君なればこそ… (前)





晴明と道尊の激しい戦いから半年。
人々の逞しい生命力によって荒れた町は復興した。
町はあっという間に元通りになり、人々は普通の生活に戻っていった。

なにも変わらなかった。
しいていえば、帝が女御に優しくなったということだけだろうか。

道尊亡き後、晴明が陰陽師頭として候補に上がったのだが肝心の晴明はあっさりとその話を辞退してしまった。
曰く。
「そんなものに興味はない」
その一言であった。帝は「晴明らしい」と苦笑して頭には康頼を添えた。道尊亡き後、晴明以外なら誰が頭となっても同じ 事を十分悟っていたのである。

藤原元方が自害した事により空白だった右大臣の席も新しく添えられた。
平安京は平和を取り戻したのであった。



あいも変わらず奏聞の儀をバッくれた晴明はのんびりと廊下を歩いていた。この頃博雅は忙しいらしくめっきり晴明の屋敷 に顔を出さなくなった。
では、どうするか。面倒くさくてもこうして参朝するしかない。
「ふむ」
晴明が通るたびに御簾越しに女御達のざわめき声が聞える。
「すっかり騒がしくなったものだ」
晴明は小さく溜息を付くと、その原因が自分だなどとは考えもせず静かにその場を去るのだった。


廊下の角を曲がったころ、バタバタと足音が聞こえて晴明は脚を止めた。
「晴明!」
振り向けば満面の笑みを浮かべた博雅が走ってくる。その姿を見て晴明の表情が和んだ。
晴明の姿を見て嬉しそうな顔をした博雅が側まで走り寄り笑いかける。
「ひさしぶりだな!」
「・・・・これはこれは博雅様、久方ぶりでございます」
他人行儀に頭を下げた晴明に博雅がムッ、とした顔をする。
「・・なんでそのような呼び方をする」
「はて」
わかっていながら恍ける晴明を睨みつけて。
「・…別に今更『様』はつけなくていいだろうに」
そういってむくれる様子があまりにも可愛すぎて。
20代も半ばになろうかと言う男にする形容ではないぐらい晴明でも承知しているのだが、どうもそれ以外は浮かび様もな く。
だから自然に口元に微笑みが浮かんでしまう。
「そういうわけにもいきますまい」
あくまでも変わらない晴明に博雅が完全に臍を曲げてしまったようで。
「わかった、もういい。・・・・・・・後で屋敷にいく」
ちょっとむくれた顔をして踵を返してしまった。
そんな様子が本当に可愛らしくって口元が緩んでしまうが、ここで声にだして笑うと本当に拗ねてしまうのでなんとか堪え た。
「・・・博雅」
低い艶のある甘い声で呼ぶ。
博雅が好きな晴明の声。
いつもは寝所でしか出さない声で名を呼ぶと博雅の背中が硬直したのがわかった。
いつかの夜、晴明の腕の中で幸せそうにまどろみながら博雅が呟いた事がある。


『・・・その声で名前を呼ばれるのが好きだ』
『博雅?』
『・・・そんなふうに呼ばれると、俺は…』
身体の奥の方がきゅー・・・っと熱くなって力が抜けてしまうのだと。
だから晴明の声はすごいな、といって笑った博雅は自分がどんな凄い事を晴明に言ったのか全然判っていないのだ。
本当にこの子供のように純真の塊のような青年は、不意打ちで男の劣情を煽るような真似をしてくれる。
・・・・晴明にいい武器を与えてしまったことに気付かない博雅を勿論その後寝かせはしなかったのだけれど。

博雅の全てが愛しくて手放せない。なのについつい苛めたくなってしまう。
自分の言葉に逐一反応する博雅が可愛らしくって、そんな風に拗ねた顔もまた良いものだ・・・・などと思う辺り自分も随分 人間らしくなったものだ、と可笑しくなってしまう。
もちろん、他の誰にも見せるつもりはないけれど。本当に他の事はどうでもいいくせに、博雅のこととなると思わず嫉妬深 くなる自分にも笑ってしまった。


「・・・こっちを向け、博雅」
ゆっくりと振り向いた博雅の顔がほんのり赤くなっていて、それが又晴明の目を楽しませた。
「俺が悪かったから、帰るな」
「む・・」
「せっかく久方ぶりに会えたのではないか」
「・・・まあ・・うん」
晴明に優しく見つめられて、博雅が照れくさそうに笑った。
博雅はこの晴明の笑顔が好きだった。この笑顔を向けられるといつまでも怒ってはいられなくなるのだ。
それに、会うのは本当に久しぶりだったから逢えて嬉しくてたまらないのだ。
朝廷の廊下の真ん中でいちゃいちゃして女御達の目を楽しませているうちに博雅が周囲の視線に気が付いた。
「・・どうした?」
「・・ん、なにか騒がしくないか?」
「いや?」
晴明はとっくに気付いている。"これは自分の物だ"と知らしめるいい機会なので特に気にしもしていないのだが、博雅は なにやら居たたまれないらしい。
いつまでもここでこう話していてもいいのだが、博雅が気にするので晴明は先を促して歩き始めた。それでも女御達の密 やかな話声が後からついてきて、博雅がなにやら不信気に振りかえる。
「なあ・・・晴明」
「どうした」
「なんか。俺へんなのか?」
自分の着ているものをまじまじとみる博雅に苦笑する。
「そうではない、気にするな。でなにか用事があったのだろう?」
「あ、そうなのだ。これをお前に渡そうを思って」
そういって、手にもっていた白い布に包んであった塊を晴明に差し出した。
「・・・なんだ」
「うん、昨日用事があって遠出をしたのだが、その途中にすごく綺麗な花をみつけたんだ」
そういって照れくさそうに頬をかく。
「本当は花は自然にあるがままにしておくのはいい、と俺だってそのぐらい知っているんだぞ!」
叱られるかとでも思ったのか博雅が慌てて言い募る。
「でも、でもだな、晴明の処の庭も花が綺麗に咲いているだろ? そこなら寂しくないと思って・・・」
「寂しい?」
「おう、この花がな、ポツン、と1つだけ其処に咲いていてだな・・・なんか寂しそうだなって・・・・そう思ったし、それに!この 綺麗な華を見れば密虫が喜ぶかと思って」
真面目な顔をして話す博雅を晴明は穴があくほどに見つめてしまった。人から言えばたかが式神を真剣に喜ばそうとす る。
殿上人にありがちな権力や金に固執するわけでもなく、ただ其処にあるものに美しさを見出すことができる稀有な魂が愛 しくて。
「お前は・・・可愛い事をいう」
ポツリと呟かれた言葉が本当に優しく聞こえて博雅の顔が赤くなった。
それを見つめる晴明の、本当にどうしようもなく優しく微笑む表情は、恐らく博雅以外見る事の出来ない表情であろう。
「どれ、見せてみろ」
晴明が花を持つ博雅の手を取り白い包みを開くとキチンと根には土が着いていた。しかも濡れた布で包んであって根の乾 燥を防いであった。そこに博雅の細やかな心使いを感じて晴明は微笑んでしまった。
「そうだな、これなら大丈夫だろう」
そのまま二人して花を覗き込んでいると女御たちのざわめきがいっそう華やかになって。博雅が不思議そうな顔をした。
たいそう居心地が悪いのか、ちょっと唇を尖らせると驚くほど幼くなる表情を浮かべる。もっともこの表情は博雅が無意識 に甘えるときにみせる物だと気付いているのは晴明だけだが。
「・・・・・・・・なぁ、晴明」
「なんだ」
「なぜ女御達は笑ってるんだ・・・?」
囁くように話す博雅が晴明に寄り添った途端、いっそう華やかな笑い声が上がって博雅が身体を硬直させた。
「お前が気にすることでない」
あっさりそういわれてしまえば、博雅もそうかな、という気になる。
「そっか・・・」
晴明が花を受け取って丁寧に布に包み袂にしまうと、それを待っていたかのように博雅が口を開いた。
「晴明、今日のことなんだが・・・・」
「博雅殿」
が、言葉は最後まで発せられなかった。
不意に後から掛かった声に遮られ、博雅がしまった・・・というような顔をする。
滅多にそのような表情をすることがない博雅の様子に晴明が軽く目を見開いた。
「ここにいたのか」
「はあ・・・」
声をかけたのは新しく右大臣の席に添えられた藤原 朝実という男であり、晴明も一度だけ挨拶をした事がある男だった。
最近になって帝と血縁関係を結んだことにより贔屓とされ勢力を伸ばしてきているのだが、朝実本人も如才のない人物で 30代半ばだろうか、若いにも関わらず朝廷内において台頭してきているのだが。
それが、なぜ博雅と?とは思うものの、断然、相手の方が位は上なので二人は居ずまいをただし深く頭を下げた。
「よい、顔をあげよ、博雅殿」
「・・・は」
博雅のみに掛かった声に、晴明より博雅のほうが顔を顰めた。
晴明の方はそんな事より博雅の名を呼ぶ声にこもる響きの方が気に障った様だ。その顔からは表情が抜け落ちている。
「昨日はすまなかったな。いつも無理を聞いてもらってすまん」
「いえ、とんでもございません。自分で出来る事がありますれば」
博雅の返事にうんうんと頷いて。
「おかげで安心して夜を過ごせるというものだよ」
満足げに頷きながら博雅の肩を叩いた。
晴明をおいて話は和やかに進んでいる。
博雅が晴明のことを気にしているのは気配で感じられたがどうやら晴明はわざと無視をされているらしく、晴明は二人の やり取りを黙って聞いていた。
話の内容から察するに、頼み込まれた博雅が庭で笛を吹いた晩から朝実の屋敷に毎晩現れていた魑魅魍魎の類が一 切現れなくなったらしい。
――― いったい何処で博雅の笛を聞いたのやら・・。
晴明は小さく口の中で呟いた。それでも、博雅の澄んだ笛の音には魑魅魍魎の類を追い払うぐらいの力はありそうだ、と 晴明も本気で思う。なんの力ももたない筈の博雅の、そのなににもかえがたい美しく澄んだ心、そして音楽を愛するたぐい まれなる才能がそうさせるのかもしれない。本人はなにもわかっていないのが又素晴らしい。
そんなふうに思いながらクスリ・・・・と胸の内で笑った晴明だったが次の朝実の言葉には思わず反応をしてしまった。
「もちろん、今日も来てもらえるのだろうな」
と。無表情のまま、晴明の片眉が微かにピクリ、と上がる。
「今日、ですか?」
「そうだ・・・博雅殿に来てもらえると我等も安心して夜を過ごせるというものだ」
「はあ」
この時代、縦社会の中の一員として下っ端は上から落ちてくる命令には絶対服従だ。
それは博雅とて同じ事。
ましてや、右大臣から"お願い"という立場をとられては断り様もない。
しばし視線を漂わせていた博雅が晴明を見てパッと顔を輝かせた。
「おそれながら朝実様、私の笛ごときに頼られるよりはこちらの安部 晴明殿に相談されたほうが確かかと」
「・・晴明、殿か?」
「はい! 晴明殿の力は帝すらも・・・・」
「博雅殿」
「はっ」
顔を紅潮して言葉をつづる博雅をあっさりと朝実は断ち切った。
「私は博雅殿に頼んでおるのだよ?」
「・・しかし、なにかあってからでは」
「構わぬ。お主が笛を拭くようになったから今まで何も起きておらぬではないか」
「それは・・・・そうですが・・・・」
あっさり断ち切られてしまって博雅がガックリ肩を落とした。
「それに、私は陰陽師なる人種はあまり好きではない」
「朝実様!」
朝実の言葉に思わず博雅が声を上げた。
「では、今日もいつもの時間に待っておるぞ、博雅」
それだけ言うと晴明には一瞥もせず朝実は背を向けた。
その背を見送って、しばし憤慨していた博雅はやがて肩を落としゆっくりと振り向いた。
「・・晴明」
「気にするな、俺はなんとも思っておらんよ」
「俺が嫌なんだ」
かつては自分も言った事のある言葉だが、今となっては他人に言われると腹がたってどうしようもない。
だが、博雅が怒ったという時点で晴明は満足だったらしい。
いまだにむくれている博雅をうながして歩き始める。どっちにしろ怒りが持続しない男だから、直ぐに表情が変わって小さく ため息をついた。
「どうした?」
「・・・いい酒が手に入ったんだ」
「ほう」
「・・・本当は今日、お前と飲もうと思っていたのに」
まるで駄々をこねる子供のように呟く博雅に笑いかけ晴明は手を背に回して歩き出した。



笛を吹き終わって、博雅は空を見上げた。
ぽっかりと満月が浮かんでいる。
それを見て。
(今ごろ晴明もこの月を見ながら酒でものんでいるかなぁ・・・)
などと、ふと思う。この頃は、毎晩この屋敷に参上して笛を吹くのが日課になってしまっていて殆どここですごしている。い くら晴明の処といえどあまり深夜に訪れるのは迷惑だろうと我慢していたのだが。
なにやら満月を見ていたら切なくなってしまった。
夜空に浮かぶ蒼白く冴え冴えとした月が晴明を思い出させたのだ。切なくなって視線を落す。
その晴明を思う気持ちが博雅の吹く笛の音にも、博雅本人にもどれだけ艶のある色香を纏わせているか本人は全く気付 いていないのだ。
「本当に・・・博雅殿の笛の音は素晴らしい・・・・」
後から声がかかり、慌てて振り向き頭を下げた。
「よい、かしこまるな・・・」
すっかり寛いでいる朝実が手を叩くと女達が手に酒やらつまみやらを持って現れた。
「礼だ、好きに食すがよい」
あっというまに博雅の前に色とりどりの膳が並べられていく。
「と、朝実様! 自分はこのような・・・・」
「私の酒が飲めないのか?」
「いや・・・」
そう言われたら断り様がなく博雅は頭を下げる。
「飲めないわけではないのだろう」
「それはそうですが・・・・・」
「では飲むが良い」
すでに徳利を抱えて控えられては仕方なく、覚悟を決めて博雅は杯を手にとった。
(仕方ない・・・こうなったら、とりあえず飲んで一刻も早く帰してもらおう・・・・!)
そう心に決めて手にした杯をグイッ・・と煽る。
だから、その様子を見てひっそりと笑った朝実に、博雅は気付かなかった。




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