負けるなBaby 〜出会い編 その1〜




 まったくなにがどうしてこうなったのか。
 一条はロビーで一つ溜息を付いた。
 ここは某TV局。この世界に入ってそろそろ10年近くになる彼にとっては馴染みの場所だ。
 少し俯いて煙草に火を点ける。慣れた香りがささくれた気持ちを幾分和らげる気がした。
 この一本が吸い終わったら戻らなくてはならないだろう。本来、席を空けるべきではなかったのだろうが、いい加減我慢 も限界に来ていて、ニコチンが切れたと言い訳して出てきたのだ。
「まったく……」
 いくら恩のある監督の頼みとはいえ、なんでこんな役を引き受けてしまったのか。
 事前に渡されていた台本をぱらぱらと捲りながら、改めて溜息が零れる。
 新春から始まる新ドラマのそれ。一条は準主役として出演がすでに決定していた。
 脚本自体は悪くない。自分の演じる役柄もだ。刑事ドラマに憧れてこの世界に入ったような面もある自分にとって、今回 の役は願ってもないものだ。まぁ『刑事ドラマ』と言うには、多分に無理のある内容ではあるのだけれど。
 回りのキャストもかなり吟味したのだろう。ベテランが揃っている。だが、だ。
 よりによって、一番メインである主役を、何故今更オーディションなどで決めなければならないのか。
 監督の主張も判らないではない。
 殆どのドラマが1クールで終わるのが常となった昨今、一年もの枠をとって作ろうとしているのだ。力も入るだろう。

『今までにないドラマを作るために、今までにないヒーローが必要なんだ』
『ヒーローらしくなくていい。だけど存在感はなきゃだめだ」
『傍にいてくれるだけで周囲を和ませて、その存在だけで周囲が救われる。そんなヒーローが欲しいんだ』
『ポイントは笑顔だ。その笑顔を見ているだけで自分も頑張ろう、そんな笑顔ができる奴はいないか』

 よくもまぁ無理を言ってくれるものだ。この世紀末な世情の、どこにそんな奴がいるというのか。
 その点は監督も考えたのだろう、規制の役者から探さず、一般から探そうというのだから。だが今の世の中、一般の 人々の中にもはたしてそんな人間がいるものだろうか?
 現に今回のオーディションで来た人間は誰も、監督の要求の1/10も満たせてはいなかった。
 だが結局はその中から妥協して探すのしかないのかもしれない。
 所詮、監督の言うような人間は、今の世の中存在しないのだから……

「絵空事ってやつだな」

 ぽつりとと呟き、短くなった煙草を灰皿で揉み消す。
 さすがにそろそ戻らないと、マネージャがうるさいだろう……と、その時だった。

「すみません、あの……」

 ───運命が扉を叩いた。

「第2会議室ってどこでしょうか?」
 柔らかな声が耳に心地いい。
 一条が振り向いた先にいたのは、二十歳ぐらいの青年だった。身長は自分と同じぐらいだろうか? だが厚みは自分の 方がありそうだ。肩幅はしっかりあるのにどことなくほっそりという印象がある。
「どうした? 迷子か?」
 精一杯さりげなさを装って問い掛ける。今時の若者にしては珍しく何も染めていない黒髪。くっきりとした瞳。なにより特徴 的なのはふっくらとした、まるでくちづけを誘っているかのようなおいしそうな唇と、その少し下のおとがいにある黒子だ。
「はい。あの…事務所から届け物を頼まれたんですけど……ここ広いから迷っちゃって」
 少し照れたようにはにかむ様子も可愛い。これは久々のヒットかもしれない。
「届け物? ってことは君はオーディションの応募者じゃないのか?」
「は? オーディション? なんですか? それ」
「いや、俺の勘違いだ、すまない」
 年齢や容姿からして、てっきりオーディションに来たのかと思ったが違うようだ。しかも今までの受け答えの様子からし て、一条のことが誰だかも判ってないらしい。一応は俳優として売れているつもりだったから、結構ショックではある。が、 それ以上に今はこの青年に対しての興味の方が勝っていた。なんというか…妙にそられるのだ。
『あの黒子に歯を立ててみたい』
 などとちょっとけだものなことを考えていたりして。
 どうやら自分はこの青年に対して欲情してるらしい。
 その容姿のせいで今まで女性関係には不自由しなかったこともあって、とくにその気になったこともない自分にしてはか なり珍しいことだった。
「それで、その届け物というのは」
「あ、はい。秀にい……あ、いえ、椿秀一さんにこの書類を届けるようにって預かってきたんです。第2会議室にいるからっ て」
「秀にい? 君は椿と親しいのか?」
 慌てて言い直したものの、口調に込められていた親密さが気に触る。まさかもうあいつのお手つきじゃないだろうな。
「あ…や…その……」
「あぁ、別に怒ってるわけじゃない。あいつに君みたいな知り合いがいるなんて知らなかったから、ちょっと気になっただけ だ」
「え? もしかして、秀にい……じゃなくて椿さんと親しいんですか?」
「言い直さなくていいよ。俺は一条薫。あいつとはもう10年来の友人ってやつだ。で、君は?」
 安心させるようにとっておきの笑顔で笑いかけ、本人が聞いたら『悪友の間違いだろう』と、思いっきり否定されそうなこと をしゃあしゃあと口にする。だてに10年俳優はやっていないというところか。だが反応は上々のようだ。真正面から一条の 微笑を見てしまった雄介は僅かに頬を赤らめながらも、自分と椿の関係を説明してくれた。一条が椿の知り合いと知って 緊張が解けたのだろう。随分と表情も柔らかい。
「甥なんです。あ、俺、五代雄介っていいます。俺の死んだ母が椿さんの姉で。でも年が近いんで兄弟みたいなものです けど」
「年が近いというと、今幾つなんだ?」
「21です」
 予想よりは少々年上と言ったところか。まぁこれで18,9と言われた日には『淫行条例』が気になるところだから、幸いと いうべきだろう。
 ───ふむ、どうやら自分は彼が男であるにも拘わらず、未成年だったらその条例にひっかかるようなこともしたいと 思っているらしい。これはかなり重症かもしれない。
 しかし椿にこんな年の近い甥っ子がいるなんて今までまったく知らなかった。もう10年近い付き合いで、一緒にいいこと も悪いこともした仲だというのに……ということは、
「……隠してたな」
「え?」
「いや、こっちの話だ」
 きょとんとした瞳も可愛いな、などと思いつつ安心させるように微笑いかけてやれば、にこぉ〜☆と笑い返してくる。その 笑顔がまた絶品で……椿が隠したがったのも理解るような気がした。誰だってこの暖かな存在を、その笑顔を独占したい と思うだろう。けしてそれができないと判っていても。
「でも良かったです。秀にいさんの知り合いに会えて。ここまで来たのはいいんですけど、ここ広いから迷っちやって、どう しようかと思いました」
「そういえばこのビルに入るときに注意されなかったのかい? 普通の人は一度そこで止められるんだが」
 そのときに守衛に行き先を聞けば話は早かったろうに。
「? 別になにも言われませんでしたよ」
「おかしいな。出入り口には守衛が立っていて、関係者以外が入り込まないようにチェックしているはずなんだが」
 なにしろここはTV局なのである。一般のFANや不審人物が入り込まないようにチェックはそれなりに厳しいはずなのだ が。
「そうなんですか? ……あ、もしかして入り口に立っていたガードマンみたいな人のことですか? 俺が『こんにちわ』っ て挨拶したら、『こんにちわ』って挨拶してくれて、そのまま通してくれましたけど」
「……………」
 無邪気に言われて絶句してしまう。そんなにチェックが甘くて大丈夫か? このTV局───と思う反面、妙に納得もして いた。この笑顔で挨拶されたら、素直にそれを返すしかないだろう。そんな力が彼の笑顔には潜んでいた。たぶん守衛も この笑顔を向けられて、礼儀正しい新人だななんて思ってそのまま通してしまったのかもしれない。
「あの…いけなかったですか?」
「いや、別に悪いことじゃないさ。君はちゃんと用があってここに来たんだから。確か第2会議室だったね」
「えぇそこに秀にいさんがいるからって」
「丁度いい、そこまで案内しよう」
「え? でも」
「俺もそこに用があってね。遠慮することはないよ」
「じゃあ、お願いします」
 そう言ってまた、にこぉ〜☆と笑う表情が実に好みで、一条はこのまま別れてしまうなんてできなくなっている自分に気 付いていた。
 もしかして、これは『一目惚れ』というやつではないだろうか?
 今までの自分の行動を振り返ってしみじみと納得する。
 初対面だというのに、もうこんなに彼が気になって、大切になっていて、あまつさえ独占欲さえ感じていたるするのだ。で きればこのまま末永く、かつ深ぁいお付き合いをしたいものである。
 が、問題が一つ。彼が椿の身内であるということだ。彼は一条の性格をよぉ〜く知っている。
 今まで大切に隠してきた可愛い甥っ子が一条に眼を付けられたと知ったら、どんな手を使っても今後雄介と会わせない ように画策するに違いない。
 ただでさえ俳優業で忙しい自分と普通の生活をしている雄介とでは、世界が違いすぎる。下手をすればこれっきりという ことも十分にありえるだろう。
 それはおもしろくない。まったくもって理不尽である(一条にとっては)。
 ならばどうすればいいか……
「あの…どうかしました?」
「あ…いや、すまん。ちょっと君に見とれていた」
「ぶっ…いきなり何を言うんですか。冗談がきついですよ」
 あながち冗談じゃないんだがな…と、くすくすと笑う雄介の笑顔を見ながら思う。しかし何度見てもいい笑顔だよな。見て るだけで気持ちが和む気がする………と、そこではたと気がついた。
 これって、どこかで聞いたことないか?

『ポイントは笑顔だ。その笑顔を見ているだけで自分も頑張ろう、そんな笑顔ができる奴はいないか』
 ───雄介が笑っていてくれたらきっと頑張れる。何だってできる気がする。

『傍にいてくれるだけで周囲を和ませて、その存在だけで周囲が救われる。そんなヒーローが欲しいんだ』
 ───雄介が自分の傍にいてくれたら、どんなに疲れたときでも心安らぐだろう。

『ヒーローらしくなくていい。だけど存在感はなきゃだめだ』
 ───全然ヒーローらしくないほっそりとした体。でもその存在はすっかり一条の心に根を下ろしていて……

「まさにそのものじゃないか」
 いるはずがないと思った存在が目の前に立っていた。
 と、同時にひらめく。世界が違うのなら、同じにしてしまえばいい。
 雄介が主役を演じることになれば同じ世界に属することになる。ましてや自分は準主役だ。一緒のシーンもかなりあった はずである。
 一条は思わず運命に感謝した。
「一条さん?」
「あぁ、待たせてすまない。行こうか」
 さりげなく肩を抱いて歩き始める。たわいないことを雄介と話しながらも、一条の頭脳はこの考えを実行するためにフルに活動しはじめていた。





調子に乗って書き始めてしまいました。
まずは二人の出会いから。
なんか予想外に長くなってしまって続きものに。
明日かあさってには続きを掲載できるかと。
一条さん、やっぱり鬼です。
ひかる


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