第三話

?ここは誰?  ?私は何処?

 


父:

あれは平成3年か4年頃の秋のことだったかな?

子:

いよいよ僕が生まれてからのことだね。

父:

うるさい。黙って聞け。
 その頃は葛飾区から江戸川区の社宅に移り住んでいたんだ。
 江戸川区から芦ノ湖へのドライブコースはいくつか有ると思うんだが、深夜になっても渋滞が解消されない首都高で都内を抜けるのは時間と予算(小遣い)のロス。これほど馬鹿らしいことはない。

子:

お父さん無駄遣い大嫌いだもんね。

父:

限り有る物を大切に使っているだけだよ。
 だから新大橋通り→海岸通り→第一京浜→国1→横浜新道→茅ヶ崎→西湘バイパス→国1→芦ノ湖がいつものコースになっていたんだ。
 このコースは、途中いくつかの安全上の注意ポイントをクリアーすれば首都高→東名→小田原厚木道路と乗り継いでいった場合と比べ、片道 時間で30分程遅いんだけど有料道路代で2000円程安く上がるんだ。燃料費だってあまり変わらないと思うんだな〜。
 急ぐ旅でもないしね、交通事故に注意しながら運転してたんだ。

子:

で浮いたお金はルアーに化けちゃったの?

父:

みんなのお昼ご飯をちょっと贅沢にすることで帳消しになっちゃったね。・・・

子:

?お昼ご飯?贅沢???覚えてないんだけど。

父:

おっと!ずいぶん脱線してしまった。
ボートの準備を終えてワンボックスカーの中で家族「川の字」状態で仮眠するんだけどね。
 目がさめると「すずきボート」には灯かりが点き、外輪山の南側には箱根新道の街灯がぼんやりとオレンジ色にかすんでいた。
 雲は低くて、微風・・・・これは釣りにはもってこいの天候というべき条件なんだ。

子:

早く先に進んでよ。

父:

しまった、また脱線しちゃたな〜。
 いつものように薄暗い箱根湾を3周ほどして、釣果を伸ばしながら明るくなった湖をひょうたん根沿いに湖中央部へ、そしてマリーナ沖まで来た頃には9時くらいになっていたかな。
 外輪山の中腹まで雲が垂れ込めていたのは分かっていたんだが、気が付くとさらに雲は高度を下げて白浜方面から元箱根方向に霧が流れていたんだ。
 でもね、ここ芦ノ湖では雨や霧は日常茶飯事なんだ。今までに何度か霧に悩まされたことがあったよ。
 しかし「災難は対策の母」な〜んちゃって。なんだかわかんこといってしまったが、よく覚えておけ

★霧に囲まれる直前の
 ・自分の場所
 ・風の向き
 ・帰るべき母港の方向(コンパス) 

 この3つが確認できれば視界10mの濃霧でもそれほど心配なく帰ることができるんだ。
 要するに何も見えない中でトローリングを続けるのは危険なので、母港に引き返すことが原則だ。
 そして母港で霧が晴れるのを待つのが最善策、仮に母港近くのポイントで釣りを続けていても、いつ何時でも引き返せる場所にいることが大切だ。
 そんな霧と長い付き合いをしている鈴木さん(すずきボート)は、波の変化で「あの岬を通過した」とわかるそうだけど、お父さんには別世界の判断だね。
 しかし母港に着く前に霧に囲まれたら、まず風向きが急変することは少ないから自分の場所がわかればコンパスが無くても風向きを感じながら帰れるって分け。コンパスの見方は解るだろ。
 でもね、その時の霧はゆっくりと漂う様に流れていたから慌てる事も無く釣りをしながら箱根湾に向かうことにしたんだ。
 ボートをマリーナ沖から箱根湾に向きを変え、霧に囲まれても進路を見失わないようにコンパスをクーラーボックスの上(御存知のとおり磁石の近くに金属や帯電したものを置くと針は正確な方向を示さない)に用意しながらね。
 いつもよりはスピードを上げてきたので30分くらいで白浜湾沖にいたんだけど、そのころには湖全体が霧に包まれようとしていたんだ。お父さんのボートも当然の如く濃淡のある霧に突っ込む様に進んでいったんだ。   ギャー。・・・・


子:

びっくりした〜

父:

おまえ眠ってるのか。

子:

眠ってないよ。でも話の先がだんだん見えてきた。

父:

鋭いな、おまえ。でもな、最後まで聞け。
 そしていつものように霧に巻かれる直前の3つの確認も忘れずにチェックた。さらに10分程してトリカブト沖を流していることもわかった。
 ここまでくれば三石→箱根湾に行き着くことは頭に入っていたから、このあたりでトローリングしていれば帰れなくなることはない。
 そこでトローリングピッチをいつものデットスローに戻し、2本のロッドを3色と4色にセットしなおした。
 今となっては忘却の彼方となってしまったが、ディックナイトとミノー(?)で40cm前後の虹鱒がほとんど切れ間無くヒットしたんだ。
 それはラインを出し終わってロッドホルダーにセットするとどちらかのロッドに当たりがあると言った状態だった。
 風は相変わらず微風、時たま岸に近づきすぎて急旋回といった調子で魚は順調に捕り続けて、この場に来てから10尾程釣ったと思うよ。
 40cmもあったからその前に釣った魚も加えると大型のクーラーボックスに半分は魚で埋まってしまったんだ。
 そうこうしている間にかなり岸と離れたようで、磁石に従っていくら西に進んでも岸にたどりつけない時間帯があったんだ。
 それでもトリカブト沖にいることを信じて釣りに没頭していると予期せず山陰が現れた。
 でも山陰の高さが変だ。磁石との位置関係も合わない。

子:

ジャーン

父:

親をちゃかすんじゃない。
 既にクーラーは満杯近くなっていて、手首や腕の筋肉が疲れきってしまうほど釣りに関しては十分楽しんだ。
 しかし、今は自分の居所さえわからない状態。
 お父さんは一旦釣りを中断することにした。
 冷静な判断だろ。
 2本のラインを巻き上げ、岸沿いに半時計回りで芦ノ湖を回ることにしたんだ。
 そうすれば必ず箱根湾にたどり着く。
 でもしばらく走っても記憶に無い岸の様相。
 もしかしたら芦ノ湖の対岸(東岸)に流されてしまったのか?
 そうなると半時計回りでは湖尻経由で箱根湾を目指すこととなるから、湖尻方面を知らないお父さんにとってはますます不安だし、時間もかかる。
・・・・・う〜〜ん。どうしよう・・・・「ここは誰?私は何処?」・・・・

子:

お父さん日本語になってないって。

父:

解かってる。
 いやその時はそのくらい混乱していたんだな〜
 霧対策には自信を持っていたのに、迷子になったもんだからパニくってしまったんだ。
 でも、神はお父さんを見捨てなかった。
 風が出始め一瞬薄い霧がさっとボートを包む様に流れ、数百mの湖面を見渡すことができたんだ。
 なんと〜〜。ココハオイシイファミリーナ、アッチクテモオイシイファミリーナ。・・・解かんないだろうな〜〜こんな古いギャグが出ちゃうほど驚いたし、嬉しかったんだ。
 その時お父さんは箒の鼻沖に居たんだ。

子:

それって驚くようなところなの?

父:

まあ〜対岸に居たわけじゃないし、霧が無ければ当然トローリングコースにもなりうるところだけど、釣りに夢中になっている間に白浜湾の入り口を横断してしまったと言う事だよ。
 釣りは魚が釣れればそれで良いということはない。
 釣りに夢中になって安全を軽視すると大きなしっぺ返しがくることを覚えておけ。

子:

それでどう帰ったの。

父:

よく聞いた。
 お父さんはこの一瞬のチャンスを逃さなかった。
 南に進路をとり視界が利く範囲を一目散に突っ走り、無事箱根湾へ逃げ帰ったんだ。
 このことは内緒だぞ。
 これからの釣行に支障をきたしてはまづいからね。
 今までずっとお母さんには話していないんだ。

子:

・・・・

父:

なんだその手は?

子:

口止め料

父:

おまえこそ授業料払え。