「だれが水を発見したのかは知らないけれど、
魚でないことだけは確かだ.」
わたしがその音色をはじめて聴いたのは、3ヶ月前のことでした.
そのときの驚きって、言葉で伝わるものじゃないと思います.
だってわたしは、耳が聴こえないんですもの.
もちろん、喋ることもできません.
とにかく、音には縁のないわたしに、不思議な音楽が聴こえてきたんです.
空耳ってことはないから、音のするほうに向かって歩きました.
太陽が照りつけて、髪の毛に火がつきそうなくらい暑かったけれど、全然気にならなかった.
そして見つけたんです、小さな「何か」を.
フクロウに唇がついて両手がニュッてはえたみたいな、とっても奇妙な生き物が、蜃気楼が舞い上がりそうなアスファルトの地面を裸足でこすっていたんです!
「あなたは誰!?」
喋るなんて、憶えてないくらい昔以来.
でも、思わず口をついた、ってやつでしょうか.
きっと、声にはなってなかったと思います.
するとその不思議な生き物は、動きをやめて振り返りました.
『無理はしなくていいよ、キミ.』
頭の奥に響いたみたいだったけど、それでもわたしは耳が聴こえるようになったんだと思いました.
その途端に、
『違う、キミはヒトの聴く音とは別の世界にいるのさ.』
わたしは何が何だかわからなくなりました.
『まずは、僕と話そう.ねぇ、いつもと別の頭を使ってご覧よ、もっとこう、、、』
生き物が両手で輪をつくってクリクリと回りはじめたものですから、
『クスクス』
って、わたしは笑ったんです.
でも、いつもどおり声はださないで笑ったつもりだったんですけど.
『そう、そんな感じだよ、できるじゃないか.』
『え?』
生き物はパチパチと手を叩いて笑ったんです.
『むこうに日陰があるんだ、そこで話そう.』
小さな公園で、わたしたちはおしゃべりをしました.
最初は返事をするくらいだったけど、そのうちコツがつかめてきてからは、色々な気持ちが伝えられるようになったんです.
その生き物には名前がなかったから、わたしは「ブリギッテ」って名付けました.
ブリギッテは聞き上手で、わたしはいろんなことを彼に話しました.
怖い話をすると、彼は手足を真っ青にして、
『それで、それでどうしたんだ!?』
って私の足の指を叩きます.
失恋の話をすると、両手で顔を覆って泣きました.
そして夕方になったら、
『夜になったから帰らなくては!!』
って大急ぎで走りだしたから、
『ねえ、またお話したいんだけど!』
彼は背を向けたまま、地面に足をこすりつけてタップダンスを踊るみたいにしたんです.はじめに聴いたあの音色が、わたしの頭のなかでクルクルまわってはじけました.
『これで呼ぶさ、キミ.』
とだけいって、ヒョコヒョコ走っていってしまいました.
それからわたしたちは、毎日のように会いました.
彼は自分でも様々なことを話してくれたし、もちろんわたしの話をたくさん聞いてくれました.
ふたりとも喋るのに疲れると、彼は音楽を聴かせてくれるんです.
夏の日差しを浴びながら、木陰で涼みながら、蛇口から水をキラキラと噴き出させながら、わたしは音につつまれる幸せを味わったんです.
ある日、わたしがこんなことを言いました.
『いままでが、まるで間違った世界に住んでいたみたいだわ.』
ブリギッテは急に、真剣な表情で黙りこくったんです.
大きな目をグリグリさせて、突然どこかへ走っていくので、わたしは後を追いかけます.
彼は小さいから、走る速度はたいしたことはないんです.
でも、わたしがあまり急ぐと、彼をふんづけてしまうかもしれません.
自然と、わたしは彼の背中だけを見ていて、まわりの景色がどんどん変わっていくのに気がつかなかったみたいです.彼がクルリと振り返った時、わたしは見たこともない奇妙な場所に足を踏み入れてしまっていました.
『君はむこうの世界の住人ではないのかもしれない.』
ブリギッテは真剣な表情でいいました.
あたりには、彼にそっくりな生き物が音楽を奏でていたり、キリンと人間を合わせたような生き物が何か楽器を鳴らしていたり、薔薇に口がついたような花がひたすらに喋っていたり、、、.
『キミさえよければ、ここで僕らと、、、』
わたしは頭を抱えて叫びました.
「わたしを馬鹿にしないで!わたしは人間よ!?あなたたちみたいな化け物とは違うわ!」
声にならない声で、わたしは叫んだんです.
そして、顔をてのひらで覆ったまま、もと来た道を全力で走って戻ったんです.
何か頭の奥で響いたような気もしたけれど、走りました.
ただ、ひたすらに.
汗だくで気がつくと、公園に帰ってきていました.
それから一ヶ月が過ぎた頃でした.
頭のどこかに、あのメロディーが聴こえてきたんです.
必死で音のする場所を探したけれど、ブリギッテは見つけられませんでした.
だけど、コンクリの歩道に二つ、小さな足あとがついていたんです.
彼が足で音楽を奏でる時の、独特の足あと.
わたしにあの音色を聞かせて、見つかる前に大急ぎで隠れてしまうんでしょうか.
今度、逃げる前に彼をつかまえなくてはなりません.
彼をキュッとつかまえて、
『この前はごめんね.』
といわなければなりません.
だから私は、毎日、聴こえない耳をすましているんです.
byセヴンス
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