恋逢話5

 

手の甲、人差し指の第2間接で軽くその扉を叩き、返事を待たずして、ドアに手をかけた。

「あれ。今日はお帰りになったんじゃないんですか?」
「ちょっと聞きたいことができてな」

僚はそのまま部屋に入った。柵原は自分のデスクに座っている。

「どうぞ。ちょうどいい、僕もあなたにお聞きしたいことがあります」
僚は片眉を少しひそめた。

「先に冴羽さんの用件をー」

僚は何か言いたげだったが、本棚の前に歩みを進め、数冊の雑誌を取り出した。そして、それを広げると、柵原のデスクに広げた。

「これとこれ。そしてこっちが盗作の疑いがあるやつだよな」
「えぇ」
「この中の7件のうち、5件にプロデューサーとして「佐伯 孝」という奴の名が載っているんだが知ってるか」
「えぇ、佐伯さんは俺がこっちに戻ってきてから、いろいろお世話になってる人で…」
「この業界に「プロデュース」なんて必要なのか?」
「まぁ、きっかけ作りというか…今はどんな業界にでもいるんじゃないんですか。それに佐伯さんは、昔なじみで清美の彼氏ですから…」
「清美ちゃんの…彼氏?」
僚が眉を上げたのに、柵原は気づかなかった。

「えぇ。俺は向こうの学校が一緒だったんです。清美も確かそっちで会ったんだと思いますけど」
「なんでコイツは作る方をやらないで、プロデュースなんてやってるんだ」
柵原は少し首をかしげた。

「そういえば…なんででしょうね。ただ俺が日本に戻ってきた時はもうそれで活躍してましたよ?」
「清美ちゃんはどうしてここに?」
「パリにいたときの恩師の紹介です。日本に優秀な教え子がいるから、戻るならば会ってみてはどうかと」
「清美ちゃんはパリで修行はしなかったんだな」
「えぇ、学校だけだったようです」
「いつからいるんだ?」

さすがに柵原は不審に思ったようだ。

「なんで清美の事ばかり尋ねるんですか?」
「そりゃー…。興味があったからさ♪」
「冴羽さん…」かなり呆れた口調だ。

その言葉にも僚は口端で笑っただけだった。

「で、そっちの用件ってのはなんだ?」
少し柵原は身構えた。

それでも僚をしっかり見据える。目が合った僚のほうが、すこし戸惑ったくらいだ。
その目の強さに、僚は柵原の言いたい事が分かった。

「香さんと、あなたはどんな関係なんですか?」
「しっつこいねぇ、柵原クンも…」
「この前の時は答えを聞けませんでしたから」
「言っただろう…」

柵原は苛立った声になる。

「「無関係だったら…」って意味がわかりません。無関係だったら、一緒に住むことはないでしょ?仕事を一緒にしてるってことはないでしょうっ!」
「あいつは、香はなんて言った?」
「…香さんには、聞いてません」
「じゃあ順番が違うってのは、分かってるよな。香のことで聞きたいのなら香に聞けばいい」

それで話は終わりだ。という風に僚は腰を上げる。

「俺は香さんが好きです。そう彼女にも言いました」
僚は何も言わない。

「別に冴羽さんに言うことではないかもしれない。俺は俺なりにあなた達の関係を考えているし」
「あぁ」
「でも…今の仕事が香さんに合ってるとは思えない。「職業に貴賤はない」。俺は今までそう思っていました。けれど…あなたの仕事は、人の命を、金銭のやりとりで奪うのは…認めないっ」

僚は出入り口のドアに手を掛けていた。

柵原からは背中しか見えず、表情は分からなかった。

「香さんを振り向かせる、最大限の努力をさせてもらいます」

僚の肩が少し動く。笑ったのかもしれない。 
「式が決まったら教えてくれ」

「!?冴羽さん?」そう柵原が追いかけた時には、僚はドアの向こうに消えていた。
「なんだっていうんだよ…一体」

柵原は椅子に腰を落とした。


 
+++


 
「遅いっ、何分待ったと思ってるんだ」
席について横柄な態度で文句をいう、その男を清美は苦い気持ちで見つめた。
「この時間に来られるかわからない。って言っておいたわよね」向かいの席に座った。
「…ふん。で、どうなんだ、そっちは」
「どうなんだって、何が?」
「センセイの様子だよ。新作は?バレンタインのもあるんだろ?」
「それどころじゃないわ」
「ま、そうか。このシーズンだもんな。人気店でなくてもおおわらわな時期だ」
感情もなく言って、男はコーヒーを飲む。
「…それだけだと思ってるの?」
清美は目の前の男をにらみつけた。
男はその視線を愉快そうに受けてる。

+++


 
「ただいまー」
もうとっくに帰ってきているはずの男からの返事はない。まぁ、いてもいなくても返事を期待するほうがバカなんだけど…そんなことを思いながら香はリビングに足を踏み入れた。
香の予想に反して、僚はソファに寝転んでタバコをふかしていた。

「なんだ。居たんだ」
僚は顔だけをドアのところに香に向ける。

「ん、あぁ。飲みに行くにはまだ早いしな…。で、収穫は?」
「うん…」

香は尾行の報告をしようと僚に近づいた。その表情は暗かった。

ポシェットから小型録音機と、現像済みの数枚の写真を取り出す。僚はそれを取り上げた。
「ふーん…」
「二人が会ったのはI駅前の喫茶店。ちょっと裏通りではあったけれど、特段隠れてあっているって様子でもなかった」香が手帳を見ながら報告する。
「ただちょっとおかしいなって思ったのは、I駅だと地下鉄なら1本、JRだと一回乗り換えてなの。」

僚が目で先を促す。

「どっちにしろ電車を使ったほうが便利だと思うんだけど…。清美さんはバスを使った。昼間、しかも待ち合わせだったら時間の読めないバスはあまり使わないわよね?
しかもバス通りはお店から10分くらいあるの。地下鉄駅だったら目の前に改札なのに…。こそこそしてる様子はなかったけど、不自然かなって」
「あぁ。そうだな」
「相手の男が先に喫茶店で待っていた。清美さんは迷わずそこの席についたから、初めて会うってわけでもなさそうだった」

僚は録音機を再生した。

雑音に混じって、男の声が聞こえはじめた。
「これって…」
「犯人ってわけではなさそうだが、無関係とも思えんな」

「き、清美さんがそんなことする訳ないわ。だって柵原さんの片腕だし、とっても尊敬もしてると思う」
そんな香の声を聞きながら、僚はタバコをふかした。

「判ってるって。ま、この男からも話を聞かにゃあならんだろうしな」

僚は映りの悪い、写真を指ではじいた。


+++ 


「いらっしゃい、香さん」
いつもの様に伝言板確認のあと、キャッツに行った香が見た光景はいつもとは違っていた。

「あははー。ケーキ教室ですか?」

客のいない店内で、カウンターの中のキッチンだけがやけに賑わっている。
その中には柵原もいた。

「こんにちは。香さん」
そんな柵原の声に香は頭を下げながら、カウンターに近づく。ボウルでクリームをかき混ぜながら美樹が振り向いた。

「香さんにも電話したんだけど、ちょうど出ちゃた後だったみたいで。ごめんなさいね」
「ううん。いいのよ、気にしないで」
「すみません。僕が急に予定が空いたもので。いきなり押しかけちゃいました」
柵原が愉しげに言った。

「そうだ、香さんも今からでも一緒に作りませんか?まだ始めたばかりですよ」
「いいえ、残念ですけど依頼は無かったんですけれど、まだやることがあるんです」
「あら?そうなの。コーヒー入れるからちょっと休んでいって?」
「え、いいですいいです。今日はこれで失礼するわ。なんか中断させちゃったみたいですみません」

「香さん…」
「いいのいいの。今度柵原さんからならったとびきり美味しいケーキ食べさせてね」

そういうと柵原の軽く頭をさげて、店から出て行った。


 
+++


 
柵原は去って行く香の後ろ姿を見ていた。
美樹はそんな柵原の姿を見て苦笑いを浮かべる。
「残念でしたね?」
「え…?」
「顔に出てますよ?「ちぇっ」って」
「何言ってるんですか?!美樹さん」
美樹はおかしそうに微笑んだ。
「いまさら隠さなくたっていいじゃないですか。聞きましたよ?香さんのこと」
「…まいった、なぁ」
「だからいいですよ?お帰りになって。今日はお開きにしましょう」
「え?」
「だって香さんがいなくちゃ遣り甲斐もないでしょう?それにさっきからポケベルが随分振動してるの、
気づかなかったわけじゃないでしょう?」
「気づいてたんですか?」
美樹は特段、気に障ったようでもなくうなずく。
「でも、ここのケーキが美味しかったのは事実です。だからー」
「えぇ。ありがとうございます。でもご自身の仕事がこのために影響がでるんだったら、私の方が恐縮しちゃうわ。ですから今日は仕事に戻ってください。
また時間が空いたときに、今度は香さんも誘って教えてくださいな」

柵原の言葉を途中で遮り、美樹は言った。それでも申し訳なさそうな柵原の手にあるボウルを自分に取り返して、柵原を促す。

「ね、今日のレッスンは終了。ちゃんと復習しておきますから」
美樹の笑顔にやっと柵原は帰り支度を始めた。

 

+++

 

「甘ぇ…」
「え?」

まっすぐにアパートに戻った香はリビングでくつろいでいた僚にコーヒーを渡す。

「なんつかー、生クリームのにおい。胸焼けしそう。お前から匂ってる」
「あぁ、今美樹さんの所寄ってきたら、柵原さんが来ててケーキ教室になってたから、それかな?」

そう言いながらも香はくんくんと自分の着ている服をかいでいる。僚が片眉をあげたのを香は気づかない。

「人に仕事させといていい身分だな」
「…っ。だってそれはあたしたちの仕事だし…それに美樹さんのお店で美味しいケーキが出せますようにって教えに来てくれてるのよ。柵原さんだって遊んでるわけじゃないわ」
清美の尾行は今はしていない。

「なんで柵原はキャッツに行ったんだろうな」
「え?」
「…会ったんだろう。なんか言ってたか?」
「…特になにも。また盗作騒ぎがあったら何か言ってくれると思うけれど、それはなかったわよ?」

僚の問うた意味がいまいちわからなかった香は自分のわかる範囲で応える。
僚はなんともいえない顔をしていた。

「香。お前、明日から柵原に付け」

「柵原さんに?なんで」
「明日から年末にかけてのイベントでまたマスコミへの露出がはじまるんだと。テレビ局とかもあるらしいから念のため」
僚が大きくタバコの煙を吐いた。

「わかった…」
どうも腑に落ちない気持ちではあっったが、重要には違いないのでうなずいた。
「写真で清美ちゃんと会っていた男もいるかもしれないしなー」
「なんでそう思うの?なんか知ってるの?あんた」
「べっつにー」
どこからみても「別に」なんて思ってない顔をして、僚はおざなりの返事を返す。

清美が会っていた男の身元は香は知らされていない。その件がどうなったか訊ねても「もうすぐ済む」としか言われていなかった。

「あ、あたしがいると邪魔だから、だから僚は柵原さんのガードにあたしをつけるの?」
「なにいってんだ?」
震え始めた香の声に僚は少し上体をあげる。

香は僚をじっと見つめていた。

「僚は…だれからその話を聞いたの?その明日からって」

「清美ちゃんに決まってるだろーが。俺は明日から清美ちゃんのガードってことで」
「ちょちょちょっと!!なんで清美さんにガードがいるのよ?!清美さんが狙われるわけじゃないでしょ。
だったら余計あんたが柵原さんのガードに入るべきじゃないのっ?!」
「おまぁ、あいつのガード嫌なの?」
「そんなこと言ってるわけじゃないでしょっ…」
「じゃあいいじゃん。決まりな」
そのまま僚は席を立ち、リビングをでていこうとする。

「ちょっと待ってよ。何があるか知らないけど、だったらあたしが清美さんのガードするわ」
僚は口をゆがませた。

「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られるぜ、香ちゃん」
「は?」
「ま。そうゆうことでよろしくなー」軽く手を振って僚は出て行った。
 
「なんなのよ。まったく…」
後ろ姿を見送りながら香は寂しそうにつぶやいた。

 

続く