合併問題にまつわる日記

3月2日(木)

 最近は雨が続いてます。家からも出られず、写真のネタに困るな。雪にならないだけマシかもしれないけど。

 前回の2月28日の所で書きましたが、先日、何人かの町の議員さんに会って、
「決して合併推進派だけが町の世論ではない。昨年夏の町長選挙の時から比べると、想定外の住民が合併によって不利益になる事例も現れてきている。今すぐ合併に突き進む事には大義名分はない。」
と、話をしに行きました。まあ私は、この試みをする人たちの後を「一緒について行った」程度ですが。私は議員さんの家の場所も知らないし。

 ある議員さんは、最後まで合併反対で通すとハラを決め、ある議員さんは、先日の城山町での住民投票の結果を受けて気持ちがぐらつき、態度を決めかねていた。

 ある議員に至っては、合併が藤野町の住民にとって不利益になる要素が多い事も承知の上で、
『昨年夏の町長選挙の結果が出た以上、従うしかない。』
の一点張りだった。
 私が、町長選挙の時には「合併しないとゴミの収集が来なくなる、消防や救急が来なくなる」といったデマ情報がさんざん流された事をあげて、
「でも、あの町長選挙の時の雰囲気には騙された、と言う人は多いですよ。」と言うと、
「それは騙される住民が悪いんだ」
そう言われた時は、悔しかった。
 曲がりなりにも政治家だろう。何で騙す方に与する。何で、騙す側を糾す事は考えない。

 また、一部の強硬な合併推進派の人間が、連日のように合併には消極的な議員を攻撃したり、
『あいつら(合併に否定的な議員)は、保身の為に合併に反対しているんだ。』
と町中に噂を流されたりして、正面切って、合併に反対する気力も萎えているという。

 理性的な合併論議ならともかく、何でこんな暴力的な力学で、ものごとが決まって行くのだろう。

 皮肉にもこの日は藤野小学校で、生徒たちによる「藤野町を人気者にする」という創作演劇が行われていたという。
 3月2日。やりきれない気持ちで、吸収合併への議案が提出される日を迎える。

 もう一つ、これは別情報です。
 町に託老所を作ろうと活動している団体がある事を、以前ここでも紹介しました。

 この団体が、3月4日、藤野町民センター教養娯楽室(2階和室)にて、講師を招いて講演を行います。時間は1時から3時半まで。

 講師は通所介護事業所『ふくろうの家』主催の林頼子さん。
 テーマは「小さい町だからこそできる、地域密着の介護サービス」

3月4日(土)

 このところ、晴れそうで晴れない。「今日は曇りです」という天気予報の日でも、さらさらと雨が降る。
 この土日は晴れそうだけど。

 先日の3月2日。藤野町議会で、相模原市との合併を決定する廃置分合議案が可決成立した。議員の賛否は、賛成8人、反対5人。これで合併への流れがほぼ決まった。

これは2月28日の所で紹介したフキノトウです。ゆっくりと葉が開いて行くものですね。見つけても勝手に採取しないほうがいいですよ。案外、その土地の持ち主が土地を手入れして「栽培」している事があります。

 この日も合併推進派の団体が動員をかけて傍聴席を埋めたと言う。また、彼等は合併に反対の立場で討論する議員に対して、傍聴席からヤジったり聞こえよがしに舌打ちしたりしていたそうな。

 勝ち馬に乗って弱者を叩くのは小人でもできる、と言うより、小人こそ好んでやりたがるものだ。だが逆風の中を、自らの志操を貫き通す事は、並の人間にできる事ではない。
 ある傍聴者が、議会で唯一の女性議員の反対討論を褒めていた。「歯に衣着せず堂々と自分の言葉で表明した」と。

 その議員さんにお願いして、反対討論と質議の原稿を頂きました。
 こちら>>

 この町は江戸時代のような家父長制的な因習が残っている町で、「町に保育園を作ろう」という提案でさえ、「女が金稼ぎをするために子供をあずけるなんて、とんでもねェ」と、教育委員長が一蹴するような時代だって、そんな昔の事ではない。せいぜい10数年前のことだという。

 そんなジジイ共が威張りくさってきた町で、町を残そうと良心と理性と勇気を身をもって体現し通した議員が、先祖代々住み続けた長老ではなく、新住民の若い女性議員だったというのは、皮肉だ。

 こういう真に追い詰められた時、真に底力を発揮しなければならない時、男とは存外頼りにならないものらしい。

翌 2007年3月11日

市町村合併で藤野町(ふじのまち)は相模原市「ふじのちょう」となる