合併問題にまつわる日記

6月6日(月)

 麦秋。かつてはどこにでも麦を栽培している人がいたが、今では趣味で栽培している人が、ちらほらいる程度。

 今日の午前中、藤野町の町長選挙で、相模原市との合併に反対する側の候補に会って話をする機会があった。6月4日の所で紹介した人だ。
 私も末席を汚している、ある住民団体が会談を申し込み、それに相手が応じてくれたもの。私は『午前中でもヒマな人間』として同席できた。もっとも、私自身はほとんど質問もせずに、角で話を大人しく聞いている役だったが。

 私の印象では、この候補、自分が藤野の住民から反発を食らっている事を相当自覚していた。

 この町の今までの町政には、政治力で白でも黒くしてしまうような無法が度々あった。
『いっそ町なんて無くなって、相模原市に吸収された方が、よっぽど町が浄化される』
そう言い切るほどに町政に見切りをつけた人も多い。
 この候補も、長年役場で重要な立場にいた関係で、町の密室政治体質の『戦犯』の一人として見られている傾向がある。

 今までの町政に対する恨み、議会に対する恨み、役場に対する恨み、それらの恨みの対象と同一視されての出馬だから、今後住民から厳しく叩かれる事もあると思う。
 しかし、ここは一度しっかりと、それらの恨みを受け止めないと、住民が再び彼の言葉に耳を傾ける気にはなれないだろう。いかに彼が『住民自治による、民意を汲み上げての政治を目指す』と言っても。

『これから石や卵をさんざん投げられるでしょうが、頑張って下さい』と私が言うと、『叩かれるのが私の仕事だと思っている』と言って笑っていた。

 今年はホタルブクロが妙に元気がないような気がする。例年だったら道沿いに沢山咲いているのに、今年は咲いている場所が少ない。
 その年によって、調子の良い時と悪い時があるんだろうな。

 シーゲル堂で今月の企画展が始まってます。『Tシャツ展』です。

6月8日(水)

 桑の実が熟してきました。牧馬にも、そこらじゅうに生えているけど、ジャムにしたり活用する人はまれ。

 ある方から批判を受けた。6月4日、6日の所で書いた候補について、『悪人呼ばわりしないでほしい』と。
 私は一度も『悪人』だとは(善人だとも)書いていない。そもそも、人格の批評が出来るほど、この人の事は知らないし、付き合いもない。単純に、私は単独町政継続を望んでいるから、彼が当選してくれればいいと思っている。
 しかし、私が感じた町の雰囲気は、彼には大変厳しいものだ。これに勝つためには相当な大逆転をしなければならないなあと思う。そして、彼にはその大逆転をして欲しいと思っている。

 クサイチゴ。

 ちょっと長くなるが私の経験を書こう。
牧馬の残土処分場に悪質な下請け業者がいつのまにか入り込み、本来一日60〜70台ペースで残土を入れる計画を無視して、一日150〜200台ペースでどんどん残土を放り込み始めた。もちろん、捨てた残土が崩れないようにする工事なんて何もしない。
 やがて残土は崩れだし、氷河のように流れ始めた。杉林をなぎ倒し、道路を塞いだ。
 私は役場に行って町長に訴えた。

 ノビルに出来たムカゴ。このムカゴに花が咲く事があるらしいが、私はまだ見た事が無い。

『とにかく一度、現場に視察に来てくれ』
『いや、その必要はない。私はあの辺りの事はよく判っている』
『判るはずなんかないでしょう!、土砂が刻一刻とずるずる動いているんですよ!』
『いや、私はあの辺りの事はよく判っている』
この町長、とうとう視察にも来てくれなかった。

6月8日(水)の続き

 この時の絶望といったらなかった。残土業者に遠慮があるのか、町民が無法行為になす術もなく泣いているのに、町は何もしようとしないのである。
 この時の事は全部書けば一冊本ができるくらいなのでこれ以上書かないが、結局この問題は、時には新聞種にもしてもらって声を出して騒ぎ立て、住民が直接県とやりあって、ようやく収束できた。

『藤野町が相模原市と合併すれば、藤野の役場は支所になってしまい、相模原まで車で1時間もかけて行かないと何の用事も出来なくなる。役場が遠くなる。』と言うが、藤野町の町政は合併する前から、十分に町民から遠かった。もしあの時、『相模原の市役所に行けば、迅速に対応してくれる』と言われたら、即座に車で1時間走っていただろう。

 昨年の夏、藤野台団地で異臭騒ぎがあった。近くにある上野原市の下水処理施設に不具合があって、そこから悪臭が発生して団地に漂って来たのである。真夏なのに窓も開けられなかったと言う。
 こんな時、『町長、何とかしてくれ』と言えば、すぐに対応してくれるのなら、町は小さい方が良いに決まっている。わざわざ相模原まで行かなくて済むのなら、良いに決まっている。しかし実際は、そんな『小さな町』のメリットを実感する機会は無く、逆に『小さな町』ゆえに、無法は放置され、容認され、議会も役場もそれで普通だと割り切っているようにさえ見える。『藤野町だけに存在するルール』のようなもので町政が動いて来たような悪いイメージがある。

『合併して藤野町なんて無くなってしまった方が、遥かに風通しが良くなって、世間並みの常識の通用する町になるんじゃないか』
そういう人に向かって、私は『いや、小さな町ならではの良さがあるんだ』と説得しようにも、相手から『町のこの問題についてどう思う?』と返されては、逆に私がやり込められて、言葉に窮した経験が度々ある。こういう人が町長や町議になってくれたら、町がもっと良くなるのになあ、と私が尊敬していた人達が、一人、また一人と合併賛成派に転向していくのを、私は残念な気持ちで眺めて来た。

 住民が町政に対して抱く悪いイメージは、私の想像より深刻だった。
 今回、町長選に合併反対の立場で立った候補は、長年役場で重要な位置にいたため、この『悪いイメージ』と同一視される傾向が、どうしても出てくる。
 彼自身は、『私はそんな町政を、少しでも民主的なものにしようと今まで腐心し続けて来た』と言う。たぶん事実なのだろう。しかし、『目に見えるように形で』示さないと、町政に失望し続けた人達が、彼の言い分を信じてくれるかどうか疑問なのだ。

 この町の町政が真に民主的だと言える状態にまで町民が実感するには、まず、町民が率直に町政に対してあれこれ言える状態にしなければならない。
『どうせ町に何を言っても変わりゃしないよ』
と諦めている人でも、『言えば、ちゃんと聞く耳を持ってくれるな』と実感させなければならない。
 いざ、町の人々が町政に対して言いたい事を言い始めたら、一度は町政に対する恨み節の嵐になるかもしれない。しかし、一度は心の中にわだかまっていたモヤモヤしたものを吐き出さないと、そして町がそれらのモヤモヤをしっかり受け止める姿勢をみせないと、町民は『言えば、ちゃんと聞く耳を持ってくれるな』とは実感してくれない。

 合併反対の立場で町長選に立ってくれた彼が、劣勢から反撃に転じるには、一度そんな嵐を経た後にしか機会が来ないと思う。むしろ、何の嵐もないまま選挙を迎える静けさの方が、私には怖い。

 住民の意見を聞いてくれない小さな町、では、残すに値しない。住民の意見に真摯に耳を傾けてくれる小さな町、であってこそ、人は町を残すだけの価値があると考えてくれる。
 『悪人呼ばわりしないで欲しい』と言われて、(私を含めた)住民が黙ってしまうようでは負けが決まったようなものだ。むしろ、『言いたい事は、どんどん言ってくれ』と働きかけるくらいでないと、住民は『確かに今までの町政とは違う』とは実感してくれない。

 私に意見した人には、そう説明しておいた。納得してくれたかどうか・・・。


 話は変わるけど、せっかく合併に関して賛成と反対の候補が出そろったのだから、一度、公開討論会を開いてほしいものだ。それぞれの候補が、合併と自立のメリットとデメリットを、堂々と論じて欲しい。

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