第四話

お先にどうぞ

 


父:

 今日は趣味の話をしよう。

子:

 趣味って結局釣りの話になるんでしょ。

父:

 いや!最近気になる他人様の趣味のことなんだけど。

子:

 え!お父さんは人の個性や人格を尊重しろって言ってるでしょ。
 なのに他人の趣味に踏み込むわけ?

父:

 個性や人格を語るつもりは無い。
 ただな〜、もっと自分の周りに気を配って欲しいと思っているんだ。
 切手の収集とかもっぱら限られた空間だけで実行される趣味は良いんだけど、公の場を借りるような趣味は公衆のことを考えないとね。
 ところで話は変わるんだけど。
 お父さんの実家は長野県 千曲川の上流域で、自然の中に家があるような環境で育った事はお前も知っているだろ。
 実家は農業を営んでいたから否が応でも自然と密接なかかわりがあったんだ。
 お父さんは小学生の頃の遊びと趣味の違いを上手く説明できないけど、小学生の頃はやっぱり遊びと言うべきなのかな?
 その遊びの中からやっていいこと悪いこと、何処までが安全で何処からが危険なのかとかの分別を養えたんだ。
 大人になってからは自転車を分解して列車に乗せて目的地で組み立てて旅行する「輪行」とか夏山の連峰縦走、冬山登山とか・・・
さすがにロッククライミングはやらなかったけどね。

子:

子供の頃の遊びってどんなことをしていたの?

父:

 色々なことをしたけど、そうだな〜
 お父さんがお前を実家に連れて行った時、小学生の頃良く遊んだ場所をいくつか案内して遊びの内容を話したことがあっただろ。
 遊び自体に名前なんか無いんだけど若いて言えば
 山菜取り
 蜂の巣取り
 魚釣り
 火遊び
 てぇ〜ところかな 

子:

ゲ!
「蜂の巣取り」や「火遊び」と言ったらそれ自体が危険でないの。

父:

 危険かと言えば山菜取りだって可食の山菜に良く似た毒性の植物も有るし、大物が潜む釣り場は深いところが多いし、どれも危険と言うべきかな。
 でも人間は親や仲間、あるいは本等から情報を得、学習することができるし、それを実践することで確信を得てきたんだ。
 要するに遊びの中で経験則として危険から身を守る術を自然に学ぶことができたんだ。
 例えば、「餌を咥えて戻ってきた蜂は人を刺さない」とか「蜂は夜には外出しない」だから根こそぎとるには夜に限る。
 そして、「火は風下に進む」ことや「酸素の供給が無ければ燃焼しない」とかね。火遊びと言っても民家から離れている広い河原での枯草や流木が相手だったから親も黙認ってところかな。

子:

 へ〜
 叱られなかったんだ。

父:

 大人も結局言って聞かせるより自分たちも経験したように自然に分別を身につけたほうが効果が大きいことを認めていたんだろうね。
 実は今回話したかったのは危険なことを危険と認識できるかと言うことなんだ。
 お前も何回か見て知っていると思うけど、湯元から芦ノ湖に上がる国道1号線の事故は何とかならないものかな?
 今はドリフト族とか言ってるけどお父さんが芦ノ湖に通い始めた頃だから昭和60年頃か、もしかするともっと前からかも知れない。
 始めの頃は道路状況を知らない一般車がスピードの出しすぎで事故っているのかな?と思っていたが事故は一向に減らないし、事故車の周りにはいつも若者が群がっていた。
 お巡りさんによる溜まり場からの族の締め出しやパトロールをしているが埒があかないようだ。
 やつらはいつも「ラリ・ラリ・ラリホ〜」ってまるでゲーム感覚で下りてくるんだ。

子:

 お父さん相変わらず古いギャグだね。
 それってゲームのCMに使われていたギャグだよね。

父:

 人間が古いからね。古い人間ほど色々なことを経験し危険から身を遠ざける術を学び、更に生き続けようとする。それが生き物の本能って言うもんでしょ。
 事故の原因は彼ら自身だから見て見ぬ振りをすればいいんだけど公道である限り一般者が巻き添えにあうことも有ると思うんだ。

子:

 僕んちの車も巻き巻き添えに合う可能性があるってことだよね。

父:

 そうなんだ。それをまじかに見たことがあるんだよ。
 あれはマイボートを売ってしまった後だからだから、平成6年頃の入梅時期だったと思う。
 希に会社の同僚を釣りに誘う事もあって、その時はレイクトローリングへの好奇心だけで釣行の誘いにのってきた I 後輩を連れ芦ノ湖に釣行した時のことだった。
  I は当時独身でMR−2とか言う2人乗りのスポーツカーを乗り回していて事務所内では車通で知られていた。
 車を生活や趣味のための道具として考えているお父さんから見るとMR−2と言う車はなんとも無駄な構造をしているなとしか感じられなかったな〜。
 そもそも車をこの世に創造した目的は人や物を自在に移動することだろ?

子:

 そうだよね、お父さんは見かけより機能重視だもんね。
 だから車が汚れていても気にしないんだよね。

父:

 黙れ!
 お前たちが車の中を散らかすから外見だけをきれいにする気になれないんだよ。 車の整備は怠っていないからノープロブレム。
 さっきの話に戻るけど、 I を同乗させ深夜の西湘バイパスをレイクトローリングとはなんたるやを偉そうにレクチャーしながらの快適なドライブだったが、例の国道1号を上り始めた頃には話は釣りのことから今日も居るであろうドリフト族の話題に移ってっいた。
 狭いし、カーブや急坂が多いからドリフト族による事故が多いんだと話ながら塔之沢くらいまで来た頃、お父さんの車の後方を3台の車がじれったそうに連なっていることに気が付いた。
 お父さんの車は100馬力のワンボックスカーで、船外機、ガソリンタンク、クーラーボックス、タックルボックス等不安定なものをたくさん積んでいたから後方のセダンタイプの速度とは明らかに差があるようだった。
 それにお父さんは車の運転が下手だから後ろから煽られても無視するか、十分な幅員があるところに一時停止して後方車に進路を譲ることにしている。
 その時は後輩の手前もあって心理的に余裕のあるところを示そうと数百m程走った道路脇に一時停止し3台の追従車をやりすごした。
 「お先にどうぞ」ってやつだ。

子:

 今回のテーマだね。
 先を譲ったんだからいいことをしたわけだよね。

父:

 もちろん交通道徳的には良心的な行為だよ。
 しかし、先を譲ってもらった側のほうの受け取り方でその後が全く違ってくる。
 スピードを抑えて慎重に登って行くか、「俺に着いてこれるか」って勇んで行くかでね。
 彼らは何かに憑かれたようにスピードをあげながら一気に走り去っていったんだ。
 そのスピードが1台の車の運命を変えたことはたしかだと思うよ。
 走り去って行く先頭の車を見て、車通の I は「お!○○」と聞いたことも無い車名を言っていた。「その車って何?」と話を始めながら、お父さんは後続車が来ないことを確認し、すぐに車を車道に戻した。
 走り去ったさっきの車は国産らしいが、かなり高級のスポーツカーらしく I が恨めしそうに話していた。
 走り始めてまもなく次のカーブに差し掛かった時、さっきまでなかった霧が前方を塞ぎ、追い越していった最後尾の車のハザードランプが点滅していた。
 霧の向こうにいくつもの車のランプが見え隠れしていた。駐車していた車、今停車したばかりの車、それらの車から人がぞくぞく降りてきて車道に集まり始めている。
 前の車が人をよけるようにゆっくりと動き始め、それに続いてお父さんも慎重に車を進めていったんだ。
 霧のように見えたのはラジエターからの水蒸気かエンジンオイルの煙のようだった。
 その間から見えた光景は絶望的で悲惨なものだったよ。
 1台は側面の座席部分が1/3くらい凹み、他の1台はさっきの高級スポーツカーでフロント部が運転席にめり込むようにチンクシャ状態だった。さらに衝撃で登坂車と降坂車の位置関係が逆転していた。
 どうやらドリフトして対向車線にはみ出したか、Uターンしようとした降坂車の側面にさっきの高級スポーツカーが衝突したようだ。
 救急連絡や救出には大勢がいたので、お父さんたちはそのままゆっくりとその場を去った。
 双方の過失割合は分からないが、お父さんが後続車を先行させず、そのまま先頭で走っていたらお父さんの車が事故車になっていたかも知れないと思うとぞっとするね。
 あの場所に集まっていた面々は腕に覚えがあり、大小の違いは有っても一度くらいは事故を経験していると思うんだ。
 小さく些細な経験であってもその中から自分を守るための最大限の教訓を学ばなければならないんだ。
 だって危険と知りながら身を呈して体験することなんてナンセンスだからね。
 中には経験を通してドリフト走行を止めた者も多いと思うし、それに気づいたときには既に大きな犠牲をはらっているかも知れない。

子:

 大きな犠牲を払う前に気付いて欲しいってことだね。

父:

 そうなんだ。
 放流マスのヒレみたいに再生できるものはまだ救われるが、命は一つだからね。家族を悲しませないで欲しいね。
 おまえもそのうち「おやじ、バイク買って」とか言うかもな〜。
 先に言っとくけど・・・ダメ!・・・へっへっへ

子:

 今回の話って未来形融資拒否が目的だったんじゃ・・・

父:

 アウトドアを趣味とする限り、危険はつきものだけど予知できる危険はすべて摘み取り、あるいは回避してこそ趣味が成り立つんだ。
 冒険は趣味とは違う! 解かったか?