第二章
バンッ、、、、
僕は、手が痛くなるほどの勢いで机を叩いた.
もうすっかり秋になり、苦手なクーラーに頼らずとも涼しい生活が送れるなどと思ったのが間違いだった.
人様に威張れるほど勉強をしていないとはいえ、これでもれっきとした受験生なのだ.親兄弟から離れて暮らしているのに、静かな夜ひとつものぞめないとは納得いかない.
「あなたが悪いんじゃないのッ!!!」
お、珍しくはっきりと聞き取れた.
そう、僕は近所の夫婦喧嘩に悩まされているのだ.
今夜こそ文句をいってやる.
春はそう思って毎晩憤っていたのだが、夏のあいだに怒りの情熱が薄れてしまい、ついには忘れ去ってしまった.
窓を閉めているとほとんど聞こえないわけだが、開けた時のうるささは尋常ではない.さっきのような言い合いだけならともかく、頭が変になりそうな奇声が耐えられない.
「キェェェェェ〜〜〜〜〜!!」
「ヌキィィィィィッ!!」
僕はガックリと膝をついた.
どういった経緯で、あんな声を出すまでの喧嘩に発展するのだろう.たまに旦那と思われる男性の声も聞こえてくるのだが、こっちは静かな感じで諭すように話しかけている.
それ故に、旦那の喋る内容までは聞き取れないのだ.
景気づけに焼酎をひとくち飲み、本当に抗議に向かうことにした.
まずは奇声の発信源を探さなければならない.
だいたい、一体どの家の夫婦が大喧嘩しているのかさっぱり判らない.向かいのマンションの3〜4階あたりが怪しいと睨んでいるので、とりあえずはその周辺で耳を凝らしてみる.
「ウキャァァァァァァァァァ!!」
あれ?そのマンションの自動ドアまで差し掛かった時、今度は後ろから例の奇声をキャッチした.どうやら通り過ぎてしまったようだ.そうすると、僕の住むアパートとこのマンションの間で喧嘩をしているということになる.
しかし、、、この酒屋のご夫婦があの奇声を?
僕はよくビールやジュース類、ときにはカップラーメンなどを買っていて、しかも仕送り日までツケにしてくれるこの酒屋を気に入っていた.近ごろ珍しい、心温まる店だ.
だが、さっきのマンションと僕のアパートの間には、この酒屋以外には何もない.マンションの横に、地下駐車場へと車を入れるための道があるだけだ.この酒屋以外には考えられない.悪いが妥協するわけにはいかないのだ.僕はゆっくりとチャイムを押した.
ドアを開けたのは、酒屋の一人娘さんだった.
「あら?どうしたの浪人くん、こんな時間に.」
20代半ばと思われるこの女性は、僕のことを失礼にも浪人呼ばわりするのだ.
いや、確かに浪人には違いないが.
「ひょっとして晩ゴハンに困ってたりする?ウチの残り、わけてあげようか〜?」
いいながらケラケラと笑っている.こう書くとヒドイ女の様に思われそうだが、僕はこの酒屋に夕方訪れた時に、何度も肉ジャガだのおでんだのをおすそわけしてもらっている.
そんな時に僕が遠慮しようとすると、このひとが
「貧乏なんだから気にしないでもらっていきなさいよ!」
などといって、さらに大盛りにしてくれるのだ.
一度奥に引っ込んだかと思うと、鍋を持って戻ってきた.
「はいカレー.ゴハンも必要だったら遠慮なくいえよ〜」
うまそうなので受け取ってしまった鍋を眺めて、一瞬だけ目的を忘れかけたが、なんとか自分を取り戻した.
「オバサンたち、いつもあんなに喧嘩してるんですか?」
鍋から目を上げて、上目使いで彼女にそう切り出してみた.
すると彼女は、?マークでも見えそうな表情で首を傾げた.
「ウチの母さんはもう寝てるけど、喧嘩?」
ありゃ?まさかこの酒屋さんじゃなかったか?でもここ以外には考えられないし、、、、
「いや、あのすごい奇声って、、、違います?」
「あ!!浪人くんはまだ知らなかったんだっけ!?」
彼女が大声を上げると、オバサンが玄関まで出てきた.
「何を夜中に騒いでんだか、、、あれ?どうしたの?」
「お母さん、この子ったら鈴木さんのこと知らないよ.」
この子、、、子供扱いにも程があるだろうに.
「それじゃ夜中うるさかったろう.予備の耳センが、、、」
娘さんが片手で制した.
「お母さん、自分で行ってみないとダメだって.」
自分で行く?一体、どこへ?
いわれた通り、僕は駐車場用の道路に来ていた.
ここにしばらくの間いれば、喧嘩のもとがわかるらしい.
僕は、ラップのかかったカレーの鍋を抱えて立っていた.
「モキェェェェェェェェ!!!」
その声はなんと、下から聞こえてきた.
物凄い大声で、僕の全身を突き抜けたかと思うと、夜の空で拡散して四方に散らばっていったように感じられた.
ヴィ〜ンと振動しているマンホール.ひょっとしてこの下で誰かが暮らしているのだろうか?僕は試しにノックした.
「はい?」
出てきたのは、なんとも奇妙な生き物だった.
巨大なバッタにくちびるを無理矢理取り付けて、耳のかわりにバッファローの角でも生やしたかのような風貌.
手のひらが普通の人間と同じなのがとても気持ち悪い.
僕が腰を抜かして座り込むと、奥からもう一匹あらわれた.
「あなた、この方はだあれ?」
「わからん.キミ、大丈夫か?」
化け物が僕に触れようとする.まずい、殺される!
「こっ、このカレーをやるッ!僕を食わないでくれ〜!」
半ベソをかきながら叫ぶと、隣にある酒屋の2階の窓から大きな笑い声が響いてきた.
「たっ、食べるって、、あんた想像力たくましいわね〜」
僕はさっきの化け物の家に招き入れられて、居間で酒屋の娘さんと一緒に化け物と向かい合っている.
「はぁ、21世紀に向けての体験留学ですか、、、」
男の化け物、というのは失礼だが、とにかく男のほうが僕に色々と話してくれた