斉という国の王が、孔子に政治について尋ねた時に、こう答えている。
「君主は君主らしく、臣下は臣下らしく、親は親らしく、子供は子供らしくあることです。※2」
この言葉には、君主が君主らしくなくなった場合、臣下が臣下らしくなくなった場合、親が親らしく子供が子供らしくなくなった場合の世の中の可能性を、孔子は口にしないが示唆している。
孔子の思想を受け継いだ孟子は、この点を発展させて、もし君主が君主らしくなくなったら、つまり、君主としての資質を失って仁政を行えなくなって、無道の政治を行うようになったら、そんな君主は廃立すべきだと言い切るようになる。いわゆる、革命の肯定だ。
「天命」という考え方も、ここで強調されるようになる。君主が君主であるのは、仁政を行うように天から認められているからで、もし君主が君主としての徳を失い、その国が無道の政治を行って民衆を苦しめるようになると、そのような政権は天は見放し滅びるに任せ、代わって次の政権に(・・・それも仁政を行えるような政権に・・・)天命を与えるようになる。
このように、なかなか過激な側面も持ち始めた儒教だったが、戦国時代には主流の学派にはならなかった。この思想が求められるようになるのは、まさに戦国時代が終わってからだったからだが。
また今回も終わらなかったな。続きはまた今度にでも。
※1『論語』為政
子曰、道之以政、斉之以刑、民免而無恥。道之以徳、斉之以礼、有恥且格。
※2『論語』顔淵
斉景公問政於孔子。孔子対曰、君君、臣臣、父父、子子。公曰、善哉、信如君不君、臣不臣、父不父、子不子、雖有粟、吾得而食諸。