恋逢話 6

 

「お疲れ様です。柵原さん」
撮影スタジオの隅で、撮影の終わった柵原を香が迎える。

「すみません、香さん。こんなところまでつき合わせてしまって」

結局、香は柵原のガードにつくことになった。
あの後、僚はいつのもように飲みに出ていった。もちろん納得のいく説明もないままだ。
だけれど、仕事をないがしろにするわけにもいかない。

朝まで帰ってこない、冷たい主を待つベッドに悔し紛れの100トンハンマーを落として出てきた。
朝から何箇所ものスタジオを回っている。

「いいえ。清美さんも忙しそうですし、ちょうどいいんです。ぞろぞろついているよりもこの方が目立たないですから」
「でもこんなマネージャーのようなことをさせてしまって…」
香はその柵原の言葉に微笑んだ。

「大変ですね。お菓子作り以外にもいろいろやることがあって」「でも今日はこれで終わりですから、ケーキ作りにもどれます。冴羽さんは店にいるんですよね?」
「だと思うんですけど…ねぇ」

香がいないのをいいことに、清美やほかの従業員に手を出している僚の姿がポンポンと頭に浮かび
思わず苦い声をだしてしまった。

「どうしたんですか?」
「い、いいえ。じゃあ戻りー」

連れ立ってスタジオから控え室に戻ろうとしたときに、声がかかった。

「ヤ・ナ・ハ・ラせんせ。おつかれさまですー」
振り向くと、明るい色のジャケットを着た男が、親しげに柵原に近づいてくるところだった。

香は思わず声を上げようとして、堪えた。
「どうも。佐伯くん。君も来てたのか」
柵原は愉し気に返事を返している。

「いやー、スィートな仕事のある所なら、もうどこにでも馳せ参じてますよ。それに今日は大人気の『柵原アキ』の撮影ですよ。何をおいても出てきますって」
そこまで言ってから、佐伯は香をちらりとみた。目礼を返す。
「センセ、いつの間に清美はクビになったんですか?」
笑いながら佐伯は柵原に問う。

「なに言ってるんだよ。江藤さんには店を任せてるさ。紹介するよ」
柵原に促された香はちゃんと頭を下げた。

「槇村香と申します」
「かお、いや槇村さんにはマネージャー的なことをやってもらうことにしたんだ。江藤さんのスケジュール管理でも十分なんだけどさ、店のやつらに、忙しい時期に江藤さん連れまわすなって言われちゃってさー」

佐伯は胸ポケットから名刺入れを取り出すと、香に名刺を差し出した。

「佐伯孝といいます。デザートのプロデュース業などやってー。なんていってもコバンザメみたいに美味しい業界に居座ってるんですけどね」
そういって笑った。

「すみません。まだ名刺ができていなくて…頂戴いたします」
そういって香は佐伯から名刺を受け取る。
手が震えないようにするのが大変だった。

「え。槇村さんは柵原先生の前にはこういうお仕事はしてなかったんですか?」
「あ…」

痛いところをつかれてしまった。いまさら、本業ではないといっても怪しまれるだけだ。

(どうしよう…)香が戸惑いつつ説明しようとした、その前に

「友人の紹介なんだ。前の会社を辞めて、もうちょっと休むっていうから手伝いに来てもらったんだよ。
こっちもこの時期だけでよかったし、ちょうどいいと思って」

そんな柵原の言葉を聞いているのかいないのか、佐伯は香を頭からつま先までみていた。
そしてしたり顔でうなずく。

「あぁ。なんだ隠さないでくださいよ、センセ。先生の彼女でしょ?見ましたよ、雑誌。ちゅーって、ねぇ」「なっ、そんなんじゃありませんっ」
そんな香の反論は耳にも入っていないらしい。

「清美がグチってましたよ。先生が女の子に夢中になってるってね」
柵原は苦笑いを浮かべている。
「まぁ、江藤くんにはいろいろ迷惑かけてるからな言われてもしょうがないか。俺が槇村さんに惹かれてるのも事実だし」

柵原は香に笑顔を向けた。
「柵原さん…、つ次の仕事がありますよ」

香は顔を赤くしながらも、二人の会話を聞き流すことにしたようだ。
「あぁ、そうだね」

柵原と佐伯はお互いに軽く手を上げて、別れた。
佐伯はスタジオを出ていく、香と柵原の後ろ姿を腕を組んで眺めていた。

「余裕ありやがる」
少し笑ったように見えた。


 
+++


 
「冴羽さん…」
店の事務所に僚と清美は居た。

「ん?」
僚は特に何をするでもなく、お菓子の雑誌をパラパラとめくっていた。

「なんで先生の方にあなたがついていかないんですか?」
「男のケツをついて回る趣味はないもんでね」
「そんな!だって報酬受け取るんですよね?だったらちゃんと働いてください」

清美は憤慨したように、僚を見つめて言う。
「いやだなー。ちゃんと働いてるって。そもそも俺は盗作の犯人を見つけるだけで、あいつのガードってわけじゃない」
その言葉で清美は不満気に僚を見上げた。

「そんなこと言って。なにが目的なんですか?」
「あん?なにって何」
僚は少し楽しそうな感じを滲ませながら清美に問う。

清美は不満気なまま、ぼそっと言った。

「先生と…香さんを一緒に行動させるなんてー。香さんは冴羽さんの彼女なんでしょ。なのになんで」
「俺と香はそんなんじゃないよ。それに仮にそうだとしても今あいつに香が付いてるのは仕事だからだ」「でもっ…。仕事だっていっても香さんは先生に何かあった時に
ちゃんと対処できるんですか?冴羽さんが付いてた方が確実なんじゃないんですか?」

僚は立ち上がり、清美に近づいた。

「アイツが狙われてるわけじゃない。分からないか?」
だって盗作は…」
「アイツに直接の危害は一度もないはずだ」
「じゃぁ、冴羽さんはなんでここに残ってるんですかっ!」

清美の声が大きくなる。彼女はいつもの冷静さを無くしかけていた。僚は清美をソファに座らせ、前に回り囲いこんだ。そして清美の目を見て、にやりと微笑んだ。
「清美ちゃん。何を考えてるんだ?」
「え…?」

笑顔とは裏腹に、僚の声は冷ややかだった。


+++ 

 

タクシーを捕まえると香と柵原は乗り込んだ。

「柵原さん、今の佐伯さんて…」
「あぁ。そう彼ですよ、前に言ってた」
「え?」
香は柵原に聞きたいことがあった。

それに柵原が答えた。しかも質問をする前に…不思議そうな香の表情に柵原の表情も変わった。

「あれ、冴羽さんから聞いませんか?この前話したんですけど…、清美の彼氏なんですよ、佐伯くん」「え、彼氏?」
驚いた香だったが初日に柵原が言っていたことを思い出した。

「あれって佐伯さんのことだったんですかぁ…」
「えぇ。その後にも冴羽さんと清美の彼氏の話をしたことがあって。その時には佐伯さんの名前がでたんですけどね」
「顔と名前が一致しなくて…」

香は僚から話は聞いていなかった。それを柵原にいう気にはなれなかった。 

(信頼されてないのかな)−どうどうめぐりの思考が復活する。 

しかし最初に確認したかったのはそれではない。
清美がこっそりと会っていた、その人物と佐伯が同一人物だった。重要なネタだと思っていた。だから確認しようとした。なのに彼氏だなんて…こっそり会ったとしても全然おかしくないだろう。

僚は知っていたのか?いろいろな思いが香を飲み込んでいた。

香のそんな気持ちを知るわけも無く、柵原は香と一緒にいられて嬉しそうだった。その証拠に、いつもは嫌がるという専門誌以外のインタビューもそつなくこなしていた。

「香さん、今日の外での仕事はさっきので終わりですよね?」
「え、ええ。そうです。お店に戻っていいんですよね?」

固まった表情のまま、それでも不審に思われないように笑顔で香は応えた。
「じゃあ、ちょっと寄り道していきませんか?」
「え」

自分を見上げた香に、柵原は微笑んだ。
「マネージャーとして使ってしまったお詫びです」
「そんなお詫びだなんて…これは仕事の一環ですから気にしないでください。それより早く戻らないと清美さんたちが心配しますよ?」
「少しくらい平気ですよ。せっかく香さんと二人きりなのに、忙しすぎてゆっくり話もできなかった」
「な、なに言ってるんですか、柵原さん。そんな場合じゃないでしょう」

香と仕事以上に親しくなれなかったことは柵原にとってかなり悔しかったらしい。
香の注意は無視し、柵原はふと遠くを見つめた。

そして何かを決意したように、香に向き直り口を開いた。
「香さん。前にも言いましたけれど、改めて言います。僕はあなたのことが好きです。僕と付き合ってください」
「あ…えっと」

柵原の告白に、香は思考が回らなかった。

「考える時間はかなりあったと思います。僕はこれからも香さんと一緒にいたい」
「まだ会ったばっかり…ですよ」
声はどうしても自信なさげに揺れる。
そんな香を気にしないで柵原はつづけた。

「一目惚れって言葉もあります。そんな簡単な気持ちではありませんけどね」
「でも…」

追い立てるように柵原は言葉を続ける。そんな柵原に香は口も挟めず、ただただ聞くしかできなかった。
「それとも、やっぱり香さんと冴羽さんは付き合ってるんですか」

今までとはうって変わって、自信のない声で柵原がつぶやいた。

「え…ない、ないです。それとこれとは…違います」

柵原と同じくらい自信のない声で、香は答えた。

ー僚と付き合ってるわけがない。一緒に住んでるのも便宜上だけだ。あたしの気まぐれで出ていった

としても僚は止めないだろうし、あいつが出て行くと決めたのなら、きっとあたしは足跡すら追えないだろうーそんな関係で付き合ってるなんて…口が裂けても言えない、思えない。
自嘲ぎみに笑った。

「だったら香さん、やっぱり僕と付き合ってみてください。お試しでもなんでもいいですから」
なりふりかまわない柳原の告白に、香は顔を伏せ、首を横に振り続けた。

「あたしと僚は、確かにそういう関係ではありません。だ、だけどあたしは好きであそこにいるんです。あ、あたしは…っ」
呼吸を整えるように一息つく。 

「あたしは、僚が好きなんです」
小さい、硬い、それでもしっかりとした口調で香は言った。「香さん…」
香のしっかりとした拒絶に、柵原は少なからず同様した。

「な、なんでですか?どこがいいんですか。店に来たって清美や他の店員にちょっかいかけてばっかりだし、仕事だって、さっきの佐伯くんの報告もしてないんでしょ。そのくせ…」
たまっていたものを吐き出すように、柵原の言葉は止まらなかった。

彼女が自分の気持ちを受け入れてくれないと、自分が「最低だ」と非難した男を好きだという。
そんな混乱が彼に言ってはいけないことを言わせた。

「あの人の仕事は時に人をこっ、傷つけることもあるっ。あなたはそれを判っているんですかっ」
柵原は興奮をしていた。

それでも運転手のことを気がついて、とっさに言葉を変換したようだった。
一気に言い放つと、香の顔を見た。香はずっと柵原の顔を見ていたらしかった。

目が合った香の表情は、悲しそうなつらそうな、だけれど次の瞬間は穏やかになっていた。
「香さん…」

こわばった声で呼びかけた柵原に、香は向き直ると笑顔をむけ、言い含めるように言った。

「えぇ。否定はできません。それを見ない振りをしているあたしは呆れられてもしょうがないし、何より分かってあそこにいるあたしも同罪です。だけど、あたしはそれでも自分の意思であいつの所に居たいんです」

 

もう柵原には何も言うことができなかった。
「……すいませんでした」

香は小さく首を横に振った。

 

 

続く