第三章
カミュの「手帖」に、
「ある医者が肺病患者に、あと5日の命だと告げた.
患者は剃刀で咽喉をかき切ってしまった.
かれは明らかに、その5日間を待てなかったのだ」
という一節があるんですよ.
これって自殺だけど、自分への安楽死でもありますよね.
そうすると、全ての自殺は自分への安楽死なんでしょうか.
僕の学校で遺書ものこさず自殺した2年生がいるんですよ.
自殺したO君とは面識は無いんですが、印象に残りました.僕の友人の女の子は、
「楽しいことはひとつもなかったのかね?」
といっていましたが、これも安楽死なんでしょうか.
特別クラスでいじめられていたということもなく、
友達がいなかった、学校で孤独だったというだけで死ぬ.
でもカミュの「手帖」を読んで思ったんですが、
患者も、その2年の男子も「恐怖」にとらわれて
いたのではないか?形こそ違え、脅えていたのでは?
肺病患者は、その5日間の短さに恐怖したのでは?
O君は、未来に横たわる孤独の長さに脅えたのでは?
もっと深く突き詰めると、患者にとっての「5日間」は
O君が恐れた将来より、たかだか17年しか生きていない
少年にとっての60年よりも長く感じられたのでは?
僕は、この2つの自殺の原因を「時間への恐怖」だと、
「将来への不安ならぬ、決定された絶望」だと考えました.
やはり2件とも、安楽死であるには違いありません.
肺病患者は医者に、学生のO君は学校生活での孤独に、
残酷にも死を宣告されたのです.明確な時間とともに!
患者には5日間、O君には永遠、、、、、、
あらゆる生物は生まれた瞬間に死を宣告されます.
でもそれは、洋々たる未来、、、生に覆われて聴こえない.
自殺というのは、全ての生物で人間がもっとも鋭いという
証明のようにも思われます.あがけない、死を知る鋭敏さ.
肺を病んでいた患者は、自分の鋭さを誤魔化していた.
医者が生のベールを取り外さなければ、誤魔化し続けた.
カミュは「不条理な論証」のなかで、
「真に重大な哲学の問題はひとつしかない.自殺だけだ.」
と書いています.でも、僕はそうではないと思うんです.
真に重大であるのは、時間です.
「不条理な自殺」の中でカミュが触れたどの自殺も、
時間によって引き起こされた、不条理とは遠いものばかり.
不条理という概念がすでに、時間というスープを漂う
タマネギみたいなものじゃないですか.
不条理性の象徴とされる「異邦人」のムルソーでさえ、
死刑執行前夜という「時間」のなかでは不条理を飛び越え
自然的な美しさへの賛美ともとれる境地に達している.
同じく「時間」を目の前に突き付けられた3人、
肺病患者、O君、ムルソーはどう違ったのか?
その強さこそが不条理、カミュがテーマとする不条理だ.
時間に対抗しうるかもしれないのが不条理だということか.
だがムルソーが「夜と大地と塩の匂い」を感じるシーンは
不条理が時間に取り込まれたがゆえの感動と思える.
カミュが命を奪われたのは、自殺ならぬ不条理な交通事故.
しかし、彼の死後何年もたって僕たちに問題となるのは、
彼の執筆時間があまりにも短かったことである.
時間、時間、不条理をも飲み込む「時間」!!
そんな化け物に直面したとき、気弱な高校生や病人が
恐怖せずにいられるわけがない.いや、僕だって、、、
やはり自殺とは、安楽死なんだと思います.
時間に襲われ、苦痛の中で死ぬことを拒んでの死.
僕は時間に直面して、まだ生きようと思えるのでしょうか.