Peugeot 206 WRC Collection
1999年から2003年、WRCに参戦したプジョーのファイナル・ウェポン。 市販車のボディから、前後のフェンダーを広げトレッドを稼ぐのはラリー・カーでは(特にフランス車では)当たり前の手法だが206WRCの場合、さらに前後のバンパーを拡張し車の全長を稼いでいる。 WRCのレギュレーションで、WRカーの全長は4m以上でなくてはならず、この大型バンパーを付けることでこれをクリアーし、この形の限定車を市販することでなんとかホモロゲーションを取得した。 前後のオーバーハングの延長は自動車の運動性能を考える上で百害あって一利無しなのだが、そこまでしてでもプジョーとしては206で参戦したかったわけだ。
206 でのWRC参戦には各方面から批判が強かったという。 市販車の206は、1400cc・1600ccエンジンをメインに搭載するコンパクトな車だ。そのエンジン・ルームに2000ccのしかもターボ・エンジンを搭載するのはスペース的にも、また熱対策の面でも不利になるのは目に見えていた。自然吸気エンジンでだが、ラリーでの実績もある前述の 306MAXi をターボ化する方が理にかなっているのでは?多くの評論家が疑念を口にし、206WRCの成功を疑問視していた。 しかし蓋を開けてみれば…である。 スポット参戦した1999年からトップを走れるポテンシャルがあることを示し、フル参戦を開始した2000年からは3年連続でマニュファクチュラーズ・タイトル(製造者選手権)を獲得、F1でダウンしたプジョーのモーター・スポーツのイメージを見事に復権させた。
そもそもプジョーがWRCに参戦したのは、206のコマーシャリングのためといっても過言ではない。 F1 で多額の資金を投入しながらも、それを売上向上につなげることができなかったプジョーは、なんとしてもラリーでその失敗を取り返さなければならなかった。 そのためには、たとえ好成績を納められたとしても、旬を過ぎた306では意味が無く、デビューしたての206の拡販につなげたかったのだろう。 そしてもちろん、10年以上前に大成功を納めた205turbo16の再現という思惑が、その裏にあったことも間違いないだろう。
プジョーの狙い通り、206 は市販車もWRCも双方が大成功を納めた。 206WRC のデザインは、コンペティションカーの獰猛さとコンパクトカーの親しみやすいユーモラスさが上手に融合した秀逸なものだと思う。 当然のように、206WRCのミニカーは数多く販売されたが我が家には5台が存在するにとどまる。
306MAXiとは異なり、206WRCのミニカーをコンプリートしようなぞという気は、さらさらない。 数が多くて…というのもあるが、最大の理由は '01年と '02年のカラーリングが好みじゃないからだ。 2003年には赤一色のマルボロ・カラーに変わり、こちらはさほど嫌いではないのだが、それでも '99年モデルや '00年モデルの格好良さには遠く及ばない気がする。 (純粋に好みの問題かも知れないけれど)
“206” という車を世界中に宣伝するという役割をこれ以上ないくらいきっちりと果たし、206WRC は2003年度で表舞台から引退することになった。 あとには兄貴分…いや弟分か?の 307WRC が新たなプジョーの最終兵器として世界中を走り回っている。 2004年7月現在、いいところまで行きながらも結果につなげることができず苦戦中だが、近い将来、206譲りの吊り目の車両がWRCを席巻することは間違いないだろう(きっぱり)。 それはそれとして、その小さな車体にターボエンジンを積み込んだ リトル・ギャングの勇姿をもう二度と見ることができないのは、やはり少し寂しく感じる。 まぁ、10年経ったら、ミニカーを眺めながら思い出話に花を咲かせるのもオツというものかもしれない。
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