至上最( )の 誕生日 その2






 ふいに強い風が吹き、一条の髪を舞い上げた。
 ようやく風が柔らかくなった3月。
 輝く月に照らされた早春の宵、一条は家路を急いでいた。

 明日は18日。一条薫最愛の恋人、五代雄介の誕生日である。
 無論、明日から2日間、休暇はもぎ取ってある。
 それどころか予定では今日も午後から半休をとる予定だったのだ。
 なのにせっかくのその予定も潰れてしまったのだ、突如起こった銀行立て篭もり事件のせい で。

『まったく警備の下調べもできてない上に、逃走経路もろくに確保できないようなまぬけが、 中途半端に銀行強盗なんてやるんじゃない!』

 とは、長引きそうな事件の気配にぶっつりとキレた一条の台詞。
 その後、ぶちキレまくった彼の誠心誠意を込めた『説得』により、事件は予想外に早期解決 したのは一応事実ではある───その『説得』が、たとえどんなものであろうとも………。

 閑話休題。
 とにかく、その事件の後始末やら書類やらですっかり遅くなってしまったのだ。自然足も速 くなろうかというもの。
 ようやくマンションが視界に入ってくる。部屋の窓からカーテン越しにこぼれる灯り。雄介 がいるという証。本庁を出る前に帰るコールは入れたから、きっと暖かな夕食を用意して待っ ていてくれることだろう。

『早く帰ってきてくださいね』
 ふいに電話での雄介の声を思い出す。
『どうした? そんなことを言うなんて、なにかあるのか?』
『ふふふ……それは秘密です』
『なんだ、教えてくれないのか?』
『その方が楽しみでしょう。知りたければ早く帰ってきてください。きっと一条さん、びっく りすると思うな』

 笑みを含んだ柔らかな声が一条の耳に残っている。
 何よりも大切な存在───二度と手放したくはない。
 あの戦いの後、旅に出ていた雄介がようやく一条のもとに戻ってきたのは去年の六月。
 それからずっと一緒に季節を過ごしている。

 束縛しているとの自覚はある。
 誰よりも自由を愛し、冒険することを望む魂を自分のもとに縛り付けていると。
 あの戦いの日々を除けば、こんなに長く雄介が日本に留まっているのははじめてだと、彼の 妹も言っていた。
 それでももう、手放すことなど考えられなくて………

 エレベータを降り、廊下を抜け、部屋の前に立つ。
 呼び鈴を鳴らすと、さほど待つこともなく扉が開けられた。

「お帰りなさい、一条さん」
「ただいま、雄介」
 いつもより200パーセント増し(一条比)の笑顔で迎えてくれた雄介に、自然一条の表情 も綻ぶ。
 さりげなくかわそうとした腕を捕まえて、強引にキスに持ち込んだ。
「ん……んん……」
 抗議の声を上げようとした隙を付いて、キスを深くする。半日ぶりの甘い唇を存分に貪る。 抵抗に硬くしていた体から力が抜けてゆき、身を離そうとしていた腕が一条の背に回されるの に、たいした時間はかからなかった。
「もう……一条さんってば…強引なんだから……」
 脱力した身体を一条に預けながらも、雄介が小さく抗議する。
「おまえがそんなに可愛いのが悪い」
「誰が可愛いですか。もう27になる男に言う言葉じゃありません」
「しかたがないだろう、実際に雄介は可愛いんだから」
「一条さんのばか……」
 抗議する声にも甘さが混じってしまうのは、まだ余韻が残っているせいだろう。ほんのりと 紅く染まったうなじに誘われるように、再度一条が口づけようとしたその時、ふいに奥から声 が響いた。

「薫、帰ってきたの? 雄介くん」
「あ! はい、民子さん」
「な……! 母さん!?」
 それは確かに聞きなれた声で。視線を向ければにこにこと二人を眺めている一条の母・民子 が居間の入り口に立っていた。慌てて雄介が一条の腕の中から身を離す。
「仲いいのもいいけど、TPOを考えて程々にね。せっかく準備した夕食が冷めちゃうわよ」
「! そうだ、一条さん。早く上がって、着替えてください。今日は民子さんと色々作ったん ですよ。一条さんの好物とかも聞いて」
 ぱたぱたと雄介がエプロンを翻してキッチンへと向かう。玄関に残ったのは一条母と息子。

「……母さん」
 不自然な沈黙を破ったのは息子のほうだった。
「なあに? 薫」
「どうして母さんがここにいるんです!」
「あら、久しぶりに息子夫婦の顔を見にきた母親に随分な言い草ね」
「そう言って、確か半月ほど前にも来てませんでしたか?」
「忘れたわ、そんな昔のこと」
「わざわざ様子を見にこなくても、俺と雄介は至極仲良くやってますので、心配は無用です。 どうせ俺に託けて雄介に会いにきただけなんでしょう」
「あら判ってるのならわざわざ聞くことはないでしょう」
「だいたいどうして今日なんですか。明日は雄介の誕生日なんですよ!」
「だからに決まってるじゃない。プレゼントもちゃんと持ってきたんだから」
「その誕生日に、息子を恋人と二人っきりですごさせてやろうって気はなかったんですか」
「二人っきりなのはいつものことでしょう。たまには母さんに貸してくれてもいいじゃない」
「貸しません、雄介は俺のものです」
「相変わらず独占欲強いわねぇ」
「あなたの息子ですから」
 確かにそう言って笑い合った表情はそっくりで、雄介がこの情景を見ていたら即座に逃げ出 したことは間違いないだろう。
「どうしたんですか? 二人とも。早くしないと夕食冷めちゃいますよ」
「あぁ、今行く」
「ごめんなさいね、つい話しこんじゃって」
 と、瞬時に剣を隠して雄介に向けた柔らかな笑顔もやっぱり似ていた親子だった。



「ごちそうさま、本当に雄介は料理が上手いな」
「一条さんのためにって思って作ってるからですよ。それに今日は民子さんも手伝ってくれた し」
「いや母さんの料理の腕は俺が一番良く知ってるからな。雄介の方が何倍も料理は上手いぞ」
「一条さん! お母さんの前です」
「いいのよ、雄介くん。本当のことだし」
 そう言いつつ、一条に向ける目が笑ってないような……
 場面変わって、食後のティータイム。今日は和食メニューだったので緑茶である。
「そういえば薫、母さん来週から出掛けるから」
「またいつものやつですか。今度はどの辺りを回るつもりなんです」
「フィリピンのミンダナオ島の方に行ってみようかと思って」
「あそこもまた揉めてるらしいですから、気をつけてくださいね」
 まぁ無駄な心配とわかってはいるが一応言ってみる。ただでさえ場所が海外で勝手が違う上 に、行き先は大抵辺鄙な場所だから、もしもの時にはまずそこに辿り付くまでが大変なのだ。
「とりあえず今は和平交渉も始まったみたいだからなんとかなるでしょう。ね、雄介くん」
「そうですね。まぁ用心するに越したことはないですけど」
「えぇ命あってこそのボランティアですもの。ね、雄介くん」
「はい」
「判ってるのならいいんですが……って、どうしてそこで一々雄介に同意を求めるんです」
「一緒に行くからに決まってるじゃない」
「……はい?」
 なんか今、妙なことを聞いたような。きっと気のせいだろうと思いたがる一条を他所に、 きっぱりと母上様は言ってくれた。
「来週から一緒にフィリピン行くのよね、雄介くんと」
「なんですってぇ! 聞いてませんよ!! 俺は!!!」
「言ってないもの、当然じゃない」
「なんで言わなかったんですか!」
「驚かそうと思って♪」
「なにが驚かそうと思って♪です! だいたいどうして雄介を連れていく必要があるんです。 いつも一人で行ってるじゃないですか!」
「あら、さっき薫も言ったじゃない『また揉めてるらしいですから、気をつけて』って。やっ ぱりそんなところに女一人で行くのはちょっと心細いのよねぇ。でも雄介くんが一緒に言って くれるんなら心強いわ」
「すみません、一条さん。勝手に決めてしまって。でもやっぱり一人だと危ないと思うんで す。あそこもまだ独立問題で揉めてるから」
「…………」
「怒ってます? 黙ってたこと」
「あぁそれは私が言ったことだから雄介君を怒らないでね」
「怒ってませんよ」
 雄介に対しては───ぶつぶつと心の中で呟く。
 まったくなぁにが『心細い』だ。独立問題で紛争中だったインドネシアの東ティモールや 爆撃下のイラクからも、無傷で帰ってくるような人間が『心細い』もないもんだ。だいたい こんなぎりぎりまで黙っていたのも、言えば俺がどんな手段使ってでも止めるのが判っている からだろう。本当に我が母親ながら姑息な───とは思っていても言えないことである。 
 なにせ目の前で愁傷に反省して見せている母親の目が
『反対するなら、あんなことこんなことも全部雄介くんにバラすわよ』
 と言っていたので。
 一条は深ぁく溜息をついた。
「判った。だがくれぐれも無茶するんじゃないぞ、雄介。いいですね、母さん」
「一条さん!」
「ありがとう、薫」
 全身で喜びを表して雄介が抱きついてくるのに、ちょっと幸せを感じてしまう。とはいえ 明日はせっかくの雄介の誕生日だというのに、どうやら至上最悪の誕生日になりそうな気が する……これというのも。
『このクソババアがすべて悪い!!!』
 満面の笑みを浮かべる母親に内心で毒づくぐらいは許されるだろう。
「なんか言った? 薫」
「いいえ、なにも」
 笑顔で交わす会話の背景はアラスカ・ブリザード。そして、
「? どうしたんです? 一条さん」
「なんでもないさ、雄介。なぁ母さん」
「えぇ、そうね、薫」
  
 台風の目である雄介だけは、何も気付いてなかった。




なんか久しぶりに甘々書いた気がします。
特に玄関でのお出迎えの辺り。あまりの甘さに何度手が踊ったことか。
いい加減にせいよ、二人とも! と言うことで、お母様をまた出してみました。
今回は一条さん受難編です。たまには彼にも苦労してもらわないとね。

(ひかる)

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