木星奪還部隊ガイアフォース

地球連邦軍・その組織構造と問題点


5.動乱の行方・地球連邦軍の責任

 

 木星域に端を発したこの動乱は未だ収束をみない。むしろ戦局は混迷の度合いを深めている。どのような終末を迎えるのか、私には分からない。どちらに正義があるのか、それも後の歴史が評価することだろう。しかし死んだ人間は生き返らない。ただ一刻も早い終結に努力したい。

 地球連邦が誕生した日、人類はすべての戦争に勝利した、と誰もが思ったであろう。もちろんそのとき、その選択肢は絶対にあったはずである。しかし地球連邦は旧世界の悪しき精神を引き継いでしまったのではなかろうか。また形だけの統一に酔い、人類同士の融和の努力を怠ってきたのではなかったか。残念ながら後世の歴史家は言うだろう。「この日、地球は一つに統一された。しかし問題が先送りになっただけで何も変化はなかった」と。

 地球連邦軍とはいったい、いかなるものか。宇宙世紀の安全保障についていま一度考える時期が来ている。人類の多くは、いまや過酷な環境と隣り合わせの人工の空間に住んでいる。また犯罪の増加は人民の不安要素の一つである。故に安全保障が必要なのは当然として、しかしそれは武力とは別のもののはずである。暴力機構としての軍隊はいらないのではないか。例えるなら今の地球連邦軍は猛獣である。虎を飼うには尻尾ではなく首に鎖を掛けるべきであろう。権力機構と化した軍隊ほど危険なものはない。歴史上、多くの軍隊が、時に自国を滅ぼすまでに暴走した。地球連邦軍がそうならない保障はどこにもない。

 地球連邦軍はこの動乱の結末にどういったヴィジョンを持っているのか。おそらく何も持ってはいないだろう。地球連邦軍は、もはや欲望の惰性で動く怪物機械である。自らの存在理由のために再び力を求めている。この動乱はきっかけにすぎない。すでに多くの歪んだ野心が、その内部から吹き出ている。平和のためと称して作り出される非人道的兵器の数々、それを平然と誇る姿がこの軍隊の未来を暗示している。かつてスポーツが企業のプロパガンダに利用されていた時代があったが、新鋭機の情報や部隊の出発式の模様が軍のプロパガンダに利用されるに至っては、兵士の安否を気遣わずにはいられない。情報戦術との解釈もあるが、どちらかと言えば、謀略に属する部類であり、しかもすでに人権から一歩踏み外している感がある。

 いまや戦争は一般生活からかけ離れ、遠い世界の話のように語られる。軍を専横する者たちがそのようにしてしまった。誰も軍に注意を払わない。払う必要を感じない。国民総生産の1%内で戦争が行われ、ミサイルが消費され、兵士が死に、環境が汚染される。ために税金が支払われる。為政者が数字を好む所以である。政治を自分たちの特権としていたいのである。しかし安全保障を他人に任せ切った歴史は、怠惰の代償を要求する。対岸の火事ではない。政治や軍の腐敗を嘆いても、それは我々が生み出してきたものである。地球連邦軍の責任、と言葉をすり替えてはならない。これは我々の責任である。問うなかれ、無論、我々の未来に対しての、である。


目次へ 前のページへ インデックスのページへ