第五話

根掛りの正体は何?

 



 お父さん、さっきからルアーとにらめっこしちゃってどうしたの?


 ンー。
 にらめっこしている訳じゃーない。
 このルアーはこの間芦ノ湖に行ったとき釣った・・・、ア!イヤ、根掛かりしたお父さんのルアーに引っかかってきた物だ。
 錆びたスプリットリングとフックは取り替えたから、これでお父さんのルアーとして再出発だ。


 お父さんはそういうルアーがいっぱいあるね。


 うん!結構ある。
 ワカサギロッドを釣り上げたこともある。たぶん置き竿をしている間にワカサギが掛かり、更にそのワカサギをマスかブラックバスがアタックしたショックで湖に引きずり込まれたんだろうな。
 他にはありがたく無いワームが付いていたり、ぐちゃぐちゃに絡んだラインが上がってきたことも結構あるよ。


 でも、お父さんはそう言うルアーを使っているの?


 釣り方さえ合えばガンガン使っているよ。
 どうせ拾い物だ!と大胆に岸すれすれを根掛かり覚悟で流して、思いがけなくそのルアーの実力を知るきっかけになったこともある。
 パニッシュはその例だね。管理釣り場で釣った魚に付録で付いてきたんだけど、その場ですぐ使ってみたら驚いちゃったね。 
 トローリングにも良い成果を出しているしさ。
 そんな根掛かりなら大歓迎なんだけどな〜


 何か言いたそうだね。どうしたの?


 あれは平成8年の梅雨時期だったかな〜?


 高いルアーでもなくしちゃったんでしょ。


 いや、反対に拾いそこなったんだ。
 その日は平日で湖は釣り人も少なく、特にトローラーはお父さんの独壇場のようなものだったんだ。
 早朝の活性は一段落して魚は泳層を深場に変えてしまったようだった。
 お父さんは禁漁区ラインに沿って百貫と立石の間を往復し、復路を箱根方向にボートを進めながら、百貫の鼻から50m程沖を通過しようとしていたんだよ。
 天候は曇り、雲が外輪山を包むように低くゆっくり流れていた。
 当時百貫の鼻から200m程東側に黄色のブイがあってね。
 ボートが百貫の鼻とブイの中間くらいに来たとき、左、つまり沖側のロッドがゆっくりとそして大きく曲がったんだ。
 その光景を偶然ずっと目で追うことができたんだよ。
 「お!大物がきた」っと思った。でも、何かが変だ。
 たまらずドラッグが滑って「カリ・カリ・」と鳴ったが、その後はラインブレイクぎりぎりのところでボートのスピードについて来たんだ。
 お父さんは、ヒットの瞬間が今までのそれとあまりに違うのでロッドを握ることができなかったんだ。
 その沖側のロッドは60ヤード、反対の岸側は40ヤードにセットしてあった。つまりルアーが流れていた水深は沖側が概ね12m、岸側が8mと推測できるってことだ。
 そして沖側にはミノーを付けていたんだ。
 おまえに話したことが有るだろ。百貫の鼻沖の水深は芦ノ湖最深部で、約40mも有るんだ。しかもボートは岬先端からは50m。
 根掛かりは有り得ない、魚か?・・でもロッドを見ている限り生き物の躍動感は感じられないんだ〜。
 お父さんは、やむなく船外機のクラッチを中立にして、岸側のラインを巻き取ることにした。
 巻き取っている間も沖側のロッドは、何かを捕らえ不気味に曲がったまま。ボートもラインの張力に負けて沖側に向きを変えてしまった。
 ホルダーからロッドを外し、大合わせを入れてみた。ズシーと重さだけが伝わってきた。
 最終的にこの大合わせで相手が魚でないことが判ったんだ。


 え! どうして判るの?


 お父さんの経験則だけどね、魚が食い上げた場合、魚がボートの速さに合わせてルアーをくわえたままついてくるときがある。
 このときフックは口に刺っているはずなんだけど、痛さの余りボートのスピードに合わせて泳いでいるんだと思うんだ。
 小さな当たりがあって、その後ロッドチップが小さくそしてゆっくり不規則な動きをする場合はこのケースが多い。
 こんな時、お父さんはホルダーからそっとロッドを外し、いきなり大合わせを入れるんだ。


 と、どうなるの?


 大合わせを入れるとフックはより深く確実に魚の口に刺さるだろ。魚は痛さの余り首を振ってエラ洗いを試みる・・・とそこからは いつものように魚とファイトするって〜すんぽうだ。
 結構大物が掛かっているケースがあるんだぞ。
 でも今回は違った。
 ピクリともしない。
 重い・・・ただ重いだけ。
 リールを巻き始めた。50ヤード・・・巻き取れる、40ヤード・・・何かが付いている、30ヤード・・・やっぱり何かが付いている。
 未確認遊泳物体のポテンシャルエネルギーは大きく互いに引き寄せているんだろうか、徐々にそして確実に距離を縮めている。
 この重さから察するとただ者ではない。

 2000年の時を越えて逆さ杉が湖面にニョキっと立ちはだかるのか?・・・・・はたまたアッシーの脱皮した抜け殻か?・・・・・



 ヤッター! お父さん抜け殻売って大金持ちだね。


 我が家の現状を見れば、それが抜け殻じゃ無かった事がわかるだろ。
 色々なことを想像しながらラインを巻き取って、レッドコアラインが水面から上がり、3号のリーダー10mと1.5号のハリス3mだけとなったところでリールを巻いている手が止まってしまった。
 それはね、あるホームページで禅寺湖のド○○モンのことを取り上げた内容を思い出したからだ。
 その内容からすると中禅寺湖は結構多いんだって。釣り客や目的を果たそうとしたカップルとか・・・
 ま、誰でも同じだと思うけど根掛かりしたルアーは万策試み、最後の手段として一か八か、巻き取れる最後のラインを手にしてブチッとやるはずだ。

 いやな想像が頭から離れられないようになったお父さんの行動は一変した。
 変な物は見たくな〜い。
 外れてくれ〜と念じながら、ロッドを神主の御祓いのようにバタつかせたが、外れな〜い。

 かえって近づいてきた。仕方なくその分だけリールを巻く。
 そんなことを2度3度繰り返し、リーダーを半分くらい、つまり8mくらいを巻き残したところで急にロッドが軽くなったんだ。
 これ幸いと一気に巻き上げると・・・・ルアーは無い。
 上がってきたラインはリーダーとハリスのつなぎ目で切断していた。
 ホットしたのもつかの間、もしかして惰性で湖面に上がって来ないだろうなと心配になった。
 怖々ボートにしがみつきながらボートの周りや下を覗いたがその形跡はなかった。
 当時透明度の低い芦ノ湖では水面下8mは暗黒の世界だった。
 立石を往復している間には数艇のボートがいたと思ったが、改めて見回すと、周りには1艇のボートもいなかった。
 その時お父さんのボートはムジナ窪沖300mくらいの所にいたろうか?

 ついに未確認遊泳物体を確認する事はできなかった・・・と言うより拝まずに済んだんだ。



 お父さん、確認すべきだったんじゃないの。


 ばかなこと言うんじゃないよ。
 あのときの心理は当事者じゃないとわっからないだろうな〜。
 話は戻るんだけど。
 急に脱力感が襲ってきてしばらくぼーっと操舵席に座っていたんだが、しばらくするとこの場を抜け出したいと言う思いがお父さんの体を操っていたんだ。
 ロッドをスタンドに立てかけると箱根湾に船首を向け、ゆっくり走り始めた。

 100m程走ると目の前に10m四方くらいのやけに明るい水面が見えてきた。曇間から日が射し込んでいる訳ではなかった。
 その明るい水域は、先ほどの疲れを癒してくれそうな穏やかで、柔らかい感じの光で満ちていたように思う。

 その中央部に何やら白い物が浮かんでいるようだ。
 航路正面だったのでそっと近づいて見ると

・・・・・な・なんと〜〜花束じゃ〜ないですか〜・・・・

 2、3本の花が白い包装紙の束から外れて浮かんでいる。
 朝から強い風邪は吹いていないから、間違って流れ付いた物で無いことは明白。人為的にこの水域に置かれた物だ。
 と判った瞬間!身の毛がよだつ思いがしたよ。
 お父さんはフルスロットルでスズキボートの桟橋に滑り込んだ。
 ボートのロープは鈴木さんが桟橋につないでくれた。
 無言でなかなかボートから降りようとしない私に
 『どうでした?』
 「鈴木さん、ムジナ窪当たりで花束が浮かんでいたんだけど、あれ何かな〜」
 『ああ、朝話した事故のだろう』
 「朝?事故って?」
 『3日前事故が有ったから、お客さんにちゃんとライフジャケット付けてって、言わなかった?』
 「そう言えば自前のライフジャケット着てるのに珍しく奥さんが『ライフジャケット付けて下さい』って言ってたな。あれか〜」
 『そう、落水した原因は判らないが、ライフジャケットはボートの中に残ってたってさ。だから組合からボート屋に再徹底の指示が出たんだよ。今日家族が現場を見に来たらしいよ。ところで11時だけど休憩?』
 「あ・いや、帰ります」
 お父さんが箱根の山を転げ落ちるように帰途についたのは言うまでもないことだ。
 と、ま〜こう言う話さ。



 お父さん、すごい体験をしたね。


 危険な水上においては、如何なる状況下に於いても沈着冷静な行動が必要とされるんだ。


 今回のお父さんの行動は、その模範的対応と言える訳だね。


 相変わらず嫌味な言い方するね。
 まあ、いいか。
 おまえが今回のような状況に遭遇したときの行動が目に浮かぶよ。
 ところで、話はまだ続きがあるんだ。


 なんなのさ〜?



 それはね、鈴木さんに大切なことを聞き忘れたことだ。



 まさか〜! え? もう芦ノ湖行かない。



 お願い、一緒に行って〜。