恋逢話7


 
「もう、いいだろう。清美ちゃん」
清美は僚を見据えた。

「なんのことですか?」
他の店員は店舗か厨房にいる。今この事務所にいるのは、僚と清美だけだった。
香と柵原は夕方過ぎまで帰らないだろう。

「柵原アキの創作アイデアを洩らしていたのは君だろ」

「……」

「まさか腹心の弟子に、盗まれてるなんてあいつも思ってなかっただろうな」

「…言いがかりはよしてください、冴羽さん」

果敢な清美の言い方に、僚は少し微笑んだ。

「言いがかりなわけあるか。それは君が一番良く知っているだろう?柵原の対応は聞いてる。温情があるぜ、吐いちまいなよ」
「……」清美は唇をぎゅっとかみ締めている。

「ここ数日だけでも君が柵原のことを慕っているのは見て取れた。あいつだって君を信頼している。なのに?理由がわからん」
「…じゃあ、私じゃないんじゃないですか?冴羽さんの言うとおり、私は先生を慕っている。先生の作るお菓子が大好きです」

少し震えた声色に、僚は気づかない振りをする。
清美はぎこちない笑顔を見せた。

「そんな私が、なんで先生の作品を盗まなくちゃいけないんですか。ありえません」
「俺もそう思う。けどね、証拠があるんだよ。清美ちゃん」

清美は笑おうとして、固まった。
「しょ…う、こ?」

僚はポケットから一枚写真を取り出し、見せた。
「これ…」

「柵原のスケッチブックのアップ。これだけじゃあなんでもない写真だ、でもここに写っている手、この指にある傷」清美の息を呑む音が聞こえる。
その顔を見つめながら、僚はもう一枚、写真を取り出す。それは雑誌の切り抜きのようだった。

「佐伯の記事だ、写真のここ、指が見えるな」
先にだされた写真と同じ位置に、太い袈裟懸けのような刃傷。

「そして」
最後に出したのは、清美と佐伯が一緒に喫茶店にいたとき、尾行した香が撮ったものだった。
「わかっただろう。だから素直に吐き出しちまいな。悪いようにはしないから」

清美は視線をせわしなく動かしながら、逡巡していた。
そして諦めたかのように、中央のソファに腰を投げ下ろした。笑ったかの様に息を吐き、僚を見上げる。「香さんや…先生には?」

「あっちも何やかやと忙しそうだからな」
そういって笑った。つられたように、清美も声をたて、そして

「…先生を困らすつもりなんてなかったんです」

 

始まった告白を僚は柵原の机に寄りかかりながら腕を組み、目を瞑って聞いていた。

「佐伯の指の傷はパリにいたときに作ったものです」
清美は普段のように冷静に戻っていた。

「佐伯は、アキ先生にまけないくらい優秀でした。期待もされていたと思います。だけど彼はお菓子作り以外にも興味のあるものが多いかったんです。毎晩のように夜の街に遊びにでてました」
清美が苦笑いを浮かべた。

「君は止めなかったのか?」

「止めるも止めないも…。最初は私も付いていってたんです。楽しかったし、佐伯と一緒に居たかったから。でも私は遊んでも、学校がこなせるほど器用じゃなかったんです。
佐伯は遊んだ次の日でも完璧に課題がこなせたけれど、私の成績はすぐに悪くなりました。だから私は止めたんです。だけど佐伯をそれに付き合わせるのは違うでしょ。あの人も言っても聞くとは思えませんけど」
清美はちらりと僚の方を見る。

「佐伯の卒業の…2ヶ月位前だったと思います。もう寝ようかと思っていた所に佐伯がやってきたんです」
僚は手で話を促す。

「怪我をしていて…酒場でケンカをしたらしいんです。ボロボロになって家にきました」
「理由は?」
「特にないんだと思います。生意気に映るかもしれないし、佐伯から絡んだのかもしれません」
「ボロボロ?」
「えぇ、顔は腫れてるし、唇は切れてるから話しも出来ないし…足とかも打撲やなんかで」
「そりゃぁ…」
「一人対大勢だったようです。おもしろ半分でケンカをふっかけたんだと、あとからその場に居た知人に聞きました。入院するほどでは無かったんですけど、一週間は安静にしてなくちゃいけないし。
足の骨はヒビが入っていて…そして、手にはナイフの切り傷が…」
僚が片眉を上げる。

「この…写真の指以外にも傷があるんです。手の内側や、親指の下の方にも。夢中になって避けるのが精一杯で、勢いで掴んだりしてしまったようです。
学校の卒業試験は数種類のお菓子の制作です。幸い2ヶ月ありましたし、それまでも学校にはさぼらず出席していたので、卒業は心配ないと…」
僚はその話を聞いて少し笑った。「柵原はさぼりまくってたらしいな」

清美も微笑んだ。

「えぇ、そうみたいですね。それでも学校で言い伝えられるほど優秀でもあったんです」
「学校の卒業制作は順位が付くんです。だからってよっぽど悪くないと落第ってことはないんですけど。一位になればそのあと就職先も紹介してくれて。みんなそれを狙っていたと思います」

清美は話しながら、本棚の前に立つ。
「もちろん佐伯も狙ってました。佐伯の実家は…老舗和菓子屋なんです。でも佐伯はパリの生活が気に入っていたようで、なるべく長くあっちに居たいと言ってました。そのためにも一位をとって、
働く口実を掴みたいと考えていたようです。そして佐伯の卒業制作の結果は…怪我をしていたとは思えない出来でした」

そういってアルバムを開いた。

「あんまりうまく写せなかったんだけど…」数枚のポラロイド写真だ。
「佐伯の卒業制作を写したんです」
僚に写真を差し出す。

「良くできてるんじゃないのか?」
「私もそう思いました。留学の集大成のような作品だと。でもー」
「でも?」

「結果は三位でした。それでも立派なものですけど…」
清美の声が沈んだ。
「なんだ?」

「指の感覚が戻らない、と。繊細な模様が描けない、作れない。佐伯は卒業制作の結果を聞いたとたん、自分の作品を叩きつけました。一位ではなかったけれど佐伯も優秀でしたし、
 望めば向こうで就職 することも可能だったんです。ですけどそこから佐伯は学校にも夜遊びにも出てこなくなりました。アパートに行っても会ってくれないし。そのドアの前にはアルコールの空瓶がたくさん転がっていました」

清美はそのころの事を思い出したのだろう、少し辛そうに目を伏せる。

「そして佐伯はお菓子作りを止めました。私が留学期間を終えて日本にもどってくるときも、彼は向こうでぷらぷらしてました」
僚はまだ会ったことの無い、佐伯を考えていた。

香にいわせると「少し嫌な感じ」だそうだ。

清美と会っていた写真を見ても、同じ菓子職人とは思えないほど柵原と雰囲気が違う。

「日本に帰ってきてると連絡が会ったときはびっくりしました。だけど嬉しかったんです。あんな生活が良いとは思えなかったし、彼の実家でも彼の腕は生かせるとおもったので」
でも今、佐伯はそのような職人仕事はしていない…それは

「日本に帰ってきて会った時、私は柵原先生の所で働き始めたところでした。先生の下で働けていろいろ覚えたり作ったり、本当に毎日充実していました。本当は会う時間も
 とれないくらいだったんですけど、それでも活躍してる自分を、誰かに見て貰いたいっていう気持ちも私にもあったのかもしれません。仕事帰りに佐伯と会いましたー」
だんだん清美の声が小さくなる。僚がふと、窓外を見た。

「その時、私は浮かれて先生の…先生のスケッチを…管理しろって言われていたスケッチを何気なく、
何の意識をしないで佐伯に乞われるまま見せてしまったんです…」


ぽすっとソファに腰を降ろした。

「その事の大きさに気づいたのはそれから2ヶ月くらい経ったときだと思います。雑誌にその時の先生の作品とそっくりなものが、先生じゃないひとの制作で…」
「柵原は?」
「先生はその時パリに戻っていました。丁度パリで活動の場を広げてる時期だったので日本に居ることが少なかったんです。…私はその雑誌をみてすぐに佐伯に会いにいきました。
 どう考えても佐伯しか居ないと思ってましたから」

「どうして、そのあとも佐伯に流してたんだ?」

「佐伯は簡単に事実を認めました。私は激しく佐伯を責めました」そうしたら…

『俺は今はパティシエでもなんでもない。だからってスケッチを簡単に見せるなんて清美だって仕事を舐めてるんじゃないのか?』
佐伯は悪びれず、笑ってる。
『なっ?』
『すごい作品だったよ、あれ。人気が出るはずだよな、柵原アキ。俺とは全然違う』
『あなた…家業継いでるんじゃないの?』
佐伯は両てのひらをバカにしたように清美の前でひらひらさせた。
『使い物にならないってよ?ま、俺も和菓子なんか興味ないんだけど…』
『孝…』
『そんな顔するなよ。…でもま、同情ついでに』急に佐伯の顔がまじめになる。
『これからも柵原アキの作品、宜しくたのむぜ、清美』
『で、できるわけないでしょ。何考えてるのよ』
『ふん。こいつ俺達とおなじ学校なんだよな。だからお前もあの店に入れたんだよなぁ』
『なに…?』
『さすがに横流しばれたらお前もやばいんじゃないの』

先生の先生じゃない作品の載った雑誌を目の前に差しだし、今までに見たことのない顔で、佐伯は笑いました。

「サイアクだな」
「すみません…」
僚は清美に言ったわけではない。
イチイチそれを説明はしないが、ひどく肩を落としている清美は哀しいと思った。

そして
「いつまでも立ち聞きってのは良くないんじゃないの?」
清美の肩越しに、僚はドアに声を掛けた。

「え?」

清美は急いで顔を上げ、ドアを見る。

小さくドアが開いた。そこには青い顔をした柵原と、寄り添うように香が立っている。

「せ、せんせ…」
「うそだろ?清美が俺の作品を…」
「先生、ごめんなさい、聞っ」
「俺がどんな気持ちで考えてきたのか、お前が知らないとっー」

あまりの事に声がつまる。
そのイライラを少しでも解消するかのように、柵原が拳をドアにたたきつけた。

柵原が僚と香を交互にみる。

「清美と二人で話しをさせてください」
「柵原さん…」

「あぁ、わかった」
僚はそのままドアを出て行き、香は気ぜわしげに柵原と清美の顔を交互にみると、僚を追いかけるように足早に出て行き、ドアを閉めた。

 


「なんか、あったか?」
僚と香は店の外の通用口の近くにいた。僚はタバコを取り出し、咥える。

「え。どうして?」
「柵原の雰囲気が、硬かった。清美の話を聞いたショックもあるとは思うが…」

香は少し目を見開く。告白を断ったのだ。多少なりともショックでないことはないだろう。でもそれは僚には関係ない。
「別になにもなかったわ。…あ、そうだ現場で佐伯さんに会ったけど、あの時点じゃぁ」

今の出来事にすっかり忘れていたが、香はポケットから名刺を取り出し、僚に見せる。

「もうあんたは知ってたみたいだけど。清美さんと会ってた人だったの、彼」
「柵原さんが言ってた。あんたに清美さんと彼氏の話したって。清美さんの彼氏が佐伯孝って人だって」「あぁ、まぁな」
僚は別になんとも思っていないように、タバコの煙を吐き出す。

「まぁな。じゃないわよ。それにガードに入る前だって意味深なこと言ってたし」
「意味深?」

「知ってたんでしょ「写真の人物がわかるかもしれない」なんて言っちゃって。け、結局あたしは僚の手のひらの上で転がされてるのよね。だからガードさせたのよね。
プラスにもマイナスにもならないし。あぁ僚のナンパを邪魔しないだけ、プラスなのかしらっ」
「お前、何言ってんだっ…」

香は瞳を滲ませながら、僚を見つめていた。

言葉を失った僚の手にあるタバコの灰が長くなる。ジリジリと燃える音も聞こえるような、二人の沈黙だった。強い風にタバコの灰があおられ、ぷわぁっと煙が舞う。

そのかすかな煙は緩やかに舞い、僚と香、お互いを霞めさせた。

 

一瞬見えなくなった香に、思わず僚は手を伸ばしかけた。


その煙を蹴散らすように、店の通用口のドアが勢いよく開いた。

「柵原さんっ」
柵原はちらりと香をみて、でも足は止めずそのまま走っていく。香は思わず追いかけた。

僚はそんな二人を見送ると、事務所に戻った。事務所では清美が立ち尽くしていた。

「清美ちゃん」
僚が声を掛けると清美は顔をあげる。

「行きましょう、冴羽さん」

「あ?」
「先生の後を追いかけましょう」

僚が腰をあげるのを待っていられないというように、清美は部屋を飛び出そうとする。
「ちょっと待て。追いかけるってどこ行くかわかってるのか?」

香にはいつも通り発信器はついている。だから追うことはわけもない。

けれど、僚はあえてそれは清美に伝えていなかった。

「先生がこのままで黙ってるなんて思えません。なにかしら言いにいくはずですから…」
「あぁ、そうか。分かった車を出そう」

清美は笑顔でうなずくと、駆け足で二人は部屋をでていった。
 

 

続く