第一話

ちょっと待った〜

 


父:

あれはマイボートを買った頃だから、昭和61年頃だったかな。

子:

いきなり始まるわけ?

父:

うるさい。黙って聞け。
 その頃は新婚間もない時期で、都内葛飾区の社宅に住んでいたんだ。
 そしてもう一つ、ルアーフィシングやレイクトローリングに夢中になっている頃でもあった。

子:

僕がまだ生まれる前だね。

父:

そうだよ。その頃はお母さんも釣りに付き合ってくれたから、船外機と中古のボートを買うことに抵抗は感じなかった。
 こうなると毎日でも釣りに行きたいと思っていたね。
 いつかおまえもそんな趣味を持つときがくると思うけど。

子:

うん、解かる。僕は毎日でもTVゲームしてても飽きない。


ゴン!


子:

イテ! 冗談だよ。
 そのボートって、僕も小さい頃乗ったことがあるから覚えているよ。

父:

社宅の敷地の隅に組立式のマイボートを置いて、釣りに行く時はワンボックスカーのキャリアにボートを乗せて目的地に着くと、岸辺に下ろして組み立てていたんだ。
 でも、そのボートを使うには積み下ろしや組立のために大人2人の力が必要だった。
 だから家族で釣りに行く時はお母さんの怪力を頼りにしていたんだ。
 そしてその時もお母さんと芦ノ湖へ釣りに行くことにしたんだ。
 いつものように3時頃には芦ノ湖の箱根湾に着いて、昼間は車が入れない湖畔まで車を乗り入れるんだ。
 それからすっかり熟睡しているやまんば・・・・・じゃないお母さんを無理やり起こして、ボートを浮かべられるまで手伝ってもらってたんだ。
 準備が完了したらもちろんボート屋さんが開くまでワンボックスカーの中で仮眠するんだけどね。
 いつもの光景だけど、目がさめると「すずきボート」には灯かりが点いていて、釣り客の応対に追われていた。
 その当時「すずきボート」には2頭の犬がいて、犬の声が目覚まし代わりになっていたんだよ。

子:

犬が「みんな起きて釣りの用意をしろ」て言ってたんだ。

父:

ま〜そんなところかな。
 早速「すずきボート」で釣り券を購入して待機していると鈴木さんが桟橋から「出てもいいよ〜」と声をかけてくれるんだ。
 持ち込みボートを鼻先におろして釣り券だけの購入だったんだけど、鈴木さんはそんなお父さんを嫌うことも無く、船外機の手入れ方法や他の客と同様に釣りの情報を教えてくれたんだ。
 こんなことをおまえが生まれる前からやっていたから長年の付き合いで今では芦ノ湖での鈴木さんは心強い先輩のような存在ってとこかな。
 ボートを出船させる時は、オールで陸を押し、その反力で船外機が湖底に着かない深場までゆっくり出て行ったんだ。
 船外機を積んでいてもオールは必需品だよ〜!その話はまた後でするけどね。

子:

早く先に進んでよ。

父:

お!そうか! ?先に進む?なかなか先に進まないのが今回の話なんだ。
 その時まで5回ほどマイボートで釣行してたんだけど、毎回船外機の調子がいまいちで納得行かなかったり、不安な気持ちで出船したんだ。

子:

どんな風に調子悪かったの?

父:

そう、船外機は新品だったんだけど、出船してしばらくの間は何の支障も無くトローリングできるんだ。
 でもね、2時間ほどすると必ず船外機がエンストするんだ。
 原因がなんだかわからず、湖上で船外機を分解しようとした事もあったんだ。
 異変と言えば、レモン形の手で握り締めるスクイズポンプってのがペシャンコに潰れていたことかな。
 しばらくいじっているとスクイズポンプも復元してまた船外機が始動できるんだけど1時間おきくらいにこんなことがくりかえされるんだよ。
 だから、箱根湾から遠く離れることが心配で、風の強さや体力を計算して、オールで漕いで帰ってこられる範囲しか行かなかったんだ。
 その日は風がほとんど無く天気も悪くなかったから、三石と大島の間でトローリングしていたんだ。
 飽きない程度に魚がヒットし、ランディングするとまた同じコースに戻ってそのヒットポイントを通過するのが、しつこいお父さんの常套手段なんだ。
 大島沖でヒットした魚を三石側に進路を変えランディングし、いったん箱根湾に向かうようにしてひょうたん根に旋回した時だった。
 今まで後方だったから解からなかったんだけど、湖尻方面から海賊船が迫っている事に気が付いた。
 いつものトローリングピッチで進むと海賊船と衝突するかラインを巻き取られてしまう。
 海賊船もお父さんのボートの進路や釣り方を察知して「プー・プー」と警報を発して早く進路を空けろと催促してきた。
 お父さんは焦っていた。
 ラインを巻き取っている時間は無い。
 Uターンするか、ルアーを付けたままハイスピードで海賊船の航路を横断するしかない。
 お父さんはとっさに航路を横断する決断をした。
 Uターンをすればラインがお祭りするのは必至、そしてヒットポイントへのコースから大きく外れることになるからなんだ。
 ハンドルを握りスロットルを半開くらいにした瞬間・・・・・・・・・・

子:

どうしたの。話したくなければ良いよ。

父:

聞け!息子よ。
 その瞬間・・・船外機はエンストしたんだ・・・いつものあのエンストだ!・・・スターターをいくら引っ張ってもぜんぜん始動しない。
 いつもなら積んでいたオールをセットして安全なところに移動してから2本のラインを巻き上げ、アンカーを下ろして原因の解からない船外機をいじくり回すのだが、今回は当然そんなことをしている余裕は無い。
 海賊船は警報を鳴らしながらますます近づいてくる。

子:

お父さん、大型船は動作が鈍いんだよ。まさか海賊船に撃沈されたんじゃないよね。

父:

すぐに船外機が回復しないことはわかっていた。
 お父さんは観念して関取がやる

「まったー」

をしたんだ。
 両手を前に上げて大きな動作で、何度も・・・後から考えても、なぜあんな行動をしたか解からないんだけど、海賊船は30mくらい手前で見事に停止したんだ。
 そしてゆっくりと三石側に旋回して、お父さんのボートを迂回するように箱根湾に入っていったんだ。
 結果的に海賊船はラインの上を通過したんだけど、その時ラインはほぼ垂直に水中に没していて平気だった。
 海賊船がボートの脇を通るとき観光客が手すりから身を乗り出すようにお父さんを見ていったんだよ。
 恥ずかしかったり、気まずい思いでいっぱいだった。


子:

で、船外機は動いたの? 原因は何だったの?

父:

動いたよ、2本のラインを巻き上げた後の1回のスターターで。
 原因ね〜、それからしばらくたってから解かったんだけど、まったく単純なことなんだ。
 原理を考えればすぐにわかることなんだけど、船外機はエンジンが動いている間は自分でポンプを動かして燃焼室に混合ガソリンを送り込んでいるんだ。
 だからタンク側から見るとタンクの混合ガソリンをどんどん吸い上げられているわけだよ。
 ヤクルトミルミルの紙容器にストローを刺して飲むと容器が潰れるの解かるだろ。
 そしてストローから口を離すと飲んだ分だけ空気が入って容器が元通りになる。
 だからタンクにも吸い上げられたガソリンの分だけ空気がタンクに入り込めないとタンク内が負圧になって、ガソリンの供給がストップしてエンジンも停止するわけだ。

子:

お父さん、そんなことが大人になるまで解からなかったの。

父:

余計なお世話だよ。自動車のガソリンタンクは使ったガソリンの分だけ空気と入れ替われる構造になっているんだよ。
 船外機のタンクだって当然どこかにそんな穴が開いているものと思い込んでいたんだ。
 いつもスクイズポンプがペシャンコになっていたから、もしかするとと思って説明書を見ると始動要領の初っ端に「タンクのエアベントスクリュウを弛めろ」と書いてあったよ。タンクキャップの上に付いているあれだ。
 物事には順序・ルールってものがある。
 薬と同じ。「用法用量をよく読んで正しくお使いください」ってやつだな。
 ということで、エンストの原因に気が付くまでもう少し時間が必要だった。

子:

え〜まだ続くの? お父さんも懲りない人だね。

父:

楽しみだろ? じゃお父さんは眠るから。オヤスミ。Zzzzzz

子:

あっ!僕のベットで眠ないでよ。
 ったく、いつもかってなんだから。