第二章

 僕の場合、理想像を具体的な人物(芸能人など)で例えると、大抵の人は混乱してしまいます。タイプがバラバラで何ら一貫性が見付からないそうです。しかし世の中には不思議なこともあります。何人かの女性が並んでいて、その中でどの娘が僕の一番のタイプかをほぼ百発百中で当てる友人がいます。彼に言わせると、僕の好みには目に見えない一貫性があって、ただそれを端的に言葉で表現するのが非常に難しいのだそうです。もっとも、有名人を例に挙げてそれに一貫性があろうとなかろうと、僕にとってはあまり重要な問題ではありません。僕は年齢的にそろそろ遊びで恋愛ができない(=結婚を前提に恋愛を考えなければならない)社会的立場にあります。また、もてない男として「彼女いない歴」がほぼ生まれてから現在までの全人生を歩んで来た、という事情も含めてご覧いただければと思います。
 ところで、いづみさんは「理想」と「最低条件」という視点を持ち込みました。その意味ではぼくの「理想の女性15箇条」は整理できていません。ある項目は「理想」だしある項目は「最低条件」だし、どちらとも言える項目も含んでいます。
 もう一つ、面白い分類をむーくんが試みています(お手数ですが『何だっけ制作委員会』サイトを経由して、是非ご覧下さい)。彼は男性から見た女性の見方を「鑑賞用美人」と「家庭用美人」に分けています。「鑑賞用美人」とは「その場に置いておけば華になるようなタイプ」で「一緒に連れ立って歩こうものなら視線が自分のとなりに集中する」ような美人、「家庭用美人」は「容姿第一というよりも)けなげで気立てが良く、品もあり、子育てが出来そうなタイプ」と分けて「相反する要素が含まれているようだ」と論じています。僕はこの点には反対です。どちらにも入らない人もいれば、どちらにも入る人もいるでしょう。ただ「美人」を「女性」に言い替えてどちらか一方に入れることにすれば、或は成り立つ論かもしれません。
 いづみさんの「理想」と「最低条件」、むーくんの「観賞用」と「家庭用」の視点を得て、15箇条をそれぞれに当てはめたとき僕に何が起きるかを、以下にマトリックスを作って予想してみました。

観賞用美人

家庭用美人
理想条件

恋人としては最高
結婚相手としてはやや不安

恋人としてはまず満足
結婚相手としては最高
最低条件

恋人としてはまず満足
結婚相手としてはやや不満

恋人としてはやや不満
結婚相手としてはまず満足

 二つの視点で、どの項目がどれにあたるかはご想像にお任せします。
 自分でも意外だな、と思ったのは「最低条件」で「やや不満」と言ってしまっていることです。まだ上がある、と「理想条件」を見てしまうからです。自分勝手なことを言うと「最低」は「最低」に過ぎないのです。それから、結婚と恋愛を分けて考えているようです。この結果を見る前は漠然と、恋愛から結婚への流れを自然なものと見ていました。ところが上の表では、それを否定しています。
 僕が結婚相手に望むのは、以下の3つです。

  1. 暇つぶしの相手
  2. セックスのパートナー
  3. (上の結果として)子どもの共同育成者

 恐らく、長い結婚生活の間で上記の要望に対する優先順位は時系列を追う毎に変化して行くものと思われます。子どもが生まれるまでは「暇つぶしの相手」、子どもが一人前になるまでは「共同育成者」、子どもが独立してしまえばまた「暇つぶしの相手」が一番に戻るのではないでしょうか。
 よく理想の条件に「一緒にいて楽しい人」というのが挙げられます。僕の「暇つぶしの相手」は、それとは少しニュアンスが違うように思えます。前者は「楽しい」にアクセントがあり後者は「暇じゃなければ良い」にアクセントがあります。別に年がら年中、楽しくなくても良いのです。ただ、ときどき散歩に付き合ってくれたり、近所でお祭りがあれば一緒に行ってくれたり、面白いことや仕事の愚痴を聞いて(聞き流して)くれれば、それで満足なのです。「一緒にいて楽しい」と、いつまでも楽しくなければならないような気がして、或いは相手にそれを望んで、そうでない時間が訪れたときに幻想が崩れ二人の関係がおかしくなるのではないかと思うのです。「一緒にいて楽しい」は、一緒に過す時間が比較的短い「恋愛」にあてはまる理想で「結婚」には向かないのではないでしょうか。
 先日、テレビの人生相談番組で「ルックスも良いし、話も面白い」から幸せになれると思って結婚した相手が、実はとんだ女たらしで酷い目に合っているという女性が出て来ました。この女性は、そういう男性は他の女性からももてる、という厳然とした事実に気が付かなかったのでしょうか。たとえもてても、自分一人だけを愛してくれるとでも思っていたのでしょうか。
 さてそろそろ結論らしきものを出しましょう。まず、結婚は恋愛の延長線上にあるものではありません。極論すれば、恋愛の目的は相手の肉体であり、結婚の目的は結婚してから二人の価値観に従って決めるものではないでしょうか。恋愛が楽しいのは肉体関係に至るすべてのプロセスが前戯だからだと思うのです。結婚して生活全体が前戯になってしまえば、いづれ疲れて相手に飽きてしまうのも当然でしょう。
 それから「理想」に思える要素が目立つ人が目の前に現れたとき、実は「最低限」の部分が見えなくなっているのではないでしょうか。特に現代の恋愛では「理想」の部分が強調されすぎているような気がします。これを僕は「恋愛のファッション性」とか「恋人のアクセサリー化」という言葉で表現しようと思いますが、この点については別の機会にもう少し深く考えてみようと思います。

 それはそうと「理想の女性15箇条」で「上記15箇条をぜんぶ満たす女性で、霧小舎と交際を御希望される方がいらっしゃいましたら、メールでご連絡下さい」とお願いしました。開設してから1ヶ月半、300人以上の方がいらしているのにまだこの件に関しては何も連絡がありません。もしかしたらこの15箇条は、条件が厳しすぎるのでしょうか。それとも、これくらいの条件を備えた女性は、もう既に誰かと結婚をしていたり決まった男性がいたりするのでしょうか。或いは、単に僕がもてないというだけに過ぎないのでしょうか。

 色々と書きましたが、これらを全部「もてない男」のひがみと捉えて頂いても、無論構いません。

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