すでに、人間のクローンを作るのは是か非かという議論は現実のものになって久しい。科学の発展は人間の可能性を広げるが、同時に、それまでの人間が「考えもしたく無かった」可能性まで広げる事がある。
人間の寿命が100歳はおろか、1000歳でも10000歳でも可能になった時、それに人間は精神的に耐えられるのか。不老不死が実現した時に、もはや「死」とは自発的に自殺する以外に手段がない状況で、人々はどんな選択をするのか。
そんな突飛な事を考えなくても、例えば、その人が発する脳波を受信して、その人が何を考えているのかがガラス張りのように判る未来は、それほど遠くはないだろう。これだって、人々にとっては大変な衝撃になるはずだ。
以前、こんな事があった。
遠い異星から、光の速度を超える早さの宇宙船で地球に訪れてくる異星人の存在を信じている人は多い。そんな人たちに、こんな問いかけをした事がある。
「光の速度を超える技術の持ち主なら、タイムマシンのような、過去や未来に行く機械は難しいとしても、過去や未来と通信する電話なら作れるかもしれない。つまり、そういった異星人たちから技術をもらう日が来るとしたら、自分がこれからどんな人生を歩み、どんな死を迎えるかが判る電話も使えるようになるのではないか。」
この時の、私が話し掛けた相手の反応は、みな一様に、ちょっと度を失ったような、薄気味悪さを感じていた。中には「光速を超える技術はありえても、過去や未来と通信する技術はありえない」と、理屈も無く否定する人もいた。
人の心は、何かにすがって安心を得ている所がある。しかし、科学の発展がもたらす可能性は、何も人間に夢を与えるものばかりではない。人間に対して、倫理的、哲学的な、それも苦しい決断を強いるものも出てくる。