至上最( )の 誕生日

その2へ     .




 ふいに強い風が吹き、一条の髪を舞い上げた。
 その風に散らされたのか、どこかから飛ばされてきた桜が頬を掠めた。
 春の宵。
 空には月が朧に輝いている。
 あれからようやく二ヶ月が過ぎた。

 長野での第0号との戦い。そしてそのまま旅立ってしまった雄介。
 引き止めることはできなかった。
 一人残された一条は報告書作りに、残務整理にと、雄介のいない空白を埋めるかのように、 働きつづけていた。気が付けば四月も半ばを過ぎようとしている。

 明日は18日。一条にとっては自分の誕生日であるとともに、父親の亡くなった日でもあ る。事情を知っている面子からは休暇をとることを勧められはした。だが母には悪いと思いは したが断らせてもらった。
 名古屋に帰りたくなかったわけではない。去年は未確認のせいでろくに里帰りもできなかっ た分、母に埋め合わせをしたいという気も確かにある。それでも、いやだからこそ一人では帰 りたくなかった。
 別に約束したわけじゃない。それどころか口に出して言ったことすらなかった。それでも一 条は決めていたのだ。

 今度名古屋に帰るときは、雄介と一緒に帰る……と。
 
 自分が生まれ育った街を雄介にも知ってほしかった。
 そして母に引き会わせ、一緒に父の墓に参り、これが自分の選んだ相手だと報告する。
 きっと驚かれるだろう、反対され、悲しまれるかも知れない。
 それでももう自分は選んでしまったから。雄介とともに歩む人生を。

 だから今年は帰る気はなかった。
 そう決めていたから、先週のうちに仕事が忙しいことを口実に母には帰れないことを告げて いた。気丈さを装ってはいるが、僅かに落胆した口調が感じられた。そういえば、もう一年以 上も母とは顔を会わせてはいない。親不孝な息子だと思う。それでも一人で帰るのは嫌だっ た。

 ふと溜息を付く。
 もうすぐ部屋に帰り着く。誰も待っていない部屋。雄介がいた頃は走るように急いだ道のり をゆっくりと辿る。朝誰よりも早く出勤し遅くまで残っている自分を同僚は仕事熱心だと感心 する。だけどそれは雄介のいない部屋にいたくない、ただそれだけのこと。
 もう二ヶ月なのか、まだ二ヶ月なのか。日々だけが過ぎ去ってゆく。

 と、その時だった。
 なにげなく見上げた自分の部屋に、灯りが点いていることに気付いたのは。そしてそこに映 る細い人影。
「!」
 まさか、と思う前に走り出していた。慌しくエントランスを通り抜け、エレベータを待つ間 も惜しくて階段を駆け上がる。この部屋のカギを持っているのは自分とあと一人だけ。ならば それは……
「帰ってきてくれたのか! 五代!」
 ドアが開けられる時間ももどかしく、呼び鈴を押すと同時に鍵を開ける。小さな足音が扉の 向こうに聞こえる。これが自分への誕生日プレゼントだとしたら、明日は最高の誕生日だ。
「五代!」
 そしてドアの向こうで待っていたのは………

「お帰り、薫」
「か…母さん〜〜!」

 名古屋にいるはずの母・一条民子だった。


 (はい、例によって、ここからはコメディです)


 こぽこぽこぽ。
 とりあえず玄関先ではなんだからと移ったリビングで一条がお茶を煎れ民子の前に出す。一 条かお茶を煎れるのは働いて帰ってくる母親を待っていた頃からの習慣だった。自分用に煎れ たお茶を飲みほし、ようやく気分が落ち着いてくる。実際、危うくパニック状態に陥りかけた のだ。てっきり雄介かと思って開けたドアの向こうに母親を姿を確認してしまったときは。 ───あれは本当に心臓に悪かった。
「やっぱり薫の煎れてくれるお茶はおいしいわね」
「で、いったい何の用です。いきなり上京してくるなんて。いや、それ以前にどうやって入っ たんです。確か鍵は渡してなかったはずですけど」」
 だからこそ勘違いしたのだ。自分以外に鍵を持っているのは雄介だけ。当初は仮住まいの予 定だったということもあり、住所もまとも教えてなかった気がするのだが。
「あら、管理人さんに事情話したら入れてくれたわよ」
「なんて話したんです」
「実の親の命日にも帰ってこないドラ息子を連れ戻しに来たって」
「な……」
「事実でしょ」
 さらりと言い切られて言葉に詰まる。確かに事実ではあるが、他に言い様もあるだろうに。 どうせこの人のことだから、他にも色々と話したに違いない。しばらく近所の目が痛くなりそ うだ。
「去年は確かに未確認のことがあったからしかたがないけど、それはもう終わったんでしょ う」
「だからまだ残務整理が残っていると言ったでしょう。現場に出ていなければならなかった 分、デスクワークが溜まってるんです。来月には長野に戻りますからその関係もありますし ね」
「でもまったく休みが取れないわけでもないんでしょう。東京名古屋間なんて二時間もかから ないんだから」
「そうは言いますが……」
「しかたがないわね、まぁいいわ。事件がなくても忙しいってのは父さんもそうだったし」
 溜息を一つ付く。どうやら解ってはいたのだが、愚痴をこぼしたかっただけらしい。ホッと 息を付く。
「ところで」
「はい」
「『五代』さんて、どんな方なのかしら」
 ギック〜ン!
「さっきドアを開けるとき、名前呼んでたわよねぇ」
「………」
 やっぱり聞かれてたのか。今まで追及されなかったから、大丈夫かと気を抜いていたら。ど うやら誕生日は史上最悪な誕生曜日になりそうな気が…… 
「帰ってきて名前を呼ぶってことは、同棲してるか、少なくとも合鍵を渡すぐらいのお付き合 いをしているってことよねぇ」
「…………」
「そういえばこの部屋、食器もちゃんと二組揃ってるようだし、調味料や調理器具も独身男の 部屋とは思えないぐらい充実してるところを見ると、料理の腕は確かなようね」
「そ…それは……」
「あぁ、自分で使ってるなんて下手な言い訳はするんじゃないわよ。だいたい刑事って職業ほ ど、凝った料理に向かない職業はないんだから。まぁそれは看護婦も似たようなものだけれ ど」
 鋭い観察眼に的確な状況判断&推理力。一条の刑事としての資質はこの母親譲りかも知れな い。
「そもそもおまえが着ているそのベスト、手編みでしょう。本命以外の子からそんなものを受 け取るわけないわよねぇ。で、どんな子なの? きりきり白状なさい」
「いや……その……」
「それにしても、おまえらしくないわねぇ。同棲だなんて」
「同棲はしてません」
 一条としてはしたかったのだが、ポレポレの方を優先されてしまっただけで。
「似たようなものでしょう。合鍵は渡してるんだから。それにしてもおまえの性格からすれば そこまで惚れ込んだ相手なら、さっさと逃げられないように法的手段をとっていそうなものだ けれど」
 さすが母親、息子の性格を良く知っている。
「そういえば、母さんもそうでしたっけね」
「当たり前でしょう。刑事相手に悠長に式上げる暇ができるのを待ってられますか。さっさ と婚姻届けだして、私のもんだと主張しておかないと」
「で、猫を被ってる間にゲットしたと」
「言っておきますけど、少なくとも父さんが生きてる間は白衣の天使を演じきったわよ。猫も 被りとおせば本物でしょう」
「できれば息子の前でもそうしていて欲しかったですが」
「おまえが父さん似だったらそうしたかも知れないわねぇ。だけど自分と同じ性格の息子相手 に猫なんて被ってもしかたがないし………あ、もしかしてそれで逃げられたの? ばかねぇ」
「いきなりなんですか!」
「『帰ってきてくれたのか! 五代!』。さっきそう言ってたわよねぇ。さてはうっかり地を 出して逃げられたんでしょう。ダメよ、ちゃんとゲットするまでは猫を被ってなきゃ。外面だ けなら、真面目な美形刑事で通るんだから」
「…………」 
 なにやら聞き捨てならないことを言われた気もするが、当らずとも遠からずな発言に反論で きない。
「おまえも意外と爪が甘かったのねぇ」
「生憎と法的手段が通用しない相手だったんだからしかたがないでしょう」
 ころころと笑われて、ぷつりと一条の中で何かが切れた。
「驚かせては悪いと思って黙ってたんですか───」

   間

「───というわけです」
 一条はこの一年の間に五代との間に起こったことを洗いざらい話した。
 刑事の元妻であり、現役の婦長でもある母なら他言することはないだろうし、どういう状況 だったかも理解できないことはないだろう。どういった状況で自分と五代が出会い、触れ合 い、求めるあうようになっていったのかを。五代がどういった人物で、どれだけの苦しみを抱 えてなお戦い続けていたかを。それをただ見守ることしかできなかった自分の無力さを……。
 その上で、反対されるなら、それはそれでしかたがないと思った。それでももう自分の選ぶ ものは決まってしまっているのだけれど。
「俺は、五代と生きていたいと思っている。今までもこれからも」
 マスコミには発表されなかった多くの事実。その中には対策本部以外の警察組織にさえ、い や対策本部も知ることのない一条しか知らない出来事さえも含まれている。五代雄介という人 間を理解してもらうには必要だと思ったから、あえて話した。自分が求めた相手を母に理解し てもらうために。
「母さんにはすまないと思ってるけど……」
 たとえそれが結果的には母を裏切ることになったとしても……
「薫、一つ聞きたいんだけど」
「なんですか?」
 覚悟を決めた一条に、民子が口を開いた。
「その『ゴダイ』さんって、もしかしてこの方じゃない?」
 と、差し出されたのは一葉の写真。そこに映っていたのは民子と………
「!!!!!!!!!!」
 確かにそれは雄介だった。
 2,3年前ぐらいだろうか? 今より少し幼さの残る容貌だが、この笑顔と特徴のあるあご の黒子は見間違えようもない。少し癖のある髪が伸びていて、年より幼く見せている。
「こ…この写真はいったい、どうして母さんが雄介と〜っ!」
「やっぱり、おまえの言ってる『ゴダイ』さんって、雄介くんのことだったのね。ゴダイって いうから、まさかと思ったんだけど」
「だからどうして母さんが雄介のことを知ってるんですか!」
「落ち着きなさい、薫。おまえが東京に出てから、私が年に一度、ボランティアの旅をしてい るのは知ってるわよね」
「聞いてはいますが」
 名古屋の市民病院に婦長として勤めている民子は、年に一度長期休暇をとる。長年培った看 護婦としての知識を生かしてアジアの無医村で医療指導を行うためだ。
「2年ぐらい前に、ミャンマーの小さな村に行ったとき、雄介くんもそこにいたのよ。そのと きに色々と手伝ってもらってね。で、帰国する前の日に撮った写真がそれ」
「そんなことがあったなんて、俺は聞いてませんよ」
「あら、話したわよ。いい子に出会えたって」
 そういえば、そんなことを聞いたような気もする。ただそれは自分が雄介に会う前だったか ら、右から左に聞き流していたような……ものすご〜く惜しいことをした気がする。
「それにしても、まさかおまえが選んだのが、雄介くんだったとはね」
 改めて写真を眺めながら、しみじみ民子が呟く。
「まぁまさかと言えばまさかだけど、納得できるって言えば、もの凄〜く納得できるわよね」
「母さん?」
「血は争えないっていうけれど」
「は?」
 なんか雲行きが妙な気が。
「わかったわ、薫」
「なにがわかったんです」
「絶対、ゲットしなさい」
「はい〜〜〜!?」
 ゲットって、ゲットって……
「一度や二度逃げられからって、諦めるんじゃないわよ」
「いえ、あの………」
 無論、一条とて諦める気は毛頭ないが、なんなんだ、この燃えようは。
「夢だったのよねぇ、雄介くんみたいに素直で可愛い子を息子に持つことが。あの人の子を身 篭ったときは期待したんだけど、結局生まれたのはおまえだし」
「悪かったですねぇ、あなたに似て」
「でもその手があったのよねぇ。おまえってば性格だけじゃなく相手の好みも私そっくりなん だし。いぃい、薫。絶対に逃がすんじゃないわよ」
 どうやら本気らしい。こういう性格だと理解ってはいたが……疲れる。
「言われるまでもありません。俺の人生の伴侶は雄介だけだと思ってますから」
「頼もしいわね」
 にっこり笑い合う表情はそっくりで、まさに親子そのものだった。
「それはそうとして、母さん」
「だめ」
「まだ何も言ってないんですが」
「聞かなくても見当付くわよ。どうせこの写真が欲しいんでしょう」
「理解ってるなら、くれてもいいじゃないですか。どうせ母さんのことですから、他にも持っ ているんでしょう」
「それはそれ、これはこれよ。ネガがあれば焼き増ししてあげても良かったけど、去年の水害 でダメになっちゃったから、写真はこれだけなんだもの。だいたい写真くらいおまえだって幾 らでも持ってるでしょ」
「ないから言ってるんです」
「ないって……恋人だったんでしょう、一応」
「一応じゃなくて、ちゃんと恋人です」
「ならなんで……あぁ、彼の事情ってやつね」
 第四号であった雄介の、写真を残すわけにはいかなかったから。
「理解っていただけたんなら、くれますよね」
「それでもイヤ」
「母さん!」


 所詮似た者親子。
 気に入った相手に関する心の狭さはどっちもどっちなようで。
 不毛な争いは深夜まで続いたとか。 
 一条薫の史上最強の誕生日が訪れようとしていた。





時間がなかったので書き逃げです(そのうちもうちょっと手を入れたい)。
最強キャラ、一条さんの母上様登場編です。
この勢いのまま、ポレポレに結納届けに行っちゃうわけです(笑)。
婦長のボランティアの旅っていうのは、某4コマDr.漫画が元ネタ。
知ってる人、いるかなぁ。
本来ならこの二人の会話って名古屋弁なんでしょうけど、
関東人がエセ名古屋弁を書くよりはと、標準語にしてしまいました。
あ、その2はその一年後、雄介の誕生日頃のお話です。
   (ひかる)

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