懐かしの関西急電 を作る 国鉄80系湘南型電車 5連1/45 OJゲージ、Oゲージ
クハ86141−モハ80255−サハ87119ーモハ80256−クハ86142 (大ミハ)
クハ、サハ100番台モハ200番台
200番台ラストナンバーのこの編成は昭和33年6月に川崎車輌で完成しました。
200番台は窓サッシがアルミ製になり、窓柱が太く従来車とは区別がつきます。
この3ヶ月後には窓の大きい近代的な外見の全金属製300番台が登場します。
昭和25年から関西地区で活躍した国鉄80系湘南型電車は昭和33年まではチョコレート色とクリーム色の塗りわけでした。
オレンジとグリーンのオリジナルカラーにくらべシックで落ち着いた感じで京阪神間の急行電車(通称関西急電)として活躍しておりました。
東海道本線の全線電化完了にともない80系を使った大阪からの準急「比叡」と東京からの「東海」が名古屋で顔をあわせる事になり車両の交流が頻繁になってきます。
昭和32年9月のダイヤ改正で京阪神間の急行は快速と名称変更となり、高槻と芦屋にも停車、
編成も5両(2M3T)から6両(3M3T)になり、塗色も湘南色に統一されることになります。
こうして関西色は消えます。
6両化への編成組替えは大変で、不足する電動車を他地区からの転属車で充当された結果、
この時期関西色と湘南色が混在する編成も見受けられました。
今まで同じ年式で編成美を保っていたのはくずれ、さらに窓が大きくなった新製300番台車はオレンジ色の塗わけラインが異なっていたのを無理やり従来車にあわせるなど吹田工場では苦労があったとの記録が残ってます
。
長大編成化の流れに貫通路のない正面2枚窓スタイルは弱点を露呈することになりはじめます。
また昭和30年代後半には、両端2扉のこのタイプは通勤ラッシュには対応できず、昭和39年より3扉の近郊型車両113系が関西地区にも導入開始され、80系は昭和43年までには岡山、広島へ転属、昭和52年頃には全車が廃車されます。
残念ながら一世を風靡した2枚窓の先頭車に保存車両はありません。
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関急色交友社 回想の旅客車 上巻 より |
山陽本線 須磨 快速姫路行き 湘南色S40撮影 管理人 |
正面マスク | 一番手間のかかる正面は木型を作って量産出来る様にします | |
厚さ3、5mmの薄板を16枚 重ね合わせて形状を出します。 |
出来た木型と検査用型紙 |
厚み1mmのお面をこれから作ります |
この後 ナイロンを使って FRP整形するとお面のできあがり |
出来たお面(右)とその木型 |
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裏側VIEW |
窓明け加工して |
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妻板、運転席隔壁 | 木型を作ってシリコンで注型型、ポリウレタン注型して大量生産 | |
木型(アガチス材) | シリコン 型取剤 |
ポリウレタン 注型剤 |
車体 | CADを使います | |
三面図作成 |
部品図作成 |
印刷 |
窓抜き |
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下地処理 |
両面テープ貼り付け |
曲げ癖付け |
アルミアングル材取り付け |
曲げ |
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妻板取り付け |
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パテ塗り |
磨き |
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マスキング |
茶色塗装 |
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ガラスはめ込み |
側面窓ガラス取り付け |
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網棚、灰皿、蛍光灯、 換気装置 取り付け |
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座席 塗装 肘掛取り付け |
座席取り付け |
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台車の製作 | ||
TR48 付随車台車 注形型 ゴールデンボードt1.0 丸棒、紐、虫ピン DT20 電動台車 注形型 ゴールデンボード t1.0 丸棒、電線、虫ピン |
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型製作のポイント 複雑な形を徹底的に分解 単純な形に置き換え 注形可能な分割型 無理に型に織り込まないで 後加工で容易化 |
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床下機器の製作 | ||
正確な形状は写真からではわかりません。 想像で雰囲気だけ出しました |
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完成です 製作時間約400時間 | ||
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これから5両編成になっていきます。 |
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京都⇔神戸間 急行5連 昭和32年製 80系200番代 こちらは1/45 Oゲージ 走行モデルです |
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窓の下に灰皿がありました。蓋を閉める音が懐かしく・・・ |
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湘南フェイス考察正面が左右対称の2枚ガラスからなるこの顔つきは昭和20年台後半から30年代に国鉄、私鉄に大流行しました。 |
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主な部品、材料一覧 購入模型部品:OJゲージ19φ車輪 4本 、密着連結器2ヶ、インレタ |
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