恋逢話4

「江藤っ、どこいってたんだよ」
事務所のドアを開けるとチーフが怒鳴った。


といっても彼は普通の会話でも怒鳴っているようなしゃべり方をする。もうみんな慣れてしまっている。「昼休憩のついでに、先生に頼まれたことをしてました」
「先生の…?」チーフは勘付いたようで、そのまま何も言わずに奥に引っ込んだ。

清美はロッカーにコートをかけると、白衣をまとって休憩用のソファに腰掛けた。柵原の机を見ると山になっていた手紙・書類類はきれいに整理されていた。
中身を確認してから出て行ったのだろう。北原エリと一緒にどこかに行くとは聞いていたが、何時に戻るかは聞いていなかった。
(早く戻ってきてくれればいいけど…)

そう思いながら清美は作業場に戻った。

+++


「スパイ?」
柵原の話を聞いていた香が声をあげる。
「そんな大げさなものでもないとおもうんだけど…」
「なに、あっさり言っちゃってるのよ、アキ。ほらアレだして」

絵梨子が話を引き継ぐ。
「結構被害にあってるのよ。もう」柵原が持ってきたデザイン帳と何冊かの雑誌を出した。
雑誌には付箋が何箇所かとめてあった。

絵梨子がパラパラとページをめくる。
「ほら、これみて」
絵梨子が僚と香の前に雑誌とデザイン帳を広げる。香は前のめりに、僚はしぶしぶといった感じで覗き込んだ。そこにはデザイン帳の中のケーキと、良く似通ったケーキが雑誌に載っていた。
「…似ているな」
「そっくり…」

絵梨子は二人の言葉に満足そうにうなずいた。
「これがアキの作品だったら、なんにも問題はないわけよ」

絵梨子が雑誌を指す。
「え、違うの?」
香が素っ頓狂な声を出す。あきれたように僚は言った。
「お前、なに聞いてたんだよ。スパイだっていってんだから…」
「そ、そうだけど。あまりに似ていたから…」

僚はそんな香の声を無視して、その雑誌を手に取った。ペラペラとめくる。
「これはX月号だけど。撮影はどれくらいだ?」
「3週間前ってとこじゃないかしら?発売日の」
「このケーキの作者と面識は?」
「名前だけは知ってるってとこですかね。顔を見かけたとこはあるけれど挨拶程度で」
僚は聞きたいことだけ聞くとタバコに火をつけた。少し何かを考えているようだ。

「偶然ってこたぁ、ないのか?」
「冴羽さんっ」
僚は絵梨子の非難の口調を軽くかわす。

「いや、そうじゃなくて。なんつうかー…流行りってやっぱあるだろう?同じ食材が旬だとか、新しく
使いやすく加工された技術とかな、そういうんでさ」

柵原は僚の言いたいことがわかったようだ。

「あぁ、確かにそういうことはありますね。形もスクエアを作るとほかの店でもそんなのが出たり。ド定番に戻そうかとすると、ほかでもそういうの出していたり…」
「それにしたって、これは似すぎていない?」
香が口を挟んだ。
「まぁな」
「柵原さん。こういうことは以前にもあったんですか?」
「僕が直接こういう目にあったことはないです。周りで似たような話はたまに聞いていたけど」
「盗作に気づいたのはいつからだ」
僚の問いかけに柵原は少し笑みを浮かべた。

「本当に盗作されてるかどうかわかりませんけどね。気づいたのは半年…いや4ヶ月くらい前かな」僚が大きくタバコの煙を吐き出した。

「で、俺たちに何をさせたい?」
「え?」
「犯人を探し出すだけでいいのか?それともたっぷりと慰謝料を踏んだくるか」

僚の顔が少し楽しげにゆがんだように、柵原には見えた。
「二度とこんなことができないように、締め上げるか?それで気がすまないってなら…始末するか?」「僚っ」叫び声にも近い声で香が立ち上がった。
柵原は表情を硬くし、じっと僚をみつめていた。

「代金はそれぞれ違うがな。ま、そこら辺は香に聞いてくれ」
僚は柵原の表情を見ながら立ち上がると、話は仕舞いだというように出て行こうとする。

「待ってくださいっ」
「なんだ?」
「し、始末って、どういうことですか?」
「あんたが思ってる通りのことだろうな」
「…な、なんでそんな事を…」

「それが俺の仕事だぜ?絵梨子さんに聞いていないのか?」

柵原は絵梨子を見て、香を見つめた。目があった香はどうしていいかわからず、ただじっと立ち尽くしていた。
柵原は僚に向き直る。

「依頼は…盗作事件かどうか、確認すること。そうであれば犯人を見つけてください。見つけるだけでいいです」
「わかった。細かいことは香と打ち合わせてくれ」
そういい残すと、僚はリビングを出て行った。

 

+++

 

呼び出したタクシーに来たときと同じように絵梨子と柵原は並んで座っている。
「良かったわね、アキ。これで犯人がわかったも同然よ」

絵梨子のはしゃいだ声に比べると柵原の声は沈みがちだ。
「犯人なんて…盗作かどうかってのもまだ確定してないんだぞ」
「またそんなこと言って。あんただってそう思ってるくせに」

柵原はそうつぶやくとシートに体を沈み込ませた。
「どうしたのよ、黙り込んじゃって」

絵梨子はため息を吐いた。あれから香と期間や報酬もろもろを話あったがどうも柵原の気が入っていないようだった。
原因はわからないでもないけれどこんな調子じゃ明日からの依頼遂行が心配だ。
清美も連れてくれば良かったと柵原の様子を見て思った。

(大げさにはしたくないの、わかるんだけどねぇ)

「なぁ、エリー。香さんてあいつと一緒にすんでんの?」
柵原はつぶやくように言った。

「え…?あぁ、そうね。でもあそこは兼事務所みたいなものだから…。あのリビングよりも上の階もあるのよ?」
「ふーん…」そう言ったまま柵原は目を瞑った。
「明日からまた厨房が大騒ぎになるよなー。クリスマスシーズンはただでさえ忙しいってのに」
「アキ…だって、しょうがないじゃない?」
「わかってるよ。だけどさ…うちに一番に来るってことは、うちのメンバーを疑ってるってことだろ?」
「…っ」
「それがわからないやつらでもないから…俺はあいつらを信用してるけど」

柵原は小さく苦笑いを浮かべた。

「盗作かどうか、わかんないじゃない」
「さっきといってることが違うぜ、エリー?」
からかうように言う柵原に絵梨子はむかつくより先にほっとした。

「あーぁ、早くケーキ作りに専念したいもんだ」
「平気よ、あの二人に任せておけば。きっとすぐに解決するわ」
その言葉を聞きながら、柵原は睡魔に身をまかせた。
 

絵梨子と柵原が帰って、誰もいなくなったリビングで香はぼんやりとしていた。
昨日からの一日でいろいろなことがありすぎた。

絵梨子のパーティーが昨日のことだったなんて信じられないくらいだ。
そのあわただしい中に「依頼」があるのは喜ばしい限りだが、どうせなら自分を通してもらいたかった。
という思いも香にはあった。

(昨日会ったのに、水臭いの。絵梨子ってば)

柵原だって、そんな事件を持ってるなんて感じさせなかった。 
絵梨子たちが帰るときも部屋から出てこなかった僚の、階段を下りてくる音が聞こえた。

「僚、どこいくの?」

「おまぁには関係ないねだろう?」
僚はいつものコートを羽織っていた。

「明日から依頼って、あんた聞いてなかったの」
「聞いてたっつーの。だから遊び納めしておくんだろうが。えらいなぁ、僚ちゃん」
「なに言ってるのよ!あんた飲み歩いた次の日の午前中なんて全然つかいものにならないじゃない」「どーせ、朝早くいったって仕事になんてなんねーつの」
「そんなのわかんないでしょっ」

その言葉をあっさりと無視し、僚は玄関を出る。

「香ちゃんも彼の事となると熱心ねぇ〜」
ドアの閉まる音と一緒にそんな僚のからかう言葉が聞こえた。
香は閉まったドアにハンマーを投げつけた。鈍い音を立ててハンマーが落ちる。

「何ばかな事言ってるのよっ!!」
それに僚の答えはない。「バカ。本当にバカっ。ツケ増やして来たって知らないんだからねーーーっ」

香は唇をかみしめてドアを見ていた。

 
+++

 
翌日、僚と香はアキの店に来ていた。

大方の予想通り、僚は酔っぱらいの朝帰りで、日が高くなるまでおきなかった。そんな僚を引きずる様にしてつれてきた。

「これじゃあ、仕事にならないわね…」香が工房をのぞき込んで、つぶやいた。
クリスマスシーズンのスウィート専門店が混んでない訳がない。

厨房はそれこそ、猫の手も借りたい忙しさとでもいうのだろうか、職人一人一人が自分の仕事を夢中でしている。静かな中に殺気だった雰囲気を感じる。
さっき、柵原に確認したところ、クリスマス前2,3日は徹夜だということだ。
僚と香は店の者に話を聞きたくても、口を挟む隙もない。

「だーから、言っただろうが」
僚は大きなあくびを隠しもせず、ソファにだらしなく座っている。
「なによ」
「どうせ朝から来たってこんな調子だったんだよ。おまぁ、あん中入って「スパイ」知りませんか?って聞けるか?」
「……」
「店になんて来なくても仕事はできるんだっての。ま、香ちゃんは愛しの…」

僚はタバコを銜えようとして、香に止められた。
「ここは禁煙だって言ってたでしょ」
僚は盛大にため息を付いてタバコをポケットに戻すと、かったるそうに立ち上がった。

「なにやってるの?」
「あぁん?盗作されたほかの作品の載ってる本をな…」

香も一緒に探そうと、本棚に向かう。
「それなら、そこにはありません」
僚と香が声のするほうを振り返る。柵原と清美が白衣を脱ぎながら部屋に入ってくるところだった。

「お待たせしました、香さん。やっと一息つけますので、改めて紹介します」
「あ…はい」
柵原に返事をしながら、香は僚を見上げる。

僚はおちゃらけた様子で柵原の隣に立っている清美に近づいた。
「あっらー、清美ちゃんてば白衣姿もとーーーってもキュートだったけど、ジーンズ姿もかわいい」
「何言ってるんですか。冴羽さん。本、確認していたんじゃないんですか」

いつの間にか清美の手をとり、声をかける。
「すみません、香さん。こんなに忙しい予定ではなかったんですが、大口の予約が入ってしまいまして」「いえ、気になさらないでください」
柵原も香をソファの方に引き寄せる。僚と清美は本棚の前に。香と柵原はソファで。きれいに二組に分かれてしまった。
「冴羽さん。盗作の資料、今出しますから手離してください」
「えー、そんなつれないこと言わないでよぉ、清美ちゃぁん」

香との話に夢中になっていたはずの柵原が、清美にいや正確には僚に言った。
「そんなことで犯人が見つかるんですかね?今朝もお越しになるのは遅かったようですし…」
その言葉に香は赤くなってうつむいた。僚はちらっと柵原を見ただけで清美の手は離さなかった。

「それに江藤だって付き合ってる奴がいるんだから。毅然と断らないと迷惑が増えるだけだ」
続いたその言葉に今度は清美が小さく「…すみません」とつぶやいた。

「なーんだ、清美ちゃん彼氏いるのぉ。ざんねーん。どんな人?僚ちんに乗り換えない?」
まだまだはしゃぎながら、それでも僚は清美の手を離した。

「付き合ってる…ってわけでもないんですけどね…」清美が誰とも無くつぶやいた。
「ちょっと僚、いい加減にしなさいよ。柵原さんだって江藤さんだって忙しい時間割いてきてくれたんだから」

『江藤さん』と名前を出した時、香は清美と目を合わせ微笑んだが清美は表情を固くしたままだった。僚は香の言葉が聞こえなかったかのように、
誰も座っていないほうのソファの背もたれに後ろ向きに寄りかる。
「で、どうするんですか?これから。従業員全員呼びますか」

そんな事をやる気は全然ない風に柵原はため息まじりに言った。
清美は僚にスケッチブックと雑誌を渡す。

僚は清美からそれを受け取ると、パラパラと両方めくった。
「いや、そんなことはいい。だが俺たちがここに出入りしても文句を言われないこと。素性はばらさないこと。それをしてくれればいい」
雑誌に目を落としながら、僚が言った。

「それで…分かるんですか」
柵原は手を組み、祈るように頭を下げていた。柵原の気持ちが痛いように感じられた。

「依頼を受けたからには…な。まクリスマスまでとは言わないが、正月までにはどうにかなるだろ」
「分かりました」
柵原は清美を見た。

「江藤くんには全部話してあります。何か分からないことがあったら私か、彼女に」
最初に会ったときも、柵原は清美の事を『優秀なパティシエで、秘書です』と紹介していた。

清美は照れて微笑んだだけだったが、まだ数時間様子を見ただけでも清美のすごさを感じた。
僚といえば、清美の仕事での優秀さ以上に外見の美しさにも、一瞬に目を奪われたようだったが…

「これから私は作業にもどりますが、江藤はちょっとお昼を兼ねて外出します」
「あぁ、分かった。俺達は今日はとりあえずもどるとする」
「え?」
香の驚いて僚を見上げた。

「今日は状況確認ってとこだな。あーん、清美ちゃんこれありがとう。僚ちゃん助かったー」
僚は清美に抱きつく勢いでスケッチブックと雑誌を返した。

「い、いいえ。お役に立てれば」
「あぁ、君の為に犯人を見つけるよ」
僚の鬱陶しい口説き文句にも清美は苦笑いを浮かべるだけだった。


+++


店から陰になる自動販売機の脇で、僚と香は様子を見ていた。

「あ、出てきた」香がつぶやいた。
店からは清美が私服に着替えて出てくる。大きな肩掛けバックを掛けている。

「じゃあ、後は頼む」
僚の言葉に香はうなずいた。

清美が角を曲がって見えなくなったと同時に、香はその後を追った。

 

続く


*今回も冴羽氏、出番なし(苦笑)