり映像で見たことがあります。
また、大昔から成長し続けている古木などは、何百年と自然の中で育っており、色々なことを経験しながら?今の威容を維持しているわけで、当然の事ながらその木には“氣”というものがたくさんあるのです。今までにも、自然の“氣”を自分の体に摂り入れるべく、日本全国の巨木、古木を何度となく見に行ってきました。
そんな中で、桜の木というのは毎年毎年同じ季節に花が咲き、たくさんの人たちから「綺麗」「美しい」と言われて育っており、花を咲かせ出した何百年も前より今までずーっと言われ続けているという事は、普通の古木以上に“氣”が宿っているのではと考え始めまたのです。
また『桜』という漢字は、昔は『佐倉』(一説には佐蔵)と書かれていたそうで、文字どおり倉の横には必ずあったそうです。『佐』という字は今で言う『超』や『Super』という意味があり、倉よりも凄い!倉よりも大事なという意味合いから『佐倉』といわれていたそうです。江戸時代では、1年に1回しか咲かない桜が、きれいな花をつけ、またあっという間に散ってしまう桜をみて「散り際がいい」と表現され、いさぎよさが大事とされ、戦前までその風潮が続いてました。遠山の金さんもまたそのすばらしい桜吹雪に惚れたのでしょう。そのようなことで、「よし!今年は桜を見るぞ!」てことになりました。