Valentine-day

香がパタパタと階段を上ってくる。
いつもと違ってそぉっと俺の部屋のとびらを開ける。
(…なんだ?)
ブラインドはまだ閉まっていて、隙間から零れてくる陽の光だけではあまり時間が読めない。
それにしてもいつもだったらもうハンマーがお見舞いされてもイイ頃だろう。
抜き足差し足で俺のベッドに近づく。
(お、香ちゃんからのお誘いか?)
アリもしないことを想像し、心の中で苦笑いを浮かべる。
僚は香の不審な行動の原因が分からないので、狸寝入りを決め込んだ。
目の前がベッドと言うところに香が進んだ時に、僚は大げさに香に背中を向けるように
寝返りを打った。
香は目に見えて(見えてないけど)びくっと体を固まらせた。
そっとベッドの脇に手をついて僚の顔をのぞき込む。
香の短い髪が僚の頬を撫でる。
(おいおい、勘弁してくれよ…、ホントにお誘いか?)
「ぐへへへぇ〜、冴子〜、一発〜」
香の香りでにやけたのを誤魔化すために、寝言を言ってみせる。

がこんっ

ミニハンマーが脳天に炸裂した。
(いってーっ!!起きていいのかよ、俺がっ!!)
香はミニハンマーを落としたあと、焦って俺の顔をもう一回のぞき込んだ。
俺が起きていないと分かると、ほっとため息をつき、ベッドサイドに何かを置いて
そのままブラインドも開けずに出ていった。

香の足音が遠のいたのを感じ、僚はゆっくりと上体を起こした。
ベッドサイドに香の置いていった物を手に取る。
ダークグリーンの包装紙に銀色の細いリボンが掛かっている、小さいギフトボックスだった。
そこでやっと僚は今日が何の日か気が付いた。
ベッドに腰掛け、タバコに火をつけながらリボンに指を引っかけ、それをはずす。
包装紙も自分とは思えないほど丁寧にはがし、出てきた物は綺麗に収まった3粒のトリュフだった。
ほのかに洋酒の匂いがする。
一粒つまんで口に放りこんだ。カカオの苦みが利いていて美味い。
美味いけどよ、ちょっと冷たくないかい?香くん。
毎年毎年チョコを渡してくれるが、いつも照れてちゃんと貰えたことはない。
そんな香が可愛いと思う自分がいるんだから仕方ねーと思いながらも、寝てる間に済まされたら
その照れた顔がみられないじゃねーか。つまらん。
ちょっとからかってやろうと、部屋下にのそのそと降りていった。

「やっほー、美っ樹ちゃーーん。リョウちゃんがきっましったよー」
いつもの様におなじみのセリフと共にこれまた馴染みの喫茶店に入っていく。
リビングに香は居なかった。
伝言板を見に行ったのであろうが、なんだか気にくわない僚はそのまま、冷えたコーヒーを一杯
一気に飲み込むと、いつもの様に街に出てきたのだ。
美人店主に飛びつく前に無口な巨人の頭突きに遭った。
「痛ってーな、このむっつりタコめ。なにすんだっ!!」
海坊主は何事も無かったかのように皿を拭いている。
「もう、ファルコンたら…もっと懲らしめてくれればいいのに」
「ちょっと美樹ちゃん、そりゃないんじゃない?」
美人店主はいつものようにコーヒーを用意し、僚の前に差し出す。
ふと、カウンターの一段上、すこし避けたところに小さな丸いチョコレートケーキが載っているのが見えた。
「なんだ美樹ちゃん、こんなモノがなくっても僚ちゃんは君のもんだよ〜☆」
そのケーキを引き寄せつつ美樹に話しかけると後頭部に衝撃を感じた。
ガゴンっ。
海坊主の放ったトレイが僚に直撃をしている。
「だめよ、冴羽さん、それはファルコンのなんだから」
「はん、美樹ちゃんもマメだね〜、こんなタコの為にこんな美味そうなケーキ焼いたりして」
「え、違うわよ。これは香さんからファルコンに。冴羽さん、貰ってない…の?」
「へっ…?」
(香が…海坊主に?どういうこった、俺のはアレで…)
平静を装おうとコーヒーを一口啜った。
「ミックにも同じモノを渡していたぞ、ホントにマメなヤツだ、香は…」
ぶっぅぅぅぅぅーーーーっ!!
(ミックにもやっただとーーーーーっ!?)
「も、もう冴羽さん、なんなのよー」
美樹がフキンを差し出してカウンターを拭いている、ぼうっとしてる僚の頭に海坊主がタオルを投げた。
「お前も拭け。汚れたら迷惑だ」
「本当どうしたの?あ、もしかしたら、冴羽さん貰ってないんじゃないのー」
美樹はニコニコしながら香の作ったケーキを両手で持ちながら僚の目の前に見せつけるように
差し出して、僚の意識がそちらに向くとサッと隠した。
「な、なに言ってんの美樹ちゃん。も、ももも貰ったって。もらった、うん、そう…」
「ほぉぉ、さすがに香にも愛想をつかされたらしいな〜。ま自業自得だがな」
「貰ったっていってるだろーーーーがーーーーー」
美樹と海坊主はカウンターの中で含み笑いをしながら香のケーキを切り分けている。
(くっそ、気分わりぃ)
「…ナンパいってこよ」
ドアのカウベルに紛れて美樹ちゃんの『気を落とさないでねー』という笑い声が聞こえた。


(くっそ、むしゃくしゃする…)
俺には既製品のちっちゃいチョコレートで、海坊主やミックには手作りのチョコレートケーキだと?!
ふっざけんな。
僚は大股で風を切りながら、新宿の街を歩いていた。それこそ街中を威嚇するかのように。
銀行の前でこの寒空のなか靴磨きをしている、馴染みの情報屋に靴を差し出す。
「…らっしゃい」
オヤジはぼそっと一言漏らすと黙々と僚の靴を磨く。
(んっ?)
いつもと違う、何か違和感を感じ、オヤジの様子を見る。
オヤジの腰掛けの脇…ピンクのリボンが見えた。
黒や灰色、薄汚れた白に混じったそれはとても目を惹いた。
「オヤジ…どうしたんだい?それ」
アゴで指す。すぐに心得たようにいつもの無表情から変わってにやりと笑みを見せる。
「香ちゃんがさっききてね。こんなおやじにもバレンタインのお裾分けだってよ」
情報屋がそれをとって僚に見せる。
可愛いセロファンに包まれたチョコレートクッキーだ。
「まったく、うれしいじゃねーかよ。もう、なんてイイ娘なんだろうね、香ちゃん」
僚はタバコを抜き出し、一本口にくわえる。
(まぁ、あいつらしいっちゃ、あいつらしいが…)
「ふ〜〜ん」
「ま、僚ちゃんはもっといいの貰ってるんだろうけどよ」
そのまま僚は火のついていないタバコを指先で折った。
「そうそう、香ちゃんなら酒屋のオヤジさんにも渡すって言ってたよ…」
僚はそれを聞くとまだ片靴の汚れが残っているのも気にしないかのように、料金箱に折り曲げた
札と火のつけていない折れたタバコを投げ入れると、酒屋の方に歩いて言った。

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