陽が沈んでも香は見付からなかった。

僚はムシャクシャした気分のまま、アパートに戻った。
(ばからしい。バレンタインなんてどーだっていいだろ?俺らしくもない)
そうは思っても気分は悪いまま。
(いったいいつからそんな男になっちまったんだろーな)
自嘲気味に口の端に笑みを浮かべ、玄関を開けた。
その音に気が付いたんだろう、香がキッチンから顔を出す。
「あ、僚おかえり…」
目が合った。
香は何かをいいたそうに俺を見ていたが、俺は気づかない振りをして少し目を伏せた。
どうでもいいと思っていたバレンタインが、香の顔を見たとたん、また自分をそこに引き戻す。
「あ、あんたにしては早いお帰りじゃない?」
「…あぁ」
そのまま香の横を通り過ぎリビングに入った。
「僚っ、あ、あけ、今朝、ベッドサイドに…」
ソファーに足を投げ出し、香を見ないままタバコに火をつけた。
「あ、喰った」
「喰った…って。あんたそれしか言うことないわけ?」
「サンキュー」
「…って全然、心がこもっていないのね」
「お前だってこもってないくせに」
「…え」
「お前の小せぇチョコだよっ!!心なんてこもっちゃいねーんだろっ!!」
吸いかけのタバコを灰皿を押しつけると香に言い放った。
香はリビングのドア前で僚の顔をジッと見つめていた。
その大きな目は涙で潤んで、一粒水分を落とした。
「バカッ!!!」
香はつけていたエプロンを外すと僚に投げつけ、自室に消えていった。
(バカだと?!泣きたいのはこっちだっての)
僚は顔に掛かった香のエプロンを乱暴にとるとそのまま夜の街に出ていった。

大声出したのは悪ぃと思うけどよ。
バレンタインの夜の新宿はいつもよりカップルが目に付く。
ショーウィンドウのディスプレーもやたらハートやピンクが飛び交っている。
僚はいつもの店に行く気にもならず、一見の店や路地をふらふらと目的もなくただ漂っていた。
(あのチョコだって不味くは無かったけどよ)
僚は薄暗い街灯に寄りかかり、最後のタバコを取り出した。
「毎度。リカーショップ栄です」
この通りにはバーや飲み屋の裏口ばかりがならんでいる。
肩にビールケースを担いだ男が目に付く。ジーンズの後ろポケットからピンクのリボンが覗いている。
(香ちゃん、酒屋のオヤジさんにも渡すっていってたよ)
その言葉を思い出し、酒屋の姿をじっと見てしまった。
(ま、香のやったもんじゃないだろーけどよ)
店の裏口が開き、バーテンがでてくる。
やりとりが終わったのだろう、バーテンがふとこちらに目を向けた。
俺に気づいたのか、静かに軽く礼をした。俺は何か言いたげなバーテンの目をみつけ
のっそりとそちらに近づいた。

「…よぉ」
もう一度バーテンが頭をさげる。その様子に酒屋のオヤジも目で挨拶を向けた。

「何…を、なさっているのですか?こんな日に」
「何って、飲み歩いてるのさ、恋人たちの夜だろ?」
「香さんとお過ごしにはならないのですか…」
「はん、なんであんな男女と過ごさなくちゃならんのだ」
「香さんは、二人で過ごしたいとお思いでしたよ」

バーテンの表情に何かを感じた僚は、その先を促した。
バーテンは僚のその表情を見て、ふと酒屋のオヤジの顔をみた。
オヤジは「ん」と何かを考えたあと思いついたかのようにポケットに入っていた袋をとりだした。
情報屋のオヤジと同じモノだった。
(香のクッキーをなんでこいつが?)
「そうそう、香ちゃんね。俺にまで持ってきてくれてよー、うれしくってずっとポケットに
入れてたよ。お礼なんていいのにね〜」
「香さんが僚さんのツケを支払いにみえたときに、おっしゃっていたんですよ。もうすぐバレンタイン
なんだけどー僚は甘いモノが苦手だから、チョコじゃなくて何かないかしら…と、
それでお酒はいかがですか?と丁度その時も注文に来ていたこちらの栄さんにアドバイス頂いたんですよ」
「香ちゃん、一生懸命だったから。あんたさんと晩酌しあうのもいいかもね。なんてな、和田さん」
「えぇ、他にも何か考えていたようでしたから。ですので今夜はお二人で仲良く過ごされているのかと思っていたのですよ」
バーテンと酒屋のオヤジは二人して笑みを浮かべ俺をみている。
香の泣き顔と泣き声が聞こえてくるようだった。居心地が悪くなり、二人に軽く手を上げその場を後にした。
その背中に「香さんによろしくおつたえください」とバーテンの笑い声が聞こえた。

真っ暗なアパートのドアを開ける。
あのまま香は部屋で寝入ってしまったのだろうか…
キッチンの戸を開ける。
テーブルの上には手の込んだ料理がそのまま並んでいた。テーブルも綺麗にディスプレーされて
キャンドルまで用意されている。
(まるで恋人たちのディナーだな)
冷えたチキンを一口つまんだ…何よりも美味かった。
いつも香の座っている隣の席には包装されたウィスキーが置いたままになっていた。
ーホワイトマッカイ21年ーずい分奮発したじゃねーか、香のやつ。
そのボトルを片手で持ち上げると2つのグラスを取り出す。
冷凍庫の扉を開けた時、俺は…香の笑顔を見たいと、今すぐ見たいと思った。

こんっ
「香…起きてるか」
「入るぞ」
香は電気も点けないでベッドの上で膝を抱えていた。顔だけを俺に向ける。
「…綺麗なお姉さんたちに心のこもったチョコ、もらってたんじゃないの?」
その言葉は聞き流し、テーブルの上にウィスキーとグラスを置く。
軽くひねりキャップを開け、ウィスキーを注ぐ。芳香が部屋に拡がった。
「それ…」
「おまぁも飲むか?」
ふるふると首を横に振る。
僚は笑いながら香の横に座り、香にグラスを渡す。
「飲めって。あったまるぞ、手冷えただろ」
「え…」
香は顔をあげ、僚を見上げた。僚はその肩に片手を回し、抱き寄せた。
僚は香を抱き寄せたまま、自分のグラスを手を伸ばして取って、香の目の前でそのグラスを揺らした。

グラス一杯のハート型に削られた大きな氷がウィスキーに彩られて

 からん

と鳴った。


僚が一口、飲んだ。
「まったく、こんなめんどーな事して怪我しちゃイカンだろーが」
グラスを持ったままの香の手を取った。
「僚?」
香が僚を見つめたまま、首をかしげる。
「美味かったよ、気持ちがイイカンジにまざって、すげー美味かった」
そのまま、香のバンドエイドの巻かれた指に口づけた。

終わり。

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