恋逢話8

 

店から飛び出した柵原は、大通りにでるとすぐにタクシーに乗り込んだ。
タクシーのドアが閉まる寸前、香は腕を差し込む。

「香さんっ!?」

さすがに追いつかれるとは思わなかったのだろう、柵原が驚いた顔をしつつ、香が乗ろうとしているドアを手で押さえた。香はそのまま、シートに滑り込む。

「どこに行くかわからないけど、あたしも連れていってください」

香は呼吸を整えながら、柵原に言う。香の決心を受けたのか、それよりも気がかりなことがあるのか、柵原はそのまま何も言わず、シートに身体を埋めた。
目を瞑って、寝ている様に見える。

けれど腹の上で固く手は結ばれていた。

道路は空いている。ひとまずやることの無くなった香もようやく力を抜いてシートにもたれた。

柵原の店で、偶然…清美の告白を聞いてしまった。

その時の柵原の表情を香は思い出す。最初は平然と、そして呆然に変わり…不安と、怒り。
柵原の手を声が震えていたの香はとてもよく覚えていた。

ここ何日かの仕事を見ても、柵原と清美のお互いの信頼はとても強固なものに感じた。
だからこそ一緒にいた香も、清美の告白にはびっくりしたのだ。

今でも香は清美を信じていた。清美の告白は真実であろうと、清美を信じている。

(どこ行くんだろう…)

町中から郊外に出て行っている。
薄汚れたフェンスと、高速道路の高架。回りを走る車も大型トラックが多い。

「海岸通り…埠頭…よねぇ…」

香の小さなつぶやきに柵原が目を瞑ったまま答える。

「会わなくちゃ、いけないですから。ヤツには」
「え?」
「このままじゃ納得できない」
「あ」
香はポケットから佐伯の名刺を探し出した。

『 品川区海岸本町xx-xx xxビル   佐伯 孝ーTakahi Saeki』

「こんな倉庫街にオフィスなんてあったんですね」
「バブルの時代の残骸ですよ。外見ばかりカッコつけたデザイン事務所とか…そんなんが結構あるらしいですね」

そのまま、柵原はまた無言になった。
香はそんな柵原を見ていた。勢いで付いてきてしまったけれど、どうしよう。そんな想いが香にため息をつかせるのだった。

「はぁ…」

どうしようもなく、流れていく風景をただ見つめていた。タクシーが止まった。


タクシーを降りた香は柵原の後を追うように、倉庫に入っていく。がらんとした倉庫の奥のドアを開ける。

「柵原さん、ここなんですか?佐伯さんの事務所って…」
「えぇ。ここが事務所って聞いたときは「何引きこもってるんだよ」って思ったんですけど、盗作するやつにはお似合いですよね」
「柵原さんっ、何言ってるんですか」

「何って…ねぇ」柵原は笑うでもなく、つぶやいた。

その声に香は柵原の怒りを感じた。
そのままシンプルな螺旋階段を上がっていく。登りきったところにある、「佐伯孝事務所」のドアを乱暴に開けた。

ぐるりと椅子を回して、佐伯が立ち上がった。

「これはこれは柵原先生。どうしたんですか?こんな場所に。槇村さんとデートですか?」

佐伯は、まるで香と柵原が来るのを予測していたかのように、余裕だった。

そんな佐伯の視線を柵原ははずさず見つめる。佐伯の前まで、近づいた。
「清美から盗んだもの、返して貰おうか?」

柵原が机をたたく、その音が響く。一瞬だけ、佐伯は驚いた表情を見せる。
しかしすぐに、いつのも撮影現場であった時の表情にもどった。

「清美から?借りてたものなんてあったっけなぁ」
「借りてたじゃない『盗んだ』ものだ」

佐伯は口端で少し笑みを浮かべると、机の上にあった紙コップのコーヒーを呷って飲んだ。ごくりと喉を通る音が聞こえるようだった。
「盗んだモノ?ますます分からないですね。なんのこーー」
「しらばっくれるのもいい加減にしてもらおうか?清美が全部告白したんだよ。俺の作品をお前に流したってな」

抑えた声で、佐伯の言葉を柵原は遮った。
佐伯が柵原を睨む。そして大声で笑い出した。

「なーんだ、もうバレっちまったのかよー。あー、俺としてはもうちょっと稼がせてもらいたかったんだけど」
「お前っ。何やったか分かってそんなこと言ってるのかっ?!」

柵原は佐伯のジャケットを掴み上げる。
うるさそうに佐伯はその手をはがした。

「清美が勝手に見せたんだぜ?俺はないも言ってない。あんたの作品だなんてしらなかったよ」
「今さら何言ってるのよ」
佐伯が香を見る。

「俺の店で働けない。っていうのは脅迫だろ」
「どうなるか…って言っただけだよ。あんたの店から清美を追い出す権利も力も俺には無いからな」

愉しげに、佐伯は笑った。
その声を止めるかのように、柵原はまた机を叩く。

「いいから返せよ。お前が清美から盗んだもん、全部ココに出せっ」
佐伯はタバコに火を付け、柵原を見る。

柵原の言葉が聞こえなかったかのように、ゆっくり煙を吐き出す。
「お前が盗んだもんは全部ココに入ってるんだ」

そういって柵原は自分の頭を指先で叩く。

「今ファイルを出さなかったら、すぐに全部それを商品化して発表してやる。全部なんて誰にも間に合う訳がない。俺がつくるしかないからな。そうなったら…お前の戦利品は結局全部パーさ」

佐伯はその言葉に諦めたように、机のキャビネットから厚いファイルを出した。
そして乱暴にそれを机に投げる。
ファイルはバラバラに部屋中に散らばった。

「もうね、信じられないくらいあんたの作品は売れたよ。どおってことない、あんなケーキが持ち込むだけで高値でね。自分でやっててバカらしいと思ったさ」
近くに落ちたファイルをつまんで、それをまた投げる。

「こんな…ケーキなんてな」
「何言ってるのよ。そんなこと言う権利、あんたにはないわ」

黙って見守っていた香も、佐伯のあまりのいいっぷりに口を挟んだ。

佐伯は香を一瞥すると、近づいて顎を掴んだ。

「おいっ、離せっ」
「綺麗な顔で、柵原に近づいて。なんにも無いのに秘書気取り。イイ身分だね、あんた」 
「何言って…」

佐伯はキスが出来るくらいに香に顔を近づける。
香は思わず目を瞑って顔を背けようとする。

鼻先が当たるぐらい近づいて、香を睨み付けると、佐伯は顎を離した。

「一回作品が載った時点で、あんたは清美を疑った。そうだろ?だってアイツが一番近いところにいるんだもんな」
「疑ってない」
「どうだか。清美はすぐに俺の所にきたぜ。あんだけあんたに尽くしてる清美の行動に気づかないなんて、どうかしてる。清美は俺に作品を流しても、普通に仕事をしてたのか?そんなわけないだろっ」
「清美は良くやってー」
「清美の変化に気づかないなら、あんたは黙認してたのと同じなんだ。あんたに清美を断罪する権利なんてない」

佐伯はまた柵原を睨み付ける。

柵原は拳を握り、睨み返した。

「佐伯さん…」「好き勝手にパリと日本と行き来して。スケジュールも気にしないで好きな仕事受けてな。
 清美の気もしらないで、気に入った好みの女がいたら気楽に手をだしてー」

一瞬、佐伯は香を見た。


佐伯は棚に走りよると洋酒の瓶をそのまま、散らかったファイルの上に投げつけた。
強いアルコール臭に香は顔をしかめる。

柵原もいぶかしげな顔で佐伯の行動をみていた。
佐伯は次々と瓶を投げつける。

そしてアルコールで床一面がびしゃびしゃになった。

「佐伯…おまえ…?」
「煩わしいことは全部清美に任せていたあんたに、清美を責める資格なんてありゃしないんだよっ」

佐伯は吸っていたタバコと、火を灯したライターを、ファイルの上のアルコールの海に…投げつけた。
  
香の目の前に、オレンジの炎がゆれた。 
揺らめく視界に佐伯が笑っているのが見えた。

「香さんっ」

近くで柵原の声がする。熱くて目をしっかりと開けることができない。

「大丈夫ですか、柵原さん」
「だ、大丈夫です、香さんは」
「とりあえず、ここから逃げないとっ」

パチパチと物の焼ける音が聞こえる。炎は勢いを増しているようだ。
顔や手に当たる空気が熱くて、おかしくなりそうだ。

柵原がうなずいたのを見ると二人で出入り口に向かう。
香はドアをけ飛ばすと、柵原を先に降ろした。

螺旋階段も熱をもっていて、迂闊に手を触れると火傷をするだろう。
火の勢いは収まらない。香は焦った…佐伯がいない。

逃げていた様子が見られない。
そして最後、火を落とす。あの前の表情はー後悔だった。

香は柵原が螺旋階段を下りたのを見届けると、そこからまた階段を上り事務所に戻った。
「香さんっ、何を」

柵原は自分のすぐ後ろにいると思った香が、そこにいないどころか階段をまた上がっていることに驚いた。

「柵原さん、消防に連絡して下さい、あと僚にもっ」
「香さんっ」
「佐伯さんをつれて戻りますっ。だから早くっ」

香は何かを取るかのように身を乗り出して、柵原に言うと事務所にむかった。
香の後ろ姿を見ながら、柵原は倉庫を飛び出した。

 

+++

 

僚は車の中で、眉をひそめた。
少し開いた窓から、何かの燃えている匂いと熱い空気を感じる。

「…どうしたんですか?」
僚の表情に何かを感じたのか、清美が声をかける。

「イヤ。急ごうか」
僚はアクセルを踏み込んだ。

清美は手をぐっと握りしめ、窓の外を見つめている。

 

+++


柵原はポケットから携帯を取り出すと、急いで消防署に連絡しようとする。

自分の後ろではまだ火の燃える音と、何より感じたことのない熱風がびりびりと感じる。

そんな中に飛び込んだ香を思うとますます焦った。上手く運ばない指先を無理矢理ボタンに集中させる。(…1…あぁ1……きゅきゅ9…)
電話の向こう、呼び出しがもどかしい。

『はいっ。××消防署です。どうしましたか』
通じた電話に焦りながらも柵原は住所を告げる。

「人が、人が中に居るんです。すぐ、すぐ来てくださいっ」

通話を切ったかどうか分からない。手が汗でぐっしょりとなっていた。それでも柵原は次に僚に連絡を取ろうとまたボタンを押そうとした。

「先生っ」ふと、空白だった柵原の耳に聞き慣れた声が届いた。

目の前に止まった赤い車。

そこから清美が走ってくる。
「先生っ、大丈夫ですかっ」
「き、清美…?」
「香はどうしたっ!?」

清美のすぐ後を僚が走り寄る。

「えっ」
「しっかりしろっ。香だっ、一緒だったんだろっ」
「あ…佐伯を連れ戻すって…」

言葉尻は建物の燃える音に消させるほど小さかった。

言葉と一緒に視線を佐伯の燃えさかる事務所に向ける。その言葉に僚は苦虫をかみつぶしたような表情を一瞬浮かべた。
「バカにもほどがある。…消防にはっ」

「あ、電話します」清美が携帯を取り出す。
「で、電話は…しました…」

やっとやっとで声を出す。僚は少し安心したようだ。

「冴羽さん…」

柵原は僚を見る。

「安心しろ。俺よりアイツが先に死ぬ。なんてシナリオは無いんだ」
そのまま僚は倉庫の敷地のすみにある、一見なんだかわからない、埃のかぶった消防栓に向かってパイソンを向けた。
火を目の前にしても冷静さは変わらないようだ。

2発の弾は正確に蓋を外し、衝撃をそれに与えた。
ぎぃ、ぎっと鈍い音がして消防栓が動き出す。

3人の目の前に大きな噴水が吹き出した。

柵原と清美は思わずそれを見上げる。

僚は身体いっぱいにその古い水を浴びると事務所に駆けていく。

「冴羽さんっ」
柵原が焦って声を掛けた時には、僚はもう煙の中に消えていた。

 

遠くに消防車のサイレンが聞こえてきた。

 

 

続く