beginning (前)

それは、いつもの指導碁研修を終えての晩のことだった。
ふだんは指導碁が終わった後、各自で食事を楽しんだ後、温泉につかるもよし、飲みにいくもよし、碁を打つもよし、と自由な時間をすごすものだが、その日の夜めっ たにないことだが数多の棋士達がある部屋に揃っていたりした。

見目麗しく有名どころの棋士がそろったその恵まれた研修は、夏も終わりに近い9月の土日に伊豆で行われたのだが、ちょうどその日程の中にヒカルの17回目の 誕生日があるのを気づいた和谷が、ヒカルの誕生日を祝おう、と言い出したのがその飲み会のキッカケだった。
――――――――――ちなみに、なんで和谷がヒカルの誕生日を知っていたかといえば。それは勿論、和谷がヒカルの誕生日をチェックしていたからである。なんで 思春期も真っ只中の男の子が同性の友達の誕生日をチェックしているの?・・・なんて突っ込んでみよう。勿論、それは和谷が並々ならぬ思い入れ≠ヒカルに対 して抱いている為さ! という答えが返ってくるが、じゃあその思い入れ≠チてどんなの? なんて聞かれたら『うーん、結構危ないレベル?』なんて答えられる程 度には、和谷は自覚していた。
かといってまるっきり和谷が悩まなかったわけではない。ヒカルに対するこの思いが友情からくるものなのか、愛情からくるものなのか、結構どっぷりはまり込んで悩 んでいた時期もあったものだ。だが、ふと気づいたときに、実は自分の知っている周囲の人間もヒカルに対して同じような感情を抱いている、と気づいてからは、開き 直って『ま、いっかー』ぐらいにしか思っていない。それどころか『他の奴なんかにゃ、負けられねぇ!』なんて思ったりすることもあったりするぐらいだ。


ちなみに、悩みに悩んだ和谷が相談した相手は伊角だった。

――――― ね、伊角さん、友情と愛情の区別って、どこからなのかな
――――― ・・・・・・は?
――――― いや! あのさ、仲のいい・・・お、女がいるんだけどさ

勿論、相手はヒカルとは言えないから、そこはちょこっと変更した。

――――― そいつのことは好きなんだけど、それが友達として好きなのか、そう
じゃないのかわかんなくって・・・。
――――― なんだ、そんなこと簡単だろ。
――――― ・・・・へ?。
 
結構深刻な顔をして打ち明けた(つもりの)和谷だったが、伊角はにっこり笑ってあっけらかん、と和谷にむけて

――――― その子でヌけたら、友情ではない、ってことだよ。
 
とのたまってくれたのだった・・・・・・・・・動作つきで。

――――― ・・・・・はいぃぃぃぃ〜〜〜〜っ!?

そんなエゲツナイ答えを返してくれた伊角に、思わず引いてしまった和谷だったが、考えてもみれば自分より4歳も年上のその男はもう成人しているのだ。返って、 『なんの経験もありません』と言いうような綺麗事を言われても、その方が結構怖い。
この一見ストイックに見える伊角のその顔に騙されがちだが、よくよく思い返して見れば伊角の隣にはいつも違う女性が立っていたような記憶もあるし。勿論その女 性達が只のお友達ではあるまいし、1人暮らしの伊角の部屋の前でかち合ってしまったことも何度かあった。この顔に、イイ性格(決して良いではないところがポイン ト)している伊角なら相手に困ることもないだろう。そりゃ経験だって豊富だ。
だからこそ伊角に相談したのだが・・・まさかこんな答えとわ。
そんな和谷の考えを読み取ったのか、ふ、と笑って

――――― ちなみに、俺もヌけたりするよ?。
――――― ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・へ?
 ――――― よく考えないと、な、和谷。

と。
そうのたまってくれたのだった。
そして突然のことに呆然としている和谷の肩をポン、と叩いて去っていってしまったのだ。はっはっは、と爽やかな笑い声を残して。

――――― い、伊角さん!?

そういえば。
碁を遠ざかっていた進藤と一局打ってきてからの伊角に女の影がないな、とか、考えて見れば前々から妙に進藤に拘っていたなどと(自分のことを棚にあげて)気づ いてしまったときにゃあ、もう、新たなライバルの登場に

――――― ぜってぇ、負けられんっ・・・!!

と、心の中で拳を握ってしまったのだった。勿論、最大のライバルは塔矢だ。

もとい。
そんなこんなで、和谷は他の奴等を引き離すべく、ヒカルの誕生日を祝ってささやかな飲み会を開こうとしたのだ。最初は二人きりでする、こじんまりとしたもののつも りだった。自分たちが未成年だという自覚は十分あるし、指導碁にきている真っ最中で問題を起こすわけにもいかないからだ。
ちょっとした酒とつまみをプレゼント代わりにするつもりだった。酒に関しては、いまどきの若者たるもの、飲み会は必須と思っていたし、和谷自身、なんだかんだと1 4、5歳の時から飲んでいたから、勿論ヒカルが反対する筈はないと思い込んでいたので

「え!? 酒なんて飲んでいいのかよ!!」

と、ヒカルが言われたときもには、反対に「マジかよ!!」と叫んでしまったのだった。

「サワーぐらい飲んだことあるだろ?」
「・・・・・ない。うちの親父、酒呑まないし」
「で、でもさ、碁のイベント行った時にビールの一本ぐらいは・・・」
「ううん。俺、あんまりイベントに行ったことなかったし、たまにいっても大体、部屋にいたし・・・」
そういったヒカルの表情がふと翳ったのを和谷は見逃さなかった。が、それをたずねる前にヒカルの表情はあっという間に戻ってしまった。
「だからさ、初めてだ、俺」
「は、初めてか・・・飲み会も?」
「うん、考えてみればそんな機会なかったし、飲み会とかって一度も参加したことないしさ、だから楽しみ〜」
「そ・・・そっか・・・・」
「ね、サワーって美味しい?」
 そういって首をかしげたヒカルがあまりにも可愛らしくって、和谷は何度も頷いてしまった。
『ここで決めて、一気にポイントアップだぜ!!』などと考えていたのだが、この時点でヒカルに二人でしような≠ニ念を押しておかなかったことが和谷の詰めの甘いとこ ろだ。
 碁と違って人の気持にはまるっきりニブニブなヒカルが、そんな和谷の気持に気づくはずもなく、気が付いたら、飲み会の話は知れ渡っていていつの間にか結構な 大人数にまで膨れ上がってしまっていたのだ。
それに和谷が気づいたときには遅く。
「水臭いな、和谷。こういうことには俺達も誘ってくれよ」
と、伊角ににっこり笑って言われたときには詰めが甘いことを悔やんだがとうに遅く。
にっこり笑ったヒカルに
「人は多いほうが楽しいだろ」
と言われてしまい、がっくりと肩を落としたのだった。

だが、ほんとーに、自分の詰めが甘いことに悔やむことになるのを、和谷はまだこの段階では気づかないでいたりする。


「何をやってる」
「わぁっ!」
そんな言葉とともに突然に障子を開けられて。
ヒカル達は慌てふためいた。いくら伊角がいるとはいえ、ついとっさに酒を隠してしまったのは仕方ないだろう。しかもそこに立っているのは緒方と白川、芦原だった。 ちょうど風呂にでも入った後なのか、三人とも浴衣姿で、すっかりくつろいだ様子だ。ちなみに今回は珍しくヒカルも浴衣だ。
「なにって、今日は進藤の誕生日なので、ちょっとした飲み会をしようかと」
あせる和谷を置いてにっこり笑ったのは伊角だ。
「誕生日?」
「はい、今日で17になるそうですよ」
「そうか・・・17か」
そういった緒方がじっとヒカルを見下ろす。緒方に見つめられてヒカルが居心地悪そうに視線をそらした。
「そんなめでたいことなら俺達も参加させてもらうか」
「はいっ!?」
そういいきった緒方にヒカル達が慌てても遅く。
「なにか不満でもあるのか」
「・・・いえ、別に」
結構、緒方の酒癖が悪いのを知っている面々がこっそり溜息をついたのは言うまでもなかった。



飲み会が始まって一時間後。

「ごめんねぇ、結構あの人飲んでるから」
「・・・・やっぱり」
こっそり芦原に囁かれて、和谷が肩を落とす。
苦笑いをしている芦原の手には誰がもちこんだかわからない日本酒がはいった茶碗がもたれていたりするのだが。
「・・・あの様子じゃ、緒方さん結構呑んでますね」
同じように日本酒を飲みながら、珍しく飲み会に参加したアキラが眉間に皺を寄せて同じ光景を見つめている。
「・・・・なにか?」
「いや」
和谷の視線を感じたのか、アキラが振り向く。
「お前が参加するなんて珍しい、と思って」
「・・・・・君は僕のことをどう思っているんだか知らないけどね、僕だって酒ぐらいのむよ」
「そういうんじゃなくってさ」
いやいや、と和谷が手をふる。
「お前って、そういうイメージじゃないだろ」
「じゃ、どんなイメージなんだ」
間髪おかずに切り返されて、和谷が口をつぐむ。
ここ数年でアキラのイメージはすっかり変わった。あの塔矢行洋を父にもつだけはあって、華奢とも言われていたアキラはメキメキと身長を伸ばし、肩幅が広がり、大 人の顔つきへと顔が代わり。いまだに同じ髪型だというのに、その姿形は男以外のなにものでもなくなり始めている。
紅顔の美少年≠ネんてすっかり過去の話だ。いまやすっかり凄みのある美形≠ノ変わりつつある。だからこそ、普通は『僕』などと自分のことを呼べば經遠され るものの、反対に上品んでいい、などと女性に評判だったりするぐらいだ。
「だいたい君に『お前』呼ばわりされるいわれはないよ」
「へいへい、すまんこって」
その返事が癇に障ったのか
「って! なにすんだよっ!」
ゴスッ、と尻を蹴られた和谷が前につんのめってしまうのを何とか踏ん張りこらえると、平然としているアキラに食って掛かった。
そんな和谷をみて、無表情のままにアキラが言い捨てた。
「ああ、すまん、足が長くってね」
この年にして、これほど老けた厭味の言い方が似合う人間は他にいるまい。案の定、和谷が更に憤った。
「てめっ!!」
「まあ、まあ、まあ、まあ」
かっ、となった和谷が食って掛かる前に、芦原が二人の間に割って入る。互いにヒカルを挟んだ位置に立つ二人は、互いのヒカルに対する執着が見えるだけにその 存在が気に食わないらしい。
芦原は苦笑いすると二人の気をそらすかのように、その光景を指差して
「しかし、あれじゃすっかり只のスケベ親父≠セよねぇ」
と笑ってみせた。
途端、二人の顔が曇る。
その指の先には、すっかりくつろいでいる緒方とその隣で結構楽しそうなヒカルの姿があった。
それだけなら大したことはない―――わけでもない。できるならヒカルの隣に緒方を座らせたくない、と思っていても、今の二人ではまだまだ緒方にかなわないのを 知っているので、我慢しているだけなのだけれど―――が、何分その体勢が問題なのだった。胡坐をかいている緒方は背を壁にもたせ、ちょうど肩の位置にあった 窓の燦に肘を突き、気だるげに頭を支えている。そのせいでちょっとだけ体がヒカルの方に傾いているのだ。
そしてヒカルはといえばすっかりほろ酔い気分なのだろう、足を投げ出して緒方と同じように壁にもたれかかっていて、ちょこっと首を緒方の方に傾げていたりするか ら、そのせいで、どうしても二人が顔を寄せあっているようにしか見えないのだ。
そして、一番気にかかるのは緒方が手寂しいのか、時折ヒカルの髪をもてあそぶように掬い取っては引っ張って遊んでいるのを、ヒカルが一概に嫌がっているとは思 えないのという点だ。
「進藤、酒を呑んだ事なくってさー・・結構調子よく呑んでたから、酔ってんのかも」
「そうだろうな、じゃなきゃ、あんな真似は許さないだろうからな」
和谷の呟きに、アキラが同意する。
「・・・・なんっか、エロいんだよな、あの人・・・油断できねぇ・・・」
浴衣が着崩れている様とか、肘を付いているせいでまくれあがった袖からのぞく、意外に筋肉質で逞しい二の腕とか、自分にはない男の色気が妙にヒカルに似合っ ていてムッとしてしまう。
思わず、ぼそっ、と呟いた言葉が聞こえるはずもないのだが、不意に顔をあげた緒方の視線に貫かれて思わずビビってしまった和谷に
「あの人、凄い地獄耳だからね、気をつけたほうがいいよ?」
と遅い忠告してくれた芦原をみやると、なにやら滅茶苦茶楽しそうだ。
そういうことは早くいってくれ、と言う感じだが、人が良いように見えて、そうでもないらしい芦原に、和谷は彼が十分緒方の友人をやっていられる理由を知る。
「類友・・・」
「なに?」
思わず呟いてしまった和谷の言葉の意味を知っていて聞き返してくる芦原に「いーえ、なんでも・・・・・・」ありません、と続けようとしたのだが。

「じゃ、やっぱりナンパされたんだ、進藤君」
「何だって!?」

という白川の言葉に、それこそブン!! と音がしそうなほどの勢いでそちらに顔を向けてしまう。
すかさずアキラと和谷が立ち上がり駆け寄った。

「な!? ナンパっ!?」
「し、進藤!!」
「・・・・お、おちつけよ・・・塔矢も和谷もさぁー・・・」

その迫力に思わず体を引いたヒカルは、畢竟、緒方に身を寄せる嵌めになり、それをみていたアキラのこめかみに米マークが浮かび上がる。
が、緒方はそんなことを微塵も気にしておらず、反対にヒカルの方に体を寄せたりする。米マークが3つになったアキラの勢いをそぐように伊角がのんびりと言葉を挟 んだ。
「進藤が、ナンパか、モテルねぇ」
「伊角さんてばぁ・・・もう、からかわないでよ」
「ね、ね、どんな子だったの?」
「あ、芦原さん!」
いつのまに傍に来たのか、芦原にまで興味深々で尋ねられてヒカルの顔が酒の所為
ではない赤色に染まる。
「可愛い子? おねえ様系? お水系? う〜ん、進藤君は年下や同世代より年上の人に受けるタイプだよね。年上の人に可愛がられたほうがあってるし! ね、 ね、どんな・・・」
「うるさい」
ゴン、と音がして芦原の脳天に緒方の拳が落ちた。
「痛いじゃないですか〜」
「お前が話すな」
「っとにもう、酒がはいると手加減ないんだから」
「なんか文句あるのか」
「いいえ、ありません」
へへぇ、と頭を下げる芦原にフン、と鼻を鳴らして見せると緒方が再びヒカルに向き合った。
「で? どうなんだ」
「もう! 緒方さんまで!」
その端整な顔を近付けられて、ヒカルが照れくさそうに唇を尖らせ、慌てて白川に向き直る。
「し、白川さんが変なこというから!」
「だってさ、藤崎さんがプリプリ怒ってたからさ〜」
焦るヒカルに対し、白川は実に楽しそうだ。
「パフェやらなんやらおごったんだし、その代わりに情報を提供して貰わなきゃ」
「げ、あかりの奴・・・・」
「『あかり』って・・・・進藤の幼馴染だっけ?」
「はぁ・・・」
聞き覚えのある名前に、伊角がああ、声を上げた。
「じゃ、白川さんは全部知ってるんですね」
「そ、知りたい?」
「白川さん!!」
ヒカルが叫んでも遅く、隠しておきたかったその出来事は、すっかり白川の口からばらされてしまったのだった。



後編へ

TOPへ    小説TOPへ