第一章
霧小舎捕人氏との出会いは、もうかれこれ15年くらい前のことになります。その頃私は高校の2年生で、中学時代の友人(仮に「師匠」と名付けておきます)に、「面白いやつがいるから紹介する」と言われ、師匠の住む東京と千葉の境の小岩駅で待ち合わせたのです。階段を降りていくと、そこにすでにそれと思われる人がいて、どうやら師匠を待っている様子。そこで私から「師匠待ち?」と声をかけたのです。もう、その瞬間から意気投合したのでした。
その頃の彼は今と変わらず頭脳明晰な人間で、茶目っ気もあり、愉快でした。彼の読書好きはこの頃もそうでした。当時は筒井康隆や山下洋輔に傾倒していたのではないかと思います。音楽はこのころからジャズが好きだったようで、そのあたりは私にはよく分かりませんでした。で、師匠のお宅にお邪魔した帰り、電話ボックスで撃たれるパフォーマンスをしたり、駅前のポストに手を合わせて拝んだりしたのをよく覚えています(それがもとで私の細君はもと郵便局員なのでしょうか?)。
大学生になり、彼の20才のパーティーが行われ、それにもお呼ばれしたので参加しました。たくさんの彼の友人が参加しましたが、印象に残ったのはたったの一人でした。その存在は絶大なるもので、彼女は今なお我々のヒロインであり続けているのです(こうして現在の環が出来始めるのでした)。
私は高校3年くらいから小説を書く真似事を始めました。自分の現実には起こりえないような恋愛小説を書きたかったのです。大学2年になってワープロを買いました。で、それまで書き連ねてきたものを人様に読んでもらおうとコピーして配ることにしたのです(お金をもらうようなものではないですから)。そうしたときに霧小舎氏は格好の読者でした。いくつかの作品は彼に気に入ってもらい、またそのすべては批評の対象になりました。この活動が霧小舎捕人氏が執筆活動を始める一因になったことは間違いないと私は思っております。
さて社会人になってからも師匠を介して年に数回会っておりましたが、私が結婚してのこの3年、電子メールそして封書の手紙を通して師匠を介さないかたちでの集会が開かれるまでに至りました。そこで我々は総称として『なんだっけ制作委員会』と名付け活動していくこととしました。気付いてみれば我々の周りにはネタに事欠かない連中があふれているんです。今まで隠していたのがもったいないような人脈を霧小舎氏はまだまだ抱えており、今回ようやく彼自身のwebpage上でご紹介いただけるということで、今から楽しみです。
『何だっけ制作委員会』の一環としてリンクを張れるよう、私も頑張って参りたいと思いますので、霧小舎氏もあまり飲み過ぎず、太らず、頑張って下さい。
それではまた。