タイトル

サブタイトル




〜 第81日 〜


<ちょいと!中央日報さん>

記念すべき第一回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)にて
日本が初代王者に輝いた。
この大会が将来、サッカーのFIFAワールドカップ並みに
世界を席巻するような大会になることを望むわけだが
審判や日程など全てが米国びいきで行われた第一回を見る限り、
そうなることはかなり遠い将来だろうな。
だいたいFIFAワールドカップの第一回はサッカー母国・イングランドではなく
南米・ウルグアイにて始まった。
戦前の話だから様々な事情があったにせよ、そうしたことによって
サッカーが世界のものになっていったわけだ。
それに比べて米国はどうだ?
野球を世界中に広めていこうという精神は見られず、
どうだ!USAは強いだろう!と言いたいだけの大会にしようとした。
まさに米国の米国による米国のための大会にしよう、と。
しかもその結果、トーナメント戦進出さえできなかったんだから恥の上塗りだ。

決勝までの進め方にも大いに疑問があった。
すなわち米国は決勝戦まで絶対に、
強豪と言われるキューバ・ドミニカ・プエルトリコと当たらないようにした。
米国が当たるのは強くてメキシコ、その後はアジアである。
FIFAでは考えられないが、何回も同じチームを相手にやるわけだ。
そんな不自然な進め方をするから、また韓国で反日ムードが高まったわけだ。
しかし今回で言えば韓国人の気持ちも分かる。
日本と通算2勝1敗、総成績でも1敗しかしていないのに
総成績で3敗した日本が優勝では納得がいかないのも無理からぬこと。
韓国メディアは日本の優勝のことを
「きまりの悪い」「しまらない」成績で優勝したと報道したが
ただ、それがリーグ戦の後のトーナメント戦の定めでもある。
しかもリーグ戦の韓国の2勝はどっちも1点差の僅差、
トーナメント戦は0-6のスコアで敗れたんだから理解して欲しいところだ。
もとより日本は悪いことなどしていないわけだが。

さて、韓国の中央日報は日本に1回だけ敗れた今大会を
「小さな敗北・大きな勝利」と報道した。
うん、それなら納得できる。
確かに韓国の存在感は十分に出せた大会だったと思う。
でもね・・・一面でこうも書いた。
「韓国野球が世界に知らしめたのは野球ではなく韓民族の魂であり
大韓民国の心であり、われわれの文化だった。(中略)
野球関係者だけではなく日本と米国、そして世界が韓国をあらためて見つめ
韓国人とその歴史に関心を持つに至った。」
そしてWBCはワールド・ベスト・コリア(世界最高韓国)だった、と。
えーと、俺が知る限り韓国の文化や歴史まで賞賛した人はいないんだが・・・。
と言うかこれじゃまるで金正日を讃える北朝鮮の機関紙みたいだ・・・。

最後に、今大会は世界反ドーピング機関から厳しいクレームがつくほど
ドーピング検査が“ザル”だった。
これもドーピングが横行する米国選手びいきだと言われたのだが、
そんなザル検査でひっかかった韓国のパク投手は韓国ではスルーですか?

2006.3.27




〜 第82日 〜


<反日教育のための材料・田中上奏文>

田中上奏文と聞かれて知っていると答える日本人はほぼいないのではないか。
しかし中国では全く逆である。
なんせ田中上奏文は中国の歴史教科書に載っているのだから。
ではその田中上奏文とは何だと説明されているのか?

『1927年(昭和2年)、大日本帝国政府が中国筋の外交官や軍人を集めて
開いた軍事会議(これを東方会議と言うらしい)。
その東方会議の内容を、当時の田中義一首相が昭和天皇に報告する形で
「世界を征服しようと欲せばまず中国を征服しないわけにはいかない。
これは明治天皇が遺した政策である。」と上奏した文章。』

この上奏文とやらは、戦前から“中国語の印刷物”が出回り、
英語版やロシア語版もどこからともなく相次いで現れた。
しかしその上奏文にはあり得ない日付けが記されているなど、
当初から非常に稚拙な偽文書とされていたが、中国では本物として広まった。
もちろん現在の日米欧でも偽文書として、それゆえ知られていないが
もちろん現在の中国では本物として、それゆえ歴史教科書にも載っている。
そしてそれが、日本が中国を“侵略”しようとした何よりの証拠と言うわけだ。
中国共産党が白を黒だと言えば黒になる。それが中華人民共和国だ。

はあ・・・。
また中国国民は世界基準のウソを信じて公言していくのか・・・可哀想に。
と、思っていたら最近、意外な事件が起きた。
中国政府機関の社会科学院の蒋立峰・日本研究所所長が
「田中上奏文は存在しなかったという見方が主流になりつつある」と述べたのだ。
中国政府機関の人間の発言である。
ならば中国は教科書記載を直ちにやめ、訂正・謝罪してしかるべきだが?

中国人がしたり顔で田中上奏文の話を持ち出してきたら用心なされ。
まあ、これは数ある反日ウソ材料の一つに過ぎないから焼け石に水かな?

2006.4.14




〜 第83日 〜


<なにがジャーナリストなんだ???>

私はテレビの将棋を好んで見る。
いざ実際に将棋を指すと信じられないほど弱いのだが
それだけにプロ同士の将棋をプロが解説して進めてくれると
「へ〜、そんな先まで読んで今の一手を打ったのかあ」
と、下手なクイズ番組よりよっぽど感心しながら楽しめるのである。
ところで、よく聞く将棋の「名人戦」というのが
毎日新聞社主催で行われているとはつい最近まで知らなかった。
なぜ知ることになったかというと朝日新聞社のおかげである。

毎日は名人戦のために年間3億3400万円を日本将棋連盟に払っていたところ
朝日は年間5億4500万円を提示して名人戦の主催者となるつもりらしい。
日本将棋連盟と朝日の間でどんなやりとりがあったか、知る由もないが
毎日より六割以上多く払うというのだから将棋連盟としてはおいしい話だ。
だが、毎日は事前に知らされもしなかったというのでカンカンなわけである。
「日本の伝統を大切にする将棋連盟が信義よりも損得を重視するのか」
というわけだ。(お怒りはごもっとも)

さて、年間5億4500万円と言えばたいそうな金額だが
実は当の朝日新聞にはこの金額のことが記されていない。
そんな姿勢で「ジャーナリスト宣言」とはおかしな話ではないか?
朝日読者は当然毎月購読料を収めているわけだから、
朝日としては読者から不満の声が上がるのを恐れたとしか思えない。
『お前らそんなにカネあんのかよ!?』と。

いや、そもそも「ジャーナリスト宣言」のCM自体おかしいと思う。
『お前ら今までジャーナリストじゃなかったのかよ』と突っ込みたくなるし、
何よりも『イメージの良い新聞社』とは宣伝広告で造り出すものではなく
日々の記事や報道姿勢で地道に分かってもらうものではないのか!
何億円もかけてCMを造り出し、何億円もかけてオンエアし、
駅や電車内でもポスターを露出させまくる、
高校野球を見ていると、イヤと言うほど朝日の看板が立ち並び、
サッカー日本代表の試合を見ていても同じだ。
もちろんあの看板料は決して安くない。
ずいぶんと金持ちな新聞社である。
あそこまでやられると、こう考えずにはいられない。→
今までの紙面内外の不祥事を無かったことにするための広告戦略ではないのか?
→それはもはや宣伝広告ではなく、ただのプロパガンダだ。

そう言えば先日の竹島問題(またかって感じだが)。
ちょっと前の朝日の社説には「竹島を韓国にあげて」しまえという
およそ日本の新聞とは思えない記事が掲載されていたわけだが、
今回はつとめて日韓両者に冷静さを呼び掛けていた。
一体いつのまに論調を変えたのだろうか?
変えたのなら訂正・謝罪があってもおかしくないのだが…。
それともプロパガンダが成功したらまた元に戻るつもりだろうか?
ジャーナリスト宣言・朝日新聞。

2006.5.4




〜 第84日 〜


「どうして言うことが聞けないの!」論

いきなり教育論になるが、私だけムカついているのだろうか?
「どうして言うことが聞けないの!」と
ブチ切れて我が子を叱る若い母親をしばしば目にする。
その叱り方は流行っているのか?
つまり家の中ではなくて外でも堂々とそうやって叱っているわけだが、
私はそれを見る度になんとも言えない不快感を覚える。
その叱り方は恥ずかしくないのか?
つまり、我が子の「ここがこう悪い」と言って叱るのではなく
自分の言うことを聞かない、とブチ切れていることを恥ずかしく思わないのか?

全知全能の神のような親なんて絶対にいない。
それどころかそこかしこで親が子供を虐待して、時には殺す時代だ。
全ての親が素晴らしいわけではない。
「ましてお前は何様なんだ?」と言いたくなる。
大切なのは客観的な理由とともに叱ることだろう。
それさえあれば時には体罰も構わないと思う。
だが、自分の言うことを聞かないと言う理由でキレるのは阿呆のすることだ。
誰かの言うことを聞く=良い子、の理論が精神に蓄積されると
子供はとんでもない人間に成長する。
アイデンティティが形成されないからだ。

例をあげよう。
女子中学生・高校生による売春が後を絶たないが、
実は同級生・友人による仲介で売春をしているケースが多い。
仲介している同級生・友人は“売り上げ”をピンハネし、
実際に売春をした(させられた)女子生徒はおそろしく低い金額を受け取る。
これはある種のいじめと言ってもいいのだろう。
もちろん“被害者”は喜んでそんな売春などしていないだろうが、
そういう“被害者”にアイデンティティが確立しているとは思えない。
客観的な判断力が形成されていないのである。
普通に考えたら、そんなグループにいるメリットも必要もない。
一人ぼっちの方がよっぽどマシだ。
しかし“被害者”の思考回路にそんな考えはなく、それよりも
「誰かの言うことを聞いた方が良い」と思ってしまう。
だから売春をしろと強く言われたら抵抗できない、
そんな人間になってしまったのは親の責任ではないのか?
(もちろん一番悪いのは買春をする大人だし
二番目に悪いのは仲介者となった同級生・友人であるわけだが、
犯罪者のいない社会はない、これが前提だ。
理想論がまかり通るなら警察も裁判所も自衛隊もいらないのだ。)

子供が困った時・悩んでいる時に、誰にも助けを求められない状況、
これこそが一番の問題だろう。
子供の世界は大きく分けて2つしかない。
学校か、家庭かだ。
子供が学校のことで困った時・悩んでいる時に親に相談されていない、
親としてこんなに恥ずかしいことがあるだろうか?
我が子に全く信頼されていない、もしくは気を遣われているのである。
全身全霊で子供を受け入れる度量がなかった親がえてしてこうなる。
もしくは自分自身が客観的判断力がないために、
子を叱る時に自分の言うことを聞けば良いと教え込んだ親も。
そりゃあ小さい子に「売春をしてはいけません」なんて叱らないだろうしね。

2006.5.15




〜 第85日 〜


<ワールドカップ・ドイツ大会 いよいよ来週!>

先日のドイツとのテストマッチは2対2の引き分け。
あのドイツと2対2で引き分けならすごいもんか?
いやいや、あれはドイツが弱いだけだろう。
まあ、確かに高原の2得点はお見事よ。
HSVで不遇にあえいでいただけに、ドイツでのドイツ相手の2得点は
さぞや本人も自信になっただろう。
そんな高原のおかげで、途中までは日本が2対0で勝っていたのだから驚きだ。
ドイツはあらゆる面で精彩を欠き、日本のパスは面白いように繋がった。
しかし後半、フリーキックからのセットプレーで2失点。
が、テストマッチでのそれはよしとしよう。
あのまま2対0で終わっていたら、日本は危うい自信の基に本番へ臨んだだろう。
そう、日本はまだまだ課題山積なのである。
白人・黒人にフィジカルで劣る日本人が、特にディフェンスでどう挑むか、
これは当分の間は消えない課題なのだ。
後輩のためにも是非とも“体現”して示してもらいたい。
まあ、中澤とか岩政とか田中マルクスとか、
実際にフィジカルで見劣りしないDFを呼ぶのが一番なんだがねw

ところで、もう無いだろうと思っていた事件がまた起こってしまった。
ドイツ大会観戦ツアーを企画していた旅行代理店・マックスエアサービスが
試合のチケットを入手できずに1200人分のツアーを中止したのだ。
同社の指田社長によると、昨年6月、知人の中国人を介して
『中国国際体育旅遊公司』なる会社へ前金8000万円(!)を払った。
しかし結局その公司からチケットは届かず、やむを得ず中止に・・・。
その公司は中国国家体育総局内の事務棟の一室にあり、
「ランク一級の旅行社で、国家体育総局に直属」などと説明があった。
その公司は日本のマスコミ取材に対して、はじめは
「責任者は不在でいつ帰ってくるかも分からない」とし、後の取材では
「日本側がチケット代金が高いとか言い出してトラブルになった」
「日本側がマスコミ等で問題を大きくさせた」
などと呆れ果てる説明をした。
なんで前金を払った日本側が代金の文句を言うんだよ!?
そもそも代金うんぬんの前にチケットが存在してねーじゃねーかよ。
もう一度述べることになるが、『島耕作』は正しかった。
現在の中国での格言:「全てニセモノ、詐欺師だけホンモノ」
いや、つーか単純にアレか?
中国人と朝鮮人の常套文句:何が起きても「全て日本が悪い」
か?

が、しかし。
JTBなどによると、国際サッカー連盟日本事務局から
旅行会社にはチケットの割り当て枠は無いと事前に通達があったそうだ。
そのため、ほとんどの旅行会社ではチケット付き観戦ツアーは企画されなかった。
つまり、今大会ではチケット付き観戦ツアーと謳っている時点で
すでにとってもマユツバものなのであった。
そこへあの中国筋の話と来れば、マックスエアサービスに落ち度があるのでは?
そう、中国を信用する理由が何一つないのである。
あまりにも情報音痴ではないか?
まして8000万円も事前に振り込むなんて・・・。
日本人はいつまでこうなのだろう(トホホ・・・。
まあ、ひもとけば日本の総理大臣・H本R太郎さんが
中国のハニートラップに引っ掛かるくらいだからな。
今、中国が戦争を仕掛けて来たら日本は必ず負けるだろうな。
なんと厄介な国だろう・・・。(両国とも)

2006.6.3




〜 第86日 〜


→さて、中国政府筋の公司が
「日本側がチケット代金が高いとか言い出してトラブルになった」
「日本側がマスコミ等で問題を大きくさせた」
などと呆れ果てる説明をしたわけだが、もしこれが日中逆だったらどうなっていたか?
つまり日本政府筋の公社・法人が中国の一公司に対して8000万円払わせた挙げ句、
「チケットは無い。問題の原因は中国側にある。」と声明を出したら?
まあ120%あり得ないが、もしそんなことになれば
またしても中国で反日暴動が巻き起こることは想像に難くない。
しかし今の日本で反中暴動など起こるわけもない。
この日中の温度差は一体全体どこから来るのか?
それはひとえに約70年前の日中戦争から今に至るまでの『共通認識』のせいだろう。
“日本が中国に侵略戦争をしかけた”という共通認識である。
日本人は中国にペコペコして生きよ、との暗黙の共通認識である。

しかしそれは意図的に作られた共通認識であり、真実ではないのだ。
で、この手の主張はすぐに右翼とか軍国主義とかのレッテルを貼られるが、
真実を述べることは右翼でも軍国主義でもない。
そういうレッテルそのものが既に『共通認識』の罠に陥っている証拠だろう。

上智大学名誉教授の渡部昇一氏はこう述べる。↓
故ライシャワー駐日大使が「日中戦争は1937年7月7日に盧溝橋事件で始まった
のではなく、同年8月13日に上海で始まったのだ」と述べていた。
盧溝橋事件は日本の教科書にさえ出ていて有名だが、後者の上海事変とは何か?

シナ軍の攻撃が同12日から始まり、翌13日には爆撃機が日本の領事館や
軍艦・船舶などに爆弾を投下したほか、フランス租界地の市街も爆撃した。
シナ民衆の娯楽施設『大世界』やイギリス人経営のパレスホテル・カセイホテルも爆撃され
外国人を含めて200人以上が死亡した。
戦闘をしかけたのはコミンテルンの指示を受けた中国共産党だったことは
1979年出版のトレヴェニアン著『シブミ』や
今話題のユン・チアンとジョン・ハリデイの共著『マオ』において
しっかりと書かれている。

また、あの結論ありきの東京裁判において、その裁判の“法源”でもあったマッカーサーが
裁判集結の2年後にはアメリカ上院の軍事外交合同委員会という公式の場で
東条元首相の主張に沿う発言をし、「日本が戦争に突入したのは主として
自衛のためにやらざるを得なかった」とまで言っているのだ。
また、あのリットン調査団の報告書にさえ「簡単に(日本の)侵略などとは言えない」
と書いてあることはどれだけの人が知っているだろう?

そもそも当時の中国・清朝の正統な皇帝に対して、
清朝発祥の地である満州で再興することを助けた日本の行為の侵略性とは何か?
それを侵略と決めつけたいのはコミンテルンとその影響下にあったシナ人と朝鮮人、
そして“一部の日本人”たちであり、残念ながらその人々は今も健在である。

ではここでもう一度問う。
日本人が一部の卑劣な中国人にさえ怒らない理由を。

2006.6.4




〜 第87日 〜


→ちなみに、そのような国家観をハンディキャップ国家論と言うそうだ。
以下、有名なジャーナリスト・櫻井よしこ氏によるお話(と私見)。

ハンディキャップ国家論:
第二次世界大戦を引き起こした(?)日本は加害国であり、
『侵略』の罪を反省するなら普通の国家の軍事力は持ってはならない。
過去の歴史ゆえに、日本はハンディキャップ付きで初めて一人前なのだ。
だから経済だけに特化すればよいのだ、と。
経済同友会(関西経済同友会ではない)のお偉いサンが、首相の靖国参拝をやめよ
と、言った先日の事件などから見ても、なるほどと思うね。
また、教育基本法を巡って「愛国心」ひとつでここまでもめる国はなかろう。
つまりハンディキャップ国家観はどっかりと日本に根付いているのだ。

しかしその“過去の歴史”から60年以上、民主主義諸国の情報開示によって
非常に多くの事実が明るみに出されてきた。
それら一級資料を駆使して書かれたのが先述した『マオ』(講談社)である。
それには、1928年の張作霖爆殺はソ連の仕業であり、1937年の盧溝橋事件以後の
日中全面戦争への広がりは関東軍の暴走ではなく、周恩来が蒋介石のもとへ送り込んだ
中国共産党のスパイ・張治中の仕業だった、と生々しく書かれている。
日中戦争も第二次大戦も、決して邪悪な日本の邪悪な関東軍が単独暴走した結果
ではない、と明らかにされている。

この真実は日本人が一丸となって世界へ発信するべきである。
(てゆーか日本人さえほとんど知らないというのが当面の問題だが)
第86日の話も合わせて、すなわち現在、
日本だけがハンディキャップを背負わされる理由などないのだ。
政治家の役割は、こうした歴史の見直しを先導して日本を普通の国にすることだ。
それによって「アメリカの保護国・アメリカの犬」と言われる現状から脱し、
片務的な日米同盟から対等な日米同盟へと変えていくことができる。
もちろん日米関係だけでなく、「カネだけ出す日本」「カネだけ出せば良い日本」
という世界的に知られる汚名を返上することにもつながる。
日本は真に世界へ貢献できる国になれるのか否か!

そこで、先頃(4月25日)、米国のローレンス国防副次官が
在日米軍再編にかかる費用の日本の負担は少なくとも3兆円になると発言した件。
これに対して一部の単純な左翼的日本人は反発。
「アメリカのかつあげ行為だ」「いつまでアメリカのいいなりなんだ」、と。
つくづく左翼主義者は不思議な生き物である。
そのアメリカが作った憲法9条を死守して「米軍は出ていけ」と言うのだから。
米国批判をして米軍排除を唱えるなら、
憲法改正を含めた防衛力の向上も唱えるのが正道だがそれも拒否する左派。
一体この国をどうしたいのだろうか?
真実は無視して一億総家畜化計画でも進めているのだろうか?
それはさておき、櫻井氏はローレンス国防副次官の発言をこう分析する。
「日本はこれからもずっとアメリカの保護国として経済に特化していくのか?
ならばその対価は3兆円だ!」と、言っているのだと。
3兆円を払うのが嫌ならば、日本は普通の国になるしかない。
もはや何の犠牲も払わずに防衛を他国に任せていい世界情勢ではないのである。
そう考えると「米軍は出ていけ、3兆円も払わない、普通の国にもならない」
というのは現実を見ないチンケな浅慮でしかない。

2006.6.14




〜 第88日 〜


<ああ、3度めのワールドカップは・・・>

日本時間で6月18日23時50分 試合終了。
日本vsクロアチアは0対0のドローに終わった。
2試合終わって勝ち点は1、得失点差はマイナス2。
残り1試合はブラジル戦。
それに引き分けでさえ敗退が決定・・・。
勝ったとしても得失点差で決勝T進出はまだ決定しない・・・。
ううむ・・・ほぼ絶望的・・・だろうな・・・(クソッ!。

オーストラリア戦:
相手のファウル数を見ても分かることだが完全にフィジカル勝負を挑まれ、
試合終了間際の残り数分で消耗した選手達は一気に3失点、
90分で見れば完全に相手のペースだったと言えよう。
日本がボールを回しているシーンも「回させられている」にすぎなかった。
重要なのは、その3失点はディフェンダーの責任ではないということだ。
後半は三都主、柳沢、高原などの前線が完全に足が止まっていた。
フットボールは得点する時も失点する時も全員の責任だ。
前線でプレッシャーをかけてパスコースを限定したりなどがなされなければ
簡単に失点してしまう。
イタリアのような「堅守」はフィジカルで劣る今の日本には無理なのだ。
日本の守備とは、全員で絶えず動き回って高い位置でボールを奪い、
高いラインを保って攻め上がることによってのみ世界に通用するのだ。
極言すれば日本の守備は自陣ゴールエリア付近でやってはいけないのだ。
でなければ中澤、田中マルクス、岩政などで・・・って前も書いたなぁ。

クロアチア戦:
豪州の時もそうだったが、総論として日本人はドリブルで仕掛けていない。
日本人が必ずパスを出すと分かっていれば相手は実に守りやすいだろう。
やはりこの試合も「回させられ」た挙げ句、何度もパスカットされていた。
もっと自信を持てばいいのに・・・。
小笠原が出てきたのはいいことだが、相変わらず柳沢などが不要だと断言できる。
柳沢がピッチにいることにメリットを感じられない。
唯一の決定機も案の定、見事にオッパズシてくれたね。
普段からシュートを打たないFWは決定機にああいうミスをする。
「自分が決めてやる」という意志が普段から希薄だからだ。
あの決定的瞬間の柳沢には「え?君がシュート打つんじゃなくて俺にパスなの?」
という一瞬の躊躇があったことだろう。
いや、高原も含めてシュートをほとんど撃っていない2トップって何!?
しかも後半に入るや足が止まってちゃあ・・・。
またサイドバックとしての三都主は使う意味があるのかどうか・・・。
しかしジーコ監督である限りは使われ続けるから今さら仕方ないけど。
守備は川口を筆頭に良かったが、概ね相手のミスに助けられた感は否めない。
しかし川口がPKを止めたからドローに持ち込めたんだよね。

ブラジル戦:
まあ、勝つしかないんだが、宮本が出場停止なんだよなあ。
巻や大黒などのスタメン姿も見たいんだが・・・。
調子が悪いという理由で久保を外したんなら柳沢とかいらんやろうに。
交代時間は早めにねぇ、ジーコさん;;

とにかく、選手ではなく戦士であれ!!!(永遠に

2006.6.19




〜 第89日 〜


<これが現実>

トリノオリンピックの時もそうだったと思い出す。
マスコミも選手達もどこか浮かれ気分で臨んだ大会は散々だった。
己の才能や実力を過大評価して、楽しんでやる!やれ!とか言ってると
えてしてこういう結果になるんだなあ。
選手ではなく戦士であって欲しいのに;;

日本時間で6月23日5時50分 試合終了。
日本vsブラジルは1対4の完敗に終わった。
高原は交代カードを一枚潰すために出てきてくれたし、
中村も10番を背負うにはあまりにも存在感がなかった。
スタメンのFWを変えたのはさすがに当然だろうけど
それでもやはり日本は弱いという印象が残った。
ドイツ戦なんて所詮テストマッチに過ぎなかったと改めて思い知らされた。

一分二敗の勝ち点1、総得点2・総失点7で得失点差マイナス5、
グループリーグ最下位でドイツを去る。
クロアチアに引き分けたのが収穫という惨めな結果に終わった。
いや、ブラジルから玉田が先制点をあげたのもせめてもの収穫か。
第一戦の豪州戦の負け方が悔やまれるが、今さらどうしようもない。
まだまだ日本サッカーの夜明けは遠いのだ。

顔を上げろ、戦争に負けたわけじゃないんだ。
確かパラグアイのチラベルトがW杯で敗退が決まった試合後に
このような言葉を残していた。
また、引き分けたクロアチアにはこんな諺があるそうだ。
「倒れることは恥ではない。立ち上がらないことが恥なんだ。」
実に素晴らしい言葉だ。
そうだ、何度でも倒れて何度でも立ち上がればいい!

次の大会に向けて必要なプラス要素:
● 高さ・フィジカルで負けない選手(平山、岩政、田中マルクスなど)。
前線と最終ラインはテクニックだけではどうしようもない場合が多々ある。
不足分は物理的に補うしかない。

● 個人技で局面を打開できる選手(松井など)。
誰もがパスしか出来ないなら、囲まれたら終わりってことになる。
プレスがきついのは当たり前なんだから、パスだけに頼る精神を捨てろ。
技術に裏打ちされた挑戦を!

●スタミナが無尽蔵な選手(今野など)。

それもただ動き回るだけじゃなくて、『意志』を持って動き回れと言いたい。
ボールを奪う時も繋ぐ時もコレだよ、やっぱり。
今回は半分も実践できていなかった気がする。
暑いってのもあっただろうが、相手より足が止まってちゃ勝てないわな。
ピッチ上で死ぬつもりで走って欲しいんだが、言うのは簡単か・・・。

最後に、『意志』で思い出したぞ。
人の歩みを止めるのは「絶望」ではなく「諦観」、
人の歩みを進めるのは「希望」ではなく「意志」。
誰の言葉だっけ?まあとにかくそういうことだ。
絶望や希望に一喜一憂するんじゃない!
前進するのか後退するのか、すべては自分たち次第なんだよ!

2006.6.23




〜 第90日 〜


→ところで、あの中田英がブラジル戦後のピッチ上で一人泣いていた。
心技体すべてをずっと磨き上げ続けた男だからそうなるんだろう。
つまり彼だけは『本気』で戦っていたのだろう。
日本代表では彼一人だけ別次元にいるかのようだ。
さて、そんな中田英なき後の日本代表を悲観する声もある。
無理もない話だが、しかしいずれその日はやってくる。
ならばニッポンの未来は暗いのだろうか?

元日本代表監督のデットマール・クラマー氏(81)が今大会直前に
「問題は日本選手の半分が中田の考えを好きではないこと。
チーム内で中田がどう振る舞い、仲間が中田をどう扱うかがカギだ」
と話し懸念を表明していた。
そう、一人別次元にいる中田には大抵の者がついていけないのだ。
だがこれは裏を返せば、中田がいる日本代表は完璧にまとまることが出来ない
ということを意味しているようにも思われる。
特にサッカーの特性上、また、日本の強みの連係力などから考えても
チームの「まとまり」は欠かせないものだ。
実際アジア杯で優勝した時は中田はいなくて、中村や国内組が躍進した。
(アジア杯とW杯を比べるなんて無茶な話かw?
実際アジア杯でも優勝したのが不思議なくらい苦戦の連続だったし。)

まあ、とにかく、総じて「みんなと同じ」が大好きな日本人。
これはしばしば欧米人から嘲笑される島国・村社会の民族的特性だ。
こんなジョークがある。
“多数の外国人が乗った豪華客船が今にも沈没しようとしている。
だが救命ボートの数は限られていたから、船長は婦女子を優先して
男性は客船に残るように説得にあたる。
アメリカ人に「残れば英雄だ!」と言うと、彼は残ると答えた。
イギリス人に「残れば紳士だ!」と言うと、彼は残ると答えた。
イタリア人に「残ればモテる!」と言うと、彼は残ると答えた。
日本人に「み〜んな残りますよ」と言うと、彼は残ると答えた。”

だが私は最近になってこう考えるようになった。
民族的特性なら矯正は無理だろうし、変える必要もないのではないか。
短所は長所になるものである。
現在、国際社会における日本の地位は決して低くない。
戦後の日本人がみんな個人主義に走り、好き勝手にやっていたら
とてもこうはならなかっただろう。
一丸となって物事に当たることは日本人の強みじゃないか。

規律を重んじるトルシエ時代と違って、自由主義のジーコの下では
中田は監督でも主将でもないのに、世間はそれ以上のものとして彼を見た。
だが彼もまたピッチ上の一人の選手に過ぎないのである。
この矛盾こそジーコジャパン最大の弱点ではなかっただろうか。
そう考えると、老練な監督の下で平均的な選手が揃ったチームもそんなに悪くない。
(平均的と言うのは、国の代表選手として平均的という意味)
もちろん、中田の心技体を兼ね備えた選手が23人いる、ってのが理想だがw
現実的な話で言うと、いつか“ナカタジャパン”が世界に君臨する
ってのがあり得る話だな、うん。

ところで、デットマール・クラマー氏といえば
1968年のメキシコ五輪で日本を銅メダルに導いた名将であるが、
その時のFWが釜本邦茂である。
そう、日本サッカー史上最強のフォワードである。
彼のシュートは、流れの中でなんとなく決めるものではなかった。
ゴール前のこの位置・この距離、ここなら絶対に決められる、
というサンクチュアリを彼は持っていたのだ。
これこそ『決定力』と呼ばれるものだ。
「入ればいいな」と思って打つシュートには何の意味もないのだ。
未来のフォワードたちよ、肝に銘じておいてくれ。

(あ、ところで韓国も結局予選敗退やね。アジア勢は全滅・・・
アジア枠を減らす論がまた現実味を帯びてきたら・・・TT)

2006.6.24




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