その10
「創作ノート」その8とその9に対して、それぞれメールを頂戴した。
むーくんから、その9の内容が散漫だという指摘を受けた。まさにその通り。
結局ノートなんだから、と開き直るのはよそう。
大体平均して、一章につき20K〜24Kのスペースを割いている。いつの間にか勝手にそういうリズムができてしまっていた。その9は、話せばまだまだ長くなりそうだった。きっと読む方もこれ以上長くなると疲れるのではないか、と勝手に想像する。
そこで最後の方は大分、話を端折った。
語り切れない部分は次章にまわそうと思った。これはいつものテだ。ただ、前章では幾分やりすぎがあったかもしれない。
そして。
最近になって徐々に『ベンジャミン』の全体像がはっきりしてきた。書き始めたとき、もう随分長い間寝かせた構想だから全体が見えていると思った。ところが、一章分だけの推敲を重ね、浄書して発表するやり方が、なんとなくしっくりこなくなった。特に次に発表予定だった「誘蛾灯」の浄書を終えて、強く感じた。そこで、発表を控えることにした。
次の「導火線」に取り掛かると、今度はこれが実に快調に進む。すらすら書ける。というのも、見えていない部分はわざと飛ばした。はっきり見える部分を丹念に書くと、不思議なことに見えていない部分や、なぜ今まで書かなかったのかわからなっかたエピソードが見えてきた。
そして。
今書いている部分が将来、どこの伏線になるとか、どういう風に利用できるかまでが見えてきた。
ここから先は前章で書いた。
そう。段々『ベンジャミン』に集中してきた。
不思議なことに、他の書くものがどんどん散漫になっていく。特にこのノートが甚だしい。多分『ベンジャミン』に直接書くことを、ノートに書かなくなったからだろう。
以前、むーくんから面白い指摘を受けた。僕の作品の書き方は、まるで一本の丸太を鑿でガンガン叩いて、中から掘り出すようだと。
すると、このノートは彫った木屑になる。屑で皆さんのお目汚しをするのはいささか心苦しいが、結局そんなところだと思う。
作品が、どんどん細かいところまで見えてきたら、つまり細工が細かくなってきたら、木屑も小さくばらばらになっていく。
今後、どんどん散漫に、脈絡のないことを書くかも知れない。或いは、大分前に途中まで書いたことを、突然思い出したように書くかも知れない。
しんどくなったら、いつでも読むのをやめていただいても構わない。というより、皆さんが勝手に読むのをやめるだろう。
今後、こういう感じでノートを進める。
内容の脈絡に見切りを付けたのだから、長さも好き勝手にしよう。一つの章に飽きたら次の章にまわせば良いし、書きたかったら読み易さを気にせず好きなだけ書こう。
結局ノートなんだから。
若い書き手からその8の感想をもらった。彼にも引用許可を求めたが、まだその件に関しては何も返事をもらっていない。だからどこまで内容を書いたら良いのか判断がつかない。
彼は僕にとって一つの理想と思われる環境で、一つの理想と思える青春を送っている。僕にはできなかった、なれなかった生き方をしている。まるで、僕がネガフィルムだとしたら、彼は現像された写真のように思える。
彼と僕との共通点と言えば、背が高いこと、恥ずかしくなるくらい色が白いこと、友達が少ないことくらいか。
そして、物を書くこと。
その彼が、僕と同じ病に苦しんでいる。僕が、なりたいようになれなかったが故に抱え込んだ病を、生きたいように生きられなかったが故に取付かれた病を、彼も背負っている。
混乱した。
前回書いた「たとえ僕の手から文学を奪われたとしても、その人がいる限り生きていけると思える存在との危機的状況」は今でも変りない。
若い書き手からメールをもらったとき、丁度この問題で足掻き疲れていたときだった。ようやく、文学と手を切れると甘い幻想を抱いていた心の隙を突くように、危機的状況が訪れた。
彼のメールを読む限り、彼は本当は、小説など書きたくないのではないかと思った。しかし、本気で小説に取り組まざるを得ないところまで、心が追詰められているのだとも思った。そうじゃなければ、何も小説など書く必要はない。彼のホームページに載せている、イタズラ書き程度のお稽古事、小説の猿真似を書いて遊んでいれば良い。
彼が、本気を出そうとしている。
もう出しているのかも知れない。本気で小説に取り組み、書きたいことが描き切れないでもがいているかも知れない。
まだ言う。僕は、できることなら小説など書きたくない。小説を書く必要のない、安穏な生活を送りたい。そういう、平和で穏やかな人間になりたかった。なれるのなら今すぐにでもなりたい。
一刻も早く、文学と縁を切りたい。文学と縁を切っても、生き続ける理由が欲しい。
こういう状況が重なったあるとき、妹の家に遊びに行った。途中から、むーくん夫妻もいらした。良い機会だと思い、若い書き手の話をした。
前章でこんなことを書いた。「『僕はね。生まれてから今までに、こんなお話を聞いたんだよ』餓えた子ども、じき死に行く子どもが一瞬でも目を輝かせてこう語れる作品」が書きたいと。妹の家でむーくんに、別便のメールで若い書き手に、僕は別の言い方をした。
「僕の書いたものが、どこの誰かわからない人の眼に留まって、その人に何かが伝わってくれればそれで良い。結果的にそうなるのが理想で、何かが伝えられると思える作品を描きたい」
ここから先、おかしくなってしまった。多分、薩摩焼酎が僕の脳を狂わせたか正常に戻したかしたのだろう。
若い書き手はいずれ、僕を越えてとんでもない作品を書くだろう。そのとき、僕が描きたいと思っているような、僕の思いが籠っているような作品だったら僕は筆を折る。
僕はこうほざいた。
夜中の三時頃までこんなことばかり言って、ごねて、疲れて寝てしまった。
フローリングの床にゴロッとぶっ倒れたまま放って置かれた僕の様子を見て、義弟は妹に「蒲団に寝かせてあげたら」と声を掛けてくれたらしい。
そのときの妹の返事。
「酔っ払いは暖っためるとゲロ吐くから。そうやって冷たいところに放っておくのが一番なの」
翌日、仕事が休みだということで僕はむーくんを長い間、妹の家に引き止めた。朝までむーくん夫妻は妹の家にいた。むーくん夫妻にも、とんでもないことをしたと後で頭を抱えてしまった。
僕が酔いつぶれてフローリングの床にゴロゴロしている間、むーくん夫妻は妹夫婦と「クラッシュバンビグー」で遊んでいた。
僕が引き止めたのではなく、むーくんは最初から、朝まで妹の家で遊ぶつもりでいらしたらしい。これは後で妹から聞いた話だ。
つまりは、僕が苦しもうとごねようと筆を折ろうと、最初から関係なかった。
更に、僕が倒れると、むーくんはこう言い放ったらしい。
「霧小舎は心が弱いから。都合が悪くなるとこうやってねちゃうんだから」
むーくんを師匠に選んで、本当に良かった。
ところで、僕が「筆を折る」と言ったこと。それは僕が生きている理由を一つなくすことだ。「その人がいる限り生きていけると思える存在」が僕の傍からいなくなって、筆を折るとどうなるか。生きている必要はなくなる。
そのときは、酔っ払って訳がわからなくなっていたとはいえ、本気でそう思った。
自殺は考えないが、自然死でも事故死でも、いつでも襲ってきてくれて構わなかった。少し、両親の悲しむ顔が見えた。
まさに師匠と弟子の両方から、大切なメッセージをいくつももらっている。
弟子?
色々考えて、頭で考えてではなく体全体で感じてみて、もし件の若い書き手がまだ僕のことを師匠と思っているのなら、僕は彼を弟子と呼ぼう。
もし僕が弟子に追い越されて、しかも僕が描きたかったテーマ、内容で数段優れた作品を発表されたとて、僕は筆を折らない。約束しよう。
従って「これが僕の作品だ」と胸を張って言える作品が残せるまで、何があっても生き延びたい。生きていたい。
あまりにも「誘蛾灯」の出来が悪かったので「導火線」では思う通りのことを、物語が心に語りかけて来るそのままを好きなように書いてやろうと思った。事実、そうした。
最初、「好きなように書く」という感覚が掴めなくてとまどった。だんだんこれがわかってくると、不思議な感覚が身体の中で蠢いた。いわく言い難いこの感覚は、確かにどこかで見た覚えがある。帰宅して山本おさむ『聖』第二巻を開いた。
主人公の聖は、幼い頃ネフローゼを病んで入退院を繰り返した。運動も食事も厳しく制限され、一人前の生活ができなくなった。一緒に入院していた仲間の将棋の相手をさせられているうちに、どんどん将棋にのめり込んで行った。彼に将棋の相手をさせた仲間が、彼にどんなに形勢が悪くても必ず生きる道、逆転する可能性があることを伝えて死んで行った。
聖はそれから、どんどん将棋にのめり込み、中国こども名人戦に出場する。準々決勝で「将棋は純粋な論理、偶然の入り込む余地はない」と語る相手に絶体絶命のピンチに追い込まれる。どうみても聖の負け、という局面まで追い込まれる。
しかし、彼は「生きる道」を懸命に探した。純粋な論理、すなわち読みとはどこから生まれて来るのか、読みの前に何か感じるものがあるのではないか、今の局面には確かに何かあると感じる。そこで奇跡のような一手を見付けた。死にかけていた彼の将棋が、その一手で甦った。彼は「生きる道」のあることを教え死んで行った仲間に語りかける。
あったよ…/生きる道があった!!
僕は駒になって/ベッドから下り、
病院を抜け出し、/走る!!
誰よりも速く、/軽やかに/走る!!
病気になってから/僕は初めて…
全速力で/思いきり/駆けている。
汗が吹き出し、心臓が高鳴り/体中を血が駆けめぐる。
素足が/草を踏む、/大地を蹴る!!
僕は生きて、今/将棋を指している!!
僕は、走った。STAEDLER社製の0.3mm芯の製図用シャープペンシルを片手に、僕を取り巻く、考えることすら雁字搦めにされる周囲から抜け出し、下書き用のレポート用紙の上を誰よりも速く走った。顔を隠すようになってから、僕は初めて、全速力で、思いきり駆けた。汗が吹き出し、心臓が高鳴った。体中を血が駆けめぐった。
僕は生きている。
僕は生きている。
好きなように書く。こんな簡単なことすらできなくなっていた。
どれほど難しいか。
いいからやってご覧。
或いは日記をご覧になった方もいらしたかも知れない。そう、誕生日以来「生きている」という実感を失っていた。誕生日を迎えるしばらく前に、僕は生きていることを思い出した。それは何年振りのことだろう。もう思い出せない。
僕を苦しめる病のせいで、脈拍が異常に速くなって死ぬかと思った直後でも、生きている実感は得られなかったのに。
あのとき、発作が納まると、只、死ななかった、としか思わなかった。
他人を信じることで、僕は生きている実感を得た。信じるに値する触れ合いがあった。他人と触れあうことを、心のどこかで怖がっていた僕の心を大きく開いてくれた人がいる。
多分、僕は他人ばかりでなく、自分さえも信じていないのだろう。だから好きなように書くことが憚られるのだろう。それが自身のなさになり、他人、すなわち読者の評判ばかり気にして、踏み込みが悪くなったのだろう。
今でも書くのが恐い。好きなように書いて、批判されるのが恐い。怖がっているのは今の僕ではない。今の僕は、どなたかからご批判頂いた通り、むしろ露悪趣味があるくらいで、批判をもらうのを面白がっている。単なる強がりかも知れないが、無視されるより面白いと思っている。
批判を怖がっているのは、僕の心に棲む子どもの頃の僕だ。
前章で、どんな小説が書きたいか朧げながらイメージを掲げた。むーくんからこんな非難を頂戴した。
僕の理想とする小説と、現在書いている小説とでは差が大きすぎる。僕が今書いている小説は個人的体験がベースで、僕が理想とするほど深いところまで到達できるか、というのが大まかな主旨だった。
僕には答が二つある。一つは、すでにむーくんに返事を出した。
すなわち、個人的体験がベースになるものすらまともに書けなくて、どうして普遍的な深みを表現できるか。また、個人的体験を敷衍させることだって可能だろう。個人的体験から深いところを掘り下げて行くことも、力さえあればできるのではないか。
ひょっとしたらまだ僕の手に余すような作業であっても。
もう一つ。
僕は『ベンジャミン』で、僕の心に棲む子どもの僕と折り合いを付けようとしている。僕の心に棲む子どもの僕が見て知って憎んでいる社会の、ある一部分を暴くことを手伝ってやることで、社会の別の部分もあることに眼を向けてもらうよう、少なくとも僕の邪魔をしないでもらえるよう、話し合って行くための作品でもある。
少しずつ、僕の心に棲む子どもの僕が心を開いてくれてきている。
「たとえ僕の手から文学を奪われたとしても、その人がいる限り生きていけると思える存在」が僕の心を開いてくれたように。
本当の小説を書くために、どうしても欠かせない作業なのだ。
先の若い書き手が酒を用いるように、僕は睡眠薬がなければ眠れない。疲れれば疲れるほど、眠れない。眠れない恐さをご存知だろうか。疲れても眠れない。眠らないと疲れがとれないと思うと眠れない。眠れないことがプレッシャーになって眠れない。眠ることに一所懸命になって、眠ることを忘れて、眠れない。
むーくんに、妹に、ごねて困らせたその頃、睡眠薬を用いてまで得ようとする睡眠が、恐かった。毎晩必ず、夢を見た。夢が不眠より恐かった。
どうしても夢に出てきて欲しくない人が出てくる。夢でも逢えると、涙が出るほど嬉しい。或いは、本当に嬉し涙を流した晩があったかもしれない。翌朝、眼が開かないほど目やにがたまっていた。
夢から醒めると、実際には逢えないという現実が待っている。毎朝、目が覚めると夢と現実の開きの大きさに、それだけで動けなくなるほど驚かされる。それでも動いて、いつものように暮さなければならない。
無論、逢えない現実の世界で。
実際、睡眠薬をわざと飲まないで一睡もしない晩も、何度か過した。身体はきつくても、まだこっちの方が楽だと思った。また、寝ずに考えなければいられないようなこともあった。どうしても思い出せない僕の言動を思い出すのに一晩中唸って、結局思い出せなかった。
丸馬鹿。
先の若い書き手も、毎晩夢にうなされるらしい。なぜ、そんなことを、このノートの感想に書く必要があったか。SOSを発したのか。
彼はそれほど愚かではない。多分、僕が一方的に思い込んでいる、かくあらまほしき過去が「隣の芝生」であることを警告したのだろう。
彼はそれ程、弱い人間ではない。彼のホームページで見せている、たとえそれが強がりでも、そのままを保ちきれる人間だろう。そうでなければ僕は才能を感じない。これほどまでに彼のことが気に懸からない。
ここから先に書くことは信じてもらわなくても構わない。僕以外、信じる必要はない。信じると他人に話せば、きっとおかしな眼で見られるから、もし信じたとしても口外はしない方が良い。
僕には変な趣味がある。珍しいCDを見掛けるとどうしても手に入れたくて我慢できない。
割とオーソドックスなところでは「ヒゲのテーマ」や「ラジオ体操」がある。
ややマニアックになると「ジンギスカン・ベスト」やサントリーのTVCFで使われたBGMを十数年掛りで探し求めた「マーク・ゴールデンバーグ・ベスト」がある。
ヘンリー川原という人の、脳波を直接操作するという特殊な音楽がある。性交中や薬物を使用した状態、或いは臨死体験の脳波を作るという音楽だ。一度、臨死体験のCDを聴きながら寝たことがある。心なしか、死んだようにぐっすり眠れた。
催眠誘導のCDも持っている。桜井ゆみというセラピストが、CDから語りかけて催眠療法の疑似体験をするというものだ。そのうち二枚は、催眠状態の意識で前世まで退行して、そのときの体験を思い出すというものだった。
僕は前世、大道芸人だった。パリのどこかの広場で、パントマイムを得意とした、なかなかの売れっ子だった。風船を膨らまし、自分で膨らませた風船に押されて噴水池に落ちる、というストーリーのパントマイムで好評を得た。
また別の前世では、アラブで行商人をやっていた。行商と言うよりも、法螺話で客を喜ばせ、賞品を買ってもらう、妙な行商人だった。
ヨーロッパで、尼僧や科学者だったこともあった。西アフリカで彫金師だったこともあった。金を加工してその地方独特の意味を持つ紋様を刻み付けていた。かなりの腕前だったようだ。
ほら、信じないでしょ。でもこれだけで終らない。
他に、惑星探査機のボイジャーが木星付近を通過したときの宇宙の音というのがある。どうやらこれには精神鎮静効果が認められるらしい。これを聴きながら、床に就いた。何度目だったろうか、あるとき、うとうとした。もうすぐ眠れる、丁度、一番気持よいあの瞬間に、不思議な声を聴いた。
「お前は伝えるために何度も生まれ変る」
はっとして眼が醒めた。不思議な声だった。身体中に響く、とてつもない声だった。そのとき、家の中にいたのは両親だけだった。二人とも、すやすやと気持良さそうに寝息を立てていた。
ああ、僕は今生で、小説を書き続けるんだな。そのとき、はっきりそう感じた。
だから信じなくたって構わないって。
桜井ゆみというセラピストの催眠誘導CDには「バック・トゥ・ザ・フューチャー」と題する、僕の知る限りではかなり実際の臨床現場での治療に近いものもある。すなわち、過去に退行して現在の行動傾向に影響を与えている記憶をたぐり寄せ、その記憶に対する評価を変えようとする試みである。
僕はこの誘導で、子どもの頃の僕と会った。途中で「子どものあなたを抱きしめてあげて下さい」という誘導が入る。僕にはできなかった。子どもの僕は、ガリガリに痩せて、三白眼の上目遣いで僕を睨みつけ、だらしのない服装だった。
今の僕は、痩せていない。むしろ、年齢による体重増加が目立ち始めてきた。しかし、本当に子どもの頃は風が吹くと飛ばされるくらい痩せていた。三白眼の上目遣いは、滅多になくなった。身長が180cmもあれば、滅多に上目遣いできるものではない。だらしのない服装。これは。どうも。今でも変っていない。
子どもの僕は、僕を睨みつけていた。眼を合わせないで、睨みつけていた。今でも目を合わせないで人を睨む癖は、抜けていない。間違いなく、僕だった。
僕は、子どもの頃の僕を抱けなかった。恐かった。
ただこれだけのことなのだが。
先の若い書き手が、まだ僕を師匠と思っているのなら、弟子にすることに決めた。多分、むーくんの背中を見て、思春期から大人の入口を抜けたから、僕も誰かに同じことをしなければ、と思ったのだろう。何故かははっきりわからないが、弟子を持つのもよかろうと思った。むーくんとは違って甚だ頼りなく無責任な師匠ではあるが。 疲れたのでまた、次回。
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